3章

枯れた花の名前 1

 翌日の朝には、私の服は乾いていた。

 ギンが部屋に持ってきてくれた装備を、一日ぶりに身につけていく。


 身のたけにあった服。ベルトをして、安全具におさめたナイフを腰に吊す。城のドレスよりもはるかに短く歩きやすいスカートを気にして、シワをのばす。上からマントを羽織って、胸のまえでパチンと留める。

 最後に、白い手袋を手にとる。

 昨日は、ずっと手袋をせずに過ごした。少年に村を案内してもらって、動物にもさわったし、くわで畑も耕してみた。もちろん怖くはあったけれど、ギンがいた。それに、事情を察しながらも優しくしてくれる少年とその家族も。震えながらもいろんなものに触れられたのは、きっとみんなのおかげだ。


「……ふふ」


 ひとりでに笑みをこぼして、私は手袋に指を通した。

 最後に靴に備えつけられたじょうを確認する。左右に、それぞれ三つ。拘束具でもあるこの靴は、カギを差し込んでまわさなければ脱げない。昨夜も靴を脱いで、足を拭いたところだ。すべての錠が開かないことを確認すると、改めて私は立ち上がった。

 姿見に、私が映る。

 マントの下で手を組み合わせて、銀の薄い髪をながし、やわらかい表情をした自分がいた。城の大鏡に写っていたヤツと同一人物とは思えなかった。自慢じゃないが、ずいぶんくだけたものだ。


 背後で、扉をノックする音が響いた。


「スイ、そろそろ行くぞ」

「はーい」


 ベッドの上の大きい麻袋を背負うように持ち、私は身をひるがえした。

 コツコツと厚底が床を叩いた。





 ギンと宿を出る。

 昨日と同じように、のどかに流れる風景がひろがっていた。


「街までまた数日かかる。そのまえに寄りたいところがいくつかあるんだが」

「わかりました。行きましょうか」


 人の往来にまぎれ、道を歩く。

 旅人にも分け隔てなく接するこの村は、すごくいいところだった。昨日一日で、それを理解した。見れば、いたるところで旅人らしき人と村の人が交流している。

 きっと、私たちが特別なんじゃない。それだけに、ここを去らなければならないのがなごり惜しい。

 立ち寄ったのは、この村を拠点に食料を売っている商人のところだった。

 干し肉や果物、野菜、硬そうなパンといった様々なものが並んでいる。それをひと通り物色し、ギンがやりとりする。


「これと、これ。あとは……ここからここまで、もらおう」

「あいよ。銀貨八枚ね」


 ずいぶんと多く買うものだ。

 ギンはそれらを受け取ると、私を見た。


「その袋に入れたいんだが、すこし持てるか?」

「え、あはい」


 何日分あるのだろう。買い取ったものを底のほうから詰めていく。この袋の八分目くらいまでいきそうな量だ。そうなると結構な重さになる。

 詰め終わると、ギンは軽々と袋を背負って立ち上がった。


「スイにはこっちの袋を持ってほしい」


 手渡された袋は、ギンのそれより小さい。持ちやすいように紐が飛び出ていて、すでになにかがじゃらじゃらと音を立てた。


「これは?」

「旅に便利な道具だ。火打ち石や縄がはいってる」

「へぇ……」


 袋の中身をのぞき込むと、森でも使っていた鍋やいくつかの器具も含まれていた。材料さえあれば、たいていの料理はできそう。城のばかでかいキッチンにくらべれば足元にもおよばないが、それでも二人だけの旅には十分と言っていい。


「こんど、私も何か作っていいですか?」

「作れたのか」

「なんですかその『うそ、信じられない』みたいな反応は! 作れますよ! 城では十年ひとりだったんですからね!? いえ、最初の一年くらいはまだ使用人が数人いましたけど……」


 見てなさいよ。森で食べさせられた『特製これ毒ないよね? スープ』や『ただ焼いた肉』といった野性味あふれる料理とは違う世界を見せてやりますから。

 ていうか、そこんところはあの家族を見習ってほしいんですが。

 と、噂をすれば。


「おねえさん、いた!」

「どうも、お二人とも」


 セルマリーの少年が元気よく声をあげ、その母親がとなりで頭をさげた。

 今日はカゴを持ち歩いていないようだ。荷車はいつもの場所に置いてあるだろうから、おそらく父親も駆り出されているのだろう。では、この二人はどうしてここに?

