味のする食事 4

 目の前の人差し指と親指に、一輪の紫色が咲いた。


「お母様、これは?」

「これはね、奇跡の花よ」


 顔の見えないその人は、口元に笑みを浮かべると。そっと、奇跡の花を私の頭に飾る。

 細い指がくすぐったい感触をつくりだし、ぎゅ、と目を閉じる。

 髪をかきわけて、暖かい手のひらが撫でる。くしゃくしゃと、すこし乱暴にも思えるそれは、どこまでも幸福で。ずっと感じていたいと思うほどに、愛おしくて。


「お母様」

「ふふっ。あなたが大人になったら、きっと教えてあげるわ。この魔法も」


 大人になりたいと感じる反面、こうしていつまでも続けば良い、とも願っていた。




 目をひらく。


 ベッドの下で、自分の口を押さえ込む。ランプが絨毯じゅうたんに落ちて割れ、炎が広がるのが見えた。

 押し入った怒号はお母様を押し倒し、視線の先でもがく。しかし抵抗むなしく、鋭い切っ先は深々と貫き、悲鳴があがる。

 私を育てた顔が、隠れる私に向けられて。涙が絨毯に落ちて。

 やがて、その瞳は光を失った。

 大切なものを壊された。こうなりたいと目指していたお母様を、奪われた。安らぎの神を、殺された。

 歪む視界を閉じて、私もまた頬を濡らした。





 ゆっくりと、瞼をあける。


 見つめたさきの地面が、黒く淀んでいた。私の左足は靴を踏みしめ、右足はゆっくりと持ち上げられていた。

 たからものを奪った野蛮なヒトに対する、復讐心だっただろうか。

 目指したお母様のように、皆を守りたいと願う使命感だっただろうか。

 それとも、ただ単純に、無力な自分からの逃避だっただろうか。

 あるいは、その全てだったかもしれない。


 なんにせよ。

 お母様との約束を破ってでも、私は変革を望んでいた。


 つまんだドレスの汚れを許した。撫でる風の悲しさを受け入れた。やけどの痛みも耐えた。

 貴族としての在り方よりも、胸を焦がす焦燥を殺し、お母様の後継として踏み出すことを決めた。


 別れを言葉にこめる。

 歩んできた人生にさよならを。死んでしまった者たちへさよならを。残酷で無慈悲なこの世界にさよならを。

 呼応するように、大地はめきめきと産声をあげる。

 願わくば、生まれ変わった世界では。本のように、夢あふれる日々が待っていますように。


「サヨナラ」


 規模も驚異も知らない一歩だった。

 だけど、無力なままはイヤだった。

 命を奪うものに死を与えるために。命あるものに救いをさしのべるために。


 無知な私は、その罪をおかしたのだ。




◇◇◇




 目を覚ますと、木目の屋根裏が私をむかえた。

 ぼうぜんと一箇所を見つめる。無音の時間が刻々とすぎる。目に映るそこが現実なのだと、自覚はしている。だが、今し方見せられていた光景が鮮明に焼きついていて、得も言われぬ喪失感が支配する。

 とりあえず身をおこしてみた。

 誰もいない部屋。窓からはのどかな風景が見え、昼であることが窺える。どうやらここは宿屋の一室らしい。

 備えつけられたテーブルの上に置かれたセルマリーを見て、状況をなんとなく理解する。驚く少年の顔を思い出して、私は俯いた。

 手を顔に当てて、深くため息をつく。


「私は、また……」


 私の素肌が大地に触れると、そこは深い緑に覆われる。大いなる恵みという大災害で地表を上書きし、そこにあったすべてを自然の驚異で呑み込んでしまうのだ。手ならともかく、足だったらこの村もなくなっていた。

 コレは、物心ついたときにはすでに発現していたのだろう。お母様は「外に出ちゃだめ」と忠告してくれたが、私はお約束を守るばかりで、自分がどんな存在なのか知ろうとも思わなかった。十年前のあの日がくるまで、呪いがどんな恐ろしいものかも知らず生きてきたのだ。

 結果、故郷を生き残ったのは私ひとり。辛うじて生き延びた者もじき息絶えた。

 助けたいと願っていた人々すらも死へと追いやり、罪深き姫が完成した。


 ベッドから降り、テーブルの花を手に取る。

 羊皮紙より肌触りのわるい、ザラザラな包み紙で巻かれた花束。セルマリーが二輪、窓から差し込む光を浴びていた。


「お礼すらも言えなかった」


 そのとき、眺めている私の耳にかるい音が届いた。

 コンコンコン、と、三回。「どうぞ」と控えめに告げると、扉がゆっくり開く。


 相変わらず無愛想な兜をかぶったギンが、そこに立っていた。

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