枯れた花の名前 3
「……美味かった」
こちらに背中を向けていたギンが真正面から見据え、開口一番そうこぼした。
ギンの兜は、首元の留め具を外すことで、口元だけ露出させることができるらしい。いつも食事をするときはそうすることで、口にものを運んでいる。
とはいえ、私は口元さえも目にしたことがない。
彼は基本的に背中を見せ、顔が見えないように食事をするのだ。それも短時間で済ませるため、隙はほとんどない。
「ギン」
「なんだ」
「そろそろ素顔見せてください」
「断る」
「『無論だ』って言ってくださいよ……」
「断る」
この頑固者は。
いいじゃないですか素顔くらい、と思う私だが、しかたないかと妥協する自分もいた。彼のやりたいようにさせたいと思ってしまうその理由は、城で見た後ろ姿に起因する。
泥だらけのギンに、頭から水をかけたあの日。
私が廊下のぞうきんがけから戻ると、騎士は日光にあたりながら、遠くを眺めていた。イスの背もたれに体重をあずけて、森の彼方を。
まだ出会ったばかりで不信感のが
今でこそあのときと同じ後ろ姿は見れないが。その重荷は、決してなくなったわけではないのだと理解できる。彼にもきっと、事情というものがあるのだろう。
その事情がどれほど大きいものか、私は知らない。
親が殺されたとか、故郷を滅亡に導いたとか、なにか特殊な体質をもっているだとか。
そんな、私みたいな事情かもしれない。そうでなくても、ここまで私に親身になってくれる変なヤツだ。背負った業は同等くらいのものなんじゃないだろうか。
私は人知れず、そう考えていた。
「今日はスイが寝ていい。見張りは引き受けよう」
そう申し出るところも、彼の異常な部分だ。
森では常に彼が見張りをしていた。アレット村では宿だったし、結果的に私が見張りをまかされたことは、一度たりともない、という状況に陥っている。
いつ寝ているのだろう。もしかして、兜で見えないだけで、実は睡眠をとっている?
そういう疑問を込めて、じっと顔を見つめる。
「眠れないのか?」
「はぁ、ちがいます。いつも私だけが楽をしているので、心配してるんです」
「む……それは、ううむ」
「どうしたものか」と呻くギン。
正直、このまま寄りかかるだけの事態はなんとかしたいが、私は旅に慣れていない。かといって親切心を無下にするのも心苦しい。
歯がゆい。
「心配してくれるのはありがたい。ありがたいが、やはり見張りはまかせてほしい」
「……わかりましたよ」
また、優しさに甘えてしまう自分がいる。
自己嫌悪に陥りながらも、いそいそと睡眠の準備をはじめる。
毛布にくるまり、焚き火の温度が伝わるところで横になる。背中からの熱と光を感じながら、私は目を閉じた。
彼がどうしてもというのなら、そのとおりにさせよう。
きっと私たちは、重いものを背負った似たもの同士なのだから。
◇◇◇
今日は、深い眠りにつくまで時間がかかっていた。
いろんな考え事をしすぎたのかもしれない。パチパチと焚き火の爆ぜる音をききながら、瞳だけは閉じて、睡眠に入ろうと努める。
どれだけの時間がたったのかを考えてしまって、いけないと思考を放棄する。思考を放棄しなければと焦って、睡眠が遠のく。それらから離れて、今度は周囲の音を気にしてしまう。
……今日はとことんダメらしい。
眠ろうにも眠れない。目を閉じて、時間だけが過ぎていく。図らずもギンの予想はあたったわけだ。
と、そのとき。
背後のほうで、かさりと、なにかを
聞き覚えのある音。それも、私にとってはとくに。その正体がなんなのかを探り、やがて答えに辿り着く。
紙だ。
紙を擦る音。正確には、ページをめくる音。
きっと、私のあの本を読んでいるのだろう。アレは「たまに読んでいい」と許可を出してある。ギンが読んでいるのは決して変ではない。むしろ嬉しく思う。
私の好きなものに興味を持ってもらえた。つまりそのうち、本の内容について話し込むことだってできるかもしれないのだ。新たな話題が増えるのは楽しみ。
いつのまにか私は睡眠など遠ざけ、ページのめくられる音に耳を澄ませていた。
この心地よい音をきいていれば、いつかは眠れるんじゃないかとも思っていた。
しかし。
「――スターチス・フラワー」
……?
一言、ギンの囁くような声がきこえた。
スターチス、フラワー?
フラワーというからには、おそらく花の名前だろう。挟まれていたあのしおりの名前とか?
枯れているアレの名を、私は知らない。そも、枯れすぎて判別がつかなかった。
しかしギンは知っているようだ。いったいどこで知ったのだろう。もし叶うなら、鮮やかに咲くところを見てみたいものだ。
そうだ。この旅が終わったら、次はそれを見に行くのだっていいかもしれない。
報酬金で財産はなくなるけれど、なに、心配はいらない。城にある隠し金庫をあければ、またギンを雇うくらいのカネはあるだろう。
内心でほくそ笑みながら、これからの楽しいことを考えていた私だったが。
それを裏切るように飛び込んできた言葉に、私は息を呑んだ。
「どうか、俺を許してほしい……スイ」
その日は、一睡もできなかった。
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