枯れた花の名前 5

 人の集う街『ミネルバ』は、海、そして内陸からあらゆるものが集まる、人と物の交流地点。国の代表として、ミネルバと呼ばれることもしばしば。

 キルシト、ベルカネル、ヒナブア。いずれもアレット村より大きい街。それらを吸収し、世界三大国にまでのぼり詰めた歴史をもっている。

 正門は時代とともに外側へと移動、それにともない、街と街の境もあいまいになってきているらしい。門のさきには賑やかな街と豊かな農地があって、中央公国『マレクシド』に次ぐと言っていい。


「――つまり、ミネルバは分類としては街だが、周囲の街をとりまとめる国としても成り立っている」


 そう説明して、ギンは剣を振りかざした。

 カァンッという、獣の首よりかるい音が響く。錆びた剣だが切れ味は健在らしい。筒状の木がタテに割られ、焚き火用の薪になる。

 私が視線をズラすと、そこには切り倒された樹が横たわっていた。幹の上で小動物が物珍しそうに私を見ていたが、すぐに逃げていく。


「アレットとは比べものにならない広さということだ。スイも驚くだろうな」

「そうやって好奇心を煽られると、いまだに森にいる私はうずうずして仕方ないんですけれど?」


 切り株に腰かけた私は、冷ややかに睨む。

 踏みしめたことのない荒野。その向こうに、まだ見ぬ世界の街。魅力的なものを目の前にしておきながら、私とギンは森へと引き返していた。これほどもどかしいことはない。できれば今すぐにでも駆けて、街へ向かいたいくらいだ。

 しかし、そうもいかない。

 街は見えていても、半日はかかる。走れば途中でバテて、盗賊や獣の餌食になってしまうことは容易に想像できる。なので、こうして森へと引き返し、野宿の準備をしているのだ。

 荒野には樹がすくない。ここで薪を確保しておかなければ、夜を越せないらしい。

 カァンッ。

 また木が割られる音。斧ではなく剣を振り下ろす彼を、私はぼうぜんと眺めていた。


 『――スターチス・フラワー』


 だめだ、ギンを見ているとどうしてもあの夜のことが忘れられない。背中越しにきいた越えが耳を離れない。気になってしょうがない。

 私は頭をかかえた。


「どうした、気分が優れないのか?」

「えっ、あーっと、いえ大丈夫です」

「ならいいが。無理はするな」

「は、はぁーい……」


 やっぱり、いつも通りのギンだ。変なところはない。あの夜だけが、ギンらしくなかったのだ。

 ……スターチス・フラワーか。

 私は城の書庫で、それなりの本を読んでいた。植物についてまとめられた書物も例外ではない。このとおり大地を緑で埋め尽くしてしまう体質だから、そういう本は多かった。お母様が『花の魔女姫』と呼ばれていたのにも起因するだろう。

 なにが言いたいかというと、たいていの花について知識ないしは名前を把握しているのだ。

 懐から小瓶を取り出す。アレット村の宿屋のおじさんにいただいた小瓶には、黄色い液体がゆれていた。セルマリーから作られた肌の薬である。このセルマリーに関する知識も本から学んだ。十年前とはいえ、いち大国の城にはそれなりの書物があったわけだ。

 ならばなおさら、スターチス・フラワーを知らないのは不思議だ。本のしおりとして使われていたことを考えると、記載されていてもおかしくないはずだが。


「スイ。これで十分だ。行くぞ」


 結局、私の思考はギンの声によって中断されたのだった。





 夜になると、森から持ってきた薪の出番だ。

 いつもどおり、ギンが雑草に火打ち石をつかい、火種をつくる。私はかがんだギンに薪を渡していった。

 冷えていく世界。

 料理をつくって平らげるころには、あたりもすっかり暗くなっていた。


 さて、食事を終えると、私たちは基本ヒマになる。死の森とは違い、危険もほとんどない。いくらか心を落ち着けることができる。

 私は足を布で拭くと、一息ついて口をひらいた。


「しかし、感慨深いですね」

「なにがだ」

「なにがって、ついにここまで来たんですよ? あの十年間引きこもっていた私が!」


 私は焚き火のまえで興奮した。今は見えない街の方を指差して。

 その様子をギンは無言で見つめていた。


「な、なんです? 私だけ舞い上がって、これじゃ変なヤツじゃないですか」

「変なヤツ、か……」

「あ、いま失礼なこと考えましたね。やめてまじまじとこっちを見ないで。この私に向かってなんて人なの」

「い、いやっ。そんなことはない。スイのことは尊敬して――尊敬? いや、敬愛、違うな。親愛? それもまたしっくりこない」

「報酬さし引いてやろうかしら?」


 両手で降参のポーズをして、ギンが首をふる。


「ス、スイのことは、そうだな……最も大切な人だと思ってる」

「……」

「どうだ?」

「へ、へぇー、そうですか」


 こ、この人はっ。

 なんでこう、ふとした瞬間にこういうことを言うんだろう。私を引きこもっていた女と知っての所業か?

 私は手のひらを握り込んで、わなわなと震えた。羞恥で顔が熱い。また手近なものでも投げつけてやろうかと思い、あたりを見回す。

 が、すぐに脱力する。

 ギンはこういうヤツなのだ。この発言は、きっと半分が本音であり、半分が優しいウソなのだ。私はそう思っている。

 おちつけ、私。取り乱すのはよくない。


「はぁ。もういいですよ、なんとなく伝わりましたから」

「そ、そうか」


 私は深くため息を吐く。それから、ブーツを履いた足を投げ出して、夜空を見上げた。

 この荒野一帯は晴れていることが多いそうだ。

 そのため、日中は太陽が照りつけ、夜中の今は満天の夜空が私たちを見下ろしている。


 私が黙ると、またたく間に静寂が訪れた。


 ……なんだかな。出会ったばかりのころは無言も気まずかったけれど。こうしてずっと一緒だと、それも心地よく思えてくる。

 ちら、と視線を落とすと、ギンもまた兜を上に向けていた。それを珍しく感じつつ、また天を仰ぐ。


 散りばめられた星々が、さっきよりもきれいに見えた。

 きっと気のせいだ。吸い込まれそうな輝きが増したのも、胸の奥にストンとおさまるこの感情も、気のせい。口のが緩んでしまうのもそう。


 そうに、ちがいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る