3章
枯れた花の名前 1
翌日の朝には、私の服は乾いていた。
ギンが部屋に持ってきてくれた装備を、一日ぶりに身につけていく。
身の
最後に、白い手袋を手にとる。
昨日は、ずっと手袋をせずに過ごした。少年に村を案内してもらって、動物にもさわったし、くわで畑も耕してみた。もちろん怖くはあったけれど、ギンがいた。それに、事情を察しながらも優しくしてくれる少年とその家族も。震えながらもいろんなものに触れられたのは、きっとみんなのおかげだ。
「……ふふ」
ひとりでに笑みをこぼして、私は手袋に指を通した。
最後に靴に備えつけられた
姿見に、私が映る。
マントの下で手を組み合わせて、銀の薄い髪をながし、やわらかい表情をした自分がいた。城の大鏡に写っていたヤツと同一人物とは思えなかった。自慢じゃないが、ずいぶんくだけたものだ。
背後で、扉をノックする音が響いた。
「スイ、そろそろ行くぞ」
「はーい」
ベッドの上の大きい麻袋を背負うように持ち、私は身を
コツコツと厚底が床を叩いた。
ギンと宿を出る。
昨日と同じように、のどかに流れる風景がひろがっていた。
「街までまた数日かかる。そのまえに寄りたいところがいくつかあるんだが」
「わかりました。行きましょうか」
人の往来にまぎれ、道を歩く。
旅人にも分け隔てなく接するこの村は、すごくいいところだった。昨日一日で、それを理解した。見れば、いたるところで旅人らしき人と村の人が交流している。
きっと、私たちが特別なんじゃない。それだけに、ここを去らなければならないのがなごり惜しい。
立ち寄ったのは、この村を拠点に食料を売っている商人のところだった。
干し肉や果物、野菜、硬そうなパンといった様々なものが並んでいる。それをひと通り物色し、ギンがやりとりする。
「これと、これ。あとは……ここからここまで、もらおう」
「あいよ。銀貨八枚ね」
ずいぶんと多く買うものだ。
ギンはそれらを受け取ると、私を見た。
「その袋に入れたいんだが、すこし持てるか?」
「え、あはい」
何日分あるのだろう。買い取ったものを底のほうから詰めていく。この袋の八分目くらいまでいきそうな量だ。そうなると結構な重さになる。
詰め終わると、ギンは軽々と袋を背負って立ち上がった。
「スイにはこっちの袋を持ってほしい」
手渡された袋は、ギンのそれより小さい。持ちやすいように紐が飛び出ていて、すでになにかがじゃらじゃらと音を立てた。
「これは?」
「旅に便利な道具だ。火打ち石や縄がはいってる」
「へぇ……」
袋の中身をのぞき込むと、森でも使っていた鍋やいくつかの器具も含まれていた。材料さえあれば、たいていの料理はできそう。城のばかでかいキッチンにくらべれば足元にもおよばないが、それでも二人だけの旅には十分と言っていい。
「こんど、私も何か作っていいですか?」
「作れたのか」
「なんですかその『うそ、信じられない』みたいな反応は! 作れますよ! 城では十年ひとりだったんですからね!? いえ、最初の一年くらいはまだ使用人が数人いましたけど……」
見てなさいよ。森で食べさせられた『特製これ毒ないよね? スープ』や『ただ焼いた肉』といった野性味あふれる料理とは違う世界を見せてやりますから。
ていうか、そこんところはあの家族を見習ってほしいんですが。
と、噂をすれば。
「おねえさん、いた!」
「どうも、お二人とも」
セルマリーの少年が元気よく声をあげ、その母親がとなりで頭をさげた。
今日はカゴを持ち歩いていないようだ。荷車はいつもの場所に置いてあるだろうから、おそらく父親も駆り出されているのだろう。では、この二人はどうしてここに?
という疑問が顔に出ていたらしい。私のほうを見て、母親が微笑む。
「ここに来れば会えると思いまして。今日、
ギンも私もきょとんとする。
それをまた笑って、母親は息子を撫でる。
「お二人には感謝していますから。せめて挨拶を、と思いまして」
この親子が、とても輝いて見えた。
優しくて、暖かくて、幸せをそのままカタチにしたような空気に、思わず頬を緩めてしまう。
「ギンさん。金貨の取引き、とてもたすかりました。おかげで、新しい稼ぎ口も波に乗ることができたと思います」
「いや、こちらは特になにもしていない。ただ、口止め料として提示したに過ぎないからな。感謝するのはこちらの方だ」
「ふふっ。それにしては、ずいぶんと大金でしたがね。それと、スイさん」
「あ、はい」
今度は私か。
ギンと違って私はなにもしていない。感謝こそすれ、感謝される覚えは皆無だ。
だが予想を裏切り、母親はこれでもかと感謝の言葉を述べはじめた。
「セルマリー、買ってくれてありがとう。あなたは私たち貧乏な家族にとって、まさに恩人のお客様だわ。聞きましたよ、あのお金、もとはあなたのものだそうじゃないですか」
バッ! とギンを振り向く。兜は知らんフリするようにそっぽを向いていた。
こ、こいつ、いったいどこまで……。
「す、すいません。なんかカネに物を言わせるようなやり方で、はは……」
「またそんな謙遜を。ギンさんの言うとおり優しい方なんですね。昨日は息子の面倒まで見ていただいて、感謝しきれません」
な、なんでしょうこれ。すごく恥ずかしいんですが。引きこもりの私には結構な責め苦。
相応しくない言葉に耐えていると、突然。
「――っ!?」
母親は一歩まえに進み出て、あろうことか、向こうから強引に手を握ってきた。
私はギョッとして、反射的に退き、逃れようとする。今は手袋をしているとはいえ、手を繋ぐという行為は慣れていない。不安、恐怖。そういったわるい想像が頭をよぎる。このお母さんも知っているはずだ。私の異常さを。危険性を。
だというのに――逃がすまいと、力強く握り込まれる。両手で。
逃げ場をなくした私は、目を白黒させた。冷や汗を浮かべ、手元と彼女の顔を交互に見やる。
「スイさん」
「え、ぁ、は、へ」
これでもかと感情のこもった視線が、私を射抜く。
身体を強張らせ、なんとかそれを受け止める。
「がんばって。
「……あ、りがとう、ございます?」
後ろを振り向くと、小さくなったふたつの影が手を振っていた。
まさか私たちが見えなくなるまで、ずっとああしてるつもりだろうか。つもりなんだろうな。危険を承知で私の手を握るくらいだ。おかしくない。
勇者に魔王が殺された。今や魔法は人類の手から失われた。
それを知らない者は、よほどの引きこもりでないかぎりあり得ない。この世界に生きる、あまねく人間が知っていることだ。
なればこそ、私の異常さはわかるだろうに。
私の身体の呪いは、見ようによっては魔法のようにも写る。
この時代でさえ魔法を使える異常者。それがどれだけ危険で得体のしれない存在かは、想像に難くない。迫害される可能性だって否めない。
つまり。
あの家族と出会えたのは、とんでもなく運がよかったということだ。
セルマリーを『幸運の花』と例えるのは、世界中さがしても私だけだろうな。
「ギン、次の街へはどのくらいかかります?」
「なにもなければ三日だ」
前に向き直り、ギンと並んで歩く。
行くさきの空は、清々しいくらいに晴れ渡っていた。
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