味のする食事 2

 私に海を見せる。

 その依頼は、森を抜けてしまえばそう大変な内容でもないらしい。『いつまた緑に呑まれるかわからない』という危険が付きまとうとはいえ、過酷な地帯を越えた私たちは幾ばくかの安心感を胸に歩いた。

 ギンはなかなかの実力を持っている。それは森を越えた時点で明らかだ。あの勇者さえ殺めた森を往復したのだから、十分称えられてしかるべき。当の本人はそういうの、まったく気にしなさそうだけれども。

 ともかく、私は無愛想な護衛を頼もしく思っている。おかげで、こんなにも胸が躍る。

 まだ見ぬ世界。

 乾いた人生パレットに色を塗る感覚で、一歩一歩を運んだ。


 半日ほど歩いて到着した村は、私の瞳には一層輝いて見えた。


「わぁ……! ここがアレットですね!」


 アレットは、地図のちょうど西側に位置する小さな村だ。

 中央公国『マレクシド』を地図の真ん中に置き、北西が今日抜けた森。ギンの使っている地図では黒いシミのような描かれ方をしていた。もちろん、かつての故郷の名も消されている。アレットはそこから南下したところにあった。


 私とギンは柵のあいだを縫い、村に入った。

 懐かしさを感じる建造物があちこちに連なり、小さい扉から人々が出入りする。汗を流しながら畑をたがやす男性。ツルで編んだカゴをさげ、どこかへ向かう女性。ところどころの道ばたで風呂敷をひろげ、焼き物を売る商人。駆ける子供。馬がいれば、ネコもいる。生命の共存がそこにある。

 営みが、そこかしこに。

 私はその一つ一つに目を奪われながら、震える足で歩いた。


「なんて、懐かしい」


 微笑ましいと同時に、じん、と胸の奥が痛む。


「懐かしい、か」

「ええ。ここは私の故郷ではないけれど。それでも、かつて奪い去った景色を、再び目にすることができた。こんなに嬉しいことはない」


 すこし後ろを歩くギンは私に視線を投げかけたものの、なにも言わなかった。

 代わりに、私の方から口をひらく。


「ギン、私は悔しい」

「……」

「こんなにもすばらしい世界を、奇跡を、この足で奪ってしまったことが。私は私が許せません」


 談笑する人々も、転んで泣く子供たちも、働く誰かも、すべて取りこぼしてきたもの。それを見るたびに、私の胸を鋭い痛みが刺す。


「命を断って目をそらすことはしたくない。だからちゃんと見ることにしました。私が守れなかったもの、そのことごとくを目に焼き付けて生きます」

「そうか。君らしいな」


 私は立ち止まった。

 横を通り過ぎる背中を目で追う。


「君、らしい?」


 その一言に些細な違和感を覚え、首をかしげた。彼の人とナリは理解してきたとはいえ、そんなに長い付き合いでもないはず。まるでその口調は……。

 しかし訊くよりもさきに、ギンの呼び声が思考を遮った。


「こっちだ。世話になった宿屋がある」




◇◇◇



「失礼。二人、三日で頼む」


 後について宿にお邪魔すると、複数の視線が一斉にこちらに向く。

 思わず身を縮こませてギンの後ろに隠れてしまった。

 いかつい男数人がたまり場のように集まっていたのが、会話はぷつり。泥だらけの私とギンを中心に、時間がとまる。

 静寂をやぶったのは、カウンターにいたひげのおじさんだった。


「え、おまえ……この間の! 帰ってきたのか!? うおおお嬉しいぜ! 生きてまた会えるなんてな!」


 宿の支配人であろうその男は歓喜に満ちた顔をした。カウンターを乗り越え、ギンに駆け寄る。それだけではない。酒を片手に話し込んでいた、いかつい男たちまでもがワァッと私たちを取り囲むではないか。

 ギョッとしてギンのマントを掴むが、そのギンすらも驚いているようである。両手をあげて硬直している。


「おまえぇえええよく戻った!」

「もう二度と会えねえかと思ったぜこんちくしょうが!」

「はははボロボロだなあ! だがよし! 勇者をこえたお前を尊敬するぜ俺は!」


 こ、これは……すごい。

 ギンがこんなにも好かれているなんて。いえ、『好かれそうにない』という意味ではなく。ただこんなにも歓迎されるなんて思ってもみなかったのだ。人との交流を断って十年。久方ぶりの人と人のやりとりを間近で見て、呆気にとられてしまった。

 と、そんな私にも話の矛先は向く。


「嬢ちゃんのことかぁ? くだんの依頼人ってのは」

「えっ、あ、はい。多分……」

「これまたえらく美人な。よく生き延びられたなぁ」

「この甲冑やろうが行ってなければ死んでたとなると、なんだか感慨深ぇな」


 お、おおう。

 私のことも知られている。当然か、私が依頼書を飛ばしたのだから。きっとこの村の掲示板にでも貼られているのであろう。行く先々でこんな目にわなかったのが不思議なくらいだ。


「それより、手続きをだな……」

「おっとそうだった。荷物は運んでおく。近くの川まで汚れ落としに行ってきな。布と木桶も貸そう。嬢ちゃんの服は、」

「問題ない。こちらで用意してある」

「そうか」


 どこの誰か知らない男どもは、またテーブルに戻り、祝杯を始めた。宿屋のおじさんはてきぱきと動く。奥の部屋に引っ込んだかと思うとすぐに引き返してきて、必要なものを手渡す。

 ついでにおじさんはギンにぐいっと顔を近づけると、


「テメエ、濡れた身体でウチにあがんなよ? ちゃんと拭いてこいよアァン?」

「……」


 そう念入りに忠告。

 血走った目で睨むおじさん。かと思うと、態度を一変させ私にニコニコと笑顔を向ける。その落差に苦笑いを浮かべるしかなかった。

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