味のする食事 5
「気分はどうだ」
部屋を訪ねたギンは、手に持っていた水差しとカゴをテーブルに置いた。乾燥させたツルを編んだ、丈夫そうなカゴだ。中のフルーツとブレッドが見える。
昨日の夕食も食べていないためか、思い出したように空腹が襲った。
「どう見えます?」
食べ物から顔を上げて、彼を見る。
「良くもなく、悪くもない」
「……」
「訂正しよう。気分が優れない、そうだな?」
「そうですよ」
私がふくれっ面でそう言うと、ギンはイスを引っ張り出し、テーブルの前に腰かけた。
かと思うと、カゴからいろいろなものを取り出し、いそいそと準備を始めた。水差しを傾け木のコップに注ぐと、ブレッドと専用のナイフを取り出し、皿に切り分けはじめる。当然のごとくはじめた彼に、私は訝しげな視線を向けた。
が、この騎士には通じるわけもなく。一度ちらりとこちらを見ると、「座れ」と言わんばかりにどこかを指差した。目で追うと、部屋のすみにもうひとつイスが置かれている。
気分は優れなかったが、私は素直に座り、ギンの手元を見つめた。
窓の外から子供たちの元気な声が聞こえてきて、そっちにも目を引かれたが、やはりまた前を向く。
村に着いてはじめての朝。
常に気を張らねばならない森とは異なり、憂鬱で眠気が残る、けれど落ち着いた時間。ひきこもり生活以来の平和。慣れてない宿屋なので、もちろんすこし変な感じはするけれど、決して悪くはない。あとはあんな夢を見なければ最高だった。
切り分けられたパンに、バターもどきが塗られる。
「昨日、どうなったんですか」
私が簡潔に問う。
「あの少年のことか。心配はいらない」
「なぜそう言えるんです?」
呪いの一端を見られたというのに、目の前の男は平然としていた。私は気が気でないのに。その理由を、彼は淡々と語る。
「ああいう家庭は基本カネにこまっている」
「つまり、口止め料ってことですか。はは、やることやりますね、あなたも」
「『旅の費用の使い道はまかせる』。契約にあったからな。まあ口止めできなくとも、ここに滞在するのも明日までだ。そう
「なら、いいのですが……」
水のはいったコップに視線を落とすと、寝起きのだらしない顔が写っていた。
城に客人など来ないとわかっていて、顔を洗うのも
シャリシャリと皮を剥き、一口大にフルーツが盛り付けられる。
「ほら」
コト、と。
私の前に、皿が差し出される。薄く切ったブレッドが二枚に、フルーツが二種。とても健康的な食事に思えた。
空腹。
身体はそれをほしがっているのに、どうも気が進まない。
再び地面に触れてしまった恐怖。夢で見させられたトラウマ。フォークをとった手が、まだ震えていた。
その震えに気づき、さらに怖くなる。耐えきれない。
「ギン。私の手袋はどこ?」
きょろきょろと見回すが、それらしいものはない。
「乾かし中だ」
「そ、そう……」
改めて、朝食に目を向ける。
ごくりと喉がなったのが空腹のせいだけではないことを、ギンもわかっているのだろう。彼はじっと行く末を見守っていた。
再び、フォークを握りなおす。
ほんとうならブレッドくらい、手づかみで食べてしまうところだけど。今の私は、とんでもなく弱っているから。物に触れることさえためらってしまう臆病者だから。だから、多少食べにくくても、フォークをつかう。
「いた、だきます」
ふわ、と突き刺し、口に運ぶ。かぶりつくように。外側の部分が香ばしい音を立てた。
バターが、この村特有のブレッドを味付ける。それを舌の上で感じながらも、私は咀嚼できずにいた。しばらくものを口にしていなかったせいで、あご全体が衝撃に慣れない。噛みきれない。
だけど――なんだろうか、この感覚は。
胸の奥から、なにかが込み上げてきて堪らない。ただ噛みついただけなのに、この行為がとんでもなく私の内側を突き動かす。奥の奥底から、やさしく揺さぶる。
正体不明の感情に動揺しながらも、それに浸ってしまう。
「そのパンとフルーツ。少年とその家族からの差し入れだ」
ギンの言葉と同時に、フォークを握った手に熱いものが流れた。
噛みしめる。
ようやく咀嚼しはじめた私は、涙をこぼした。バターの味なのか、涙の味なのか、よくわからなかった。
「ん、っ、もぐ」
無言で手と口を動かす。
城で食べていたものとはまるっきり違う。ギンが森でつくってくれたものとも少し違う。もっと、もっと別種のおいしさが詰まっている。
暖かくて、優しくて、心が込められていて、こんな、こんな――。
「う、っ……ぐ……ぅ」
味が、するなんて。
バターもどきも、ブレッドも、フルーツも。この十年間でもっとも味がした。もっとも『食べている』と感じた。
こんなにも心温まる食事を忘れていたのか、私は。こんなにも深い優しさをもらったのか、私は。
もう少しで、殺していたというのに。
「よかった。気にいってくれて」
そうつぶやくギンだけど、私は泣きながら食べることしかできなくて。よくわからないまま、さらに嗚咽を増していった。手の震えも気にせず、次々とフォークを突き刺していった。
胸の奥にわだかまっていた冷たい何かが、溶けていった。
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