 という疑問が顔に出ていたらしい。私のほうを見て、母親が微笑む。


「ここに来れば会えると思いまして。今日、つんでしょう?」


 ギンも私もきょとんとする。

 それをまた笑って、母親は息子を撫でる。


「お二人には感謝していますから。せめて挨拶を、と思いまして」


 この親子が、とても輝いて見えた。

 優しくて、暖かくて、幸せをそのままカタチにしたような空気に、思わず頬を緩めてしまう。


「ギンさん。金貨の取引き、とてもたすかりました。おかげで、新しい稼ぎ口も波に乗ることができたと思います」

「いや、こちらは特になにもしていない。ただ、口止め料として提示したに過ぎないからな。感謝するのはこちらの方だ」

「ふふっ。それにしては、ずいぶんと大金でしたがね。それと、スイさん」

「あ、はい」


 今度は私か。

 ギンと違って私はなにもしていない。感謝こそすれ、感謝される覚えは皆無だ。

 だが予想を裏切り、母親はこれでもかと感謝の言葉を述べはじめた。


「セルマリー、買ってくれてありがとう。あなたは私たち貧乏な家族にとって、まさに恩人のお客様だわ。聞きましたよ、あのお金、もとはあなたのものだそうじゃないですか」


 バッ! とギンを振り向く。兜は知らんフリするようにそっぽを向いていた。

 こ、こいつ、いったいどこまで……。


「す、すいません。なんかカネに物を言わせるようなやり方で、はは……」

「またそんな謙遜を。ギンさんの言うとおり優しい方なんですね。昨日は息子の面倒まで見ていただいて、感謝しきれません」


 な、なんでしょうこれ。すごく恥ずかしいんですが。引きこもりの私には結構な責め苦。

 相応しくない言葉に耐えていると、突然。


「――っ!?」


 母親は一歩まえに進み出て、あろうことか、向こうから強引に手を握ってきた。

 私はギョッとして、反射的に退き、逃れようとする。今は手袋をしているとはいえ、手を繋ぐという行為は慣れていない。不安、恐怖。そういったわるい想像が頭をよぎる。このお母さんも知っているはずだ。私の異常さを。危険性を。

 だというのに――逃がすまいと、力強く握り込まれる。両手で。

 逃げ場をなくした私は、目を白黒させた。冷や汗を浮かべ、手元と彼女の顔を交互に見やる。


「スイさん」

「え、ぁ、は、へ」


 これでもかと感情のこもった視線が、私を射抜く。

 身体を強張らせ、なんとかそれを受け止める。


「がんばって。素性すじょうも、なんのために旅をしているのかも、あなたたちのことは何ひとつ知らないけど。それでも、応援してる」

「……あ、りがとう、ございます?」







 後ろを振り向くと、小さくなったふたつの影が手を振っていた。

 まさか私たちが見えなくなるまで、ずっとああしてるつもりだろうか。つもりなんだろうな。危険を承知で私の手を握るくらいだ。おかしくない。


 勇者に魔王が殺された。今や魔法は人類の手から失われた。

 それを知らない者は、よほどの引きこもりでないかぎりあり得ない。この世界に生きる、あまねく人間が知っていることだ。

 なればこそ、私の異常さはわかるだろうに。

 私の身体の呪いは、見ようによっては魔法のようにも写る。

 この時代でさえ魔法を使える異常者。それがどれだけ危険で得体のしれない存在かは、想像に難くない。迫害される可能性だって否めない。

 つまり。

 あの家族と出会えたのは、とんでもなく運がよかったということだ。


 セルマリーを『幸運の花』と例えるのは、世界中さがしても私だけだろうな。


「ギン、次の街へはどのくらいかかります?」

「なにもなければ三日だ」


 前に向き直り、ギンと並んで歩く。

 行くさきの空は、清々しいくらいに晴れ渡っていた。

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