味のする食事 2
私に海を見せる。
その依頼は、森を抜けてしまえばそう大変な内容でもないらしい。『いつまた緑に呑まれるかわからない』という危険が付きまとうとはいえ、過酷な地帯を越えた私たちは幾ばくかの安心感を胸に歩いた。
ギンはなかなかの実力を持っている。それは森を越えた時点で明らかだ。あの勇者さえ殺めた森を往復したのだから、十分称えられてしかるべき。当の本人はそういうの、まったく気にしなさそうだけれども。
ともかく、私は無愛想な護衛を頼もしく思っている。おかげで、こんなにも胸が躍る。
まだ見ぬ世界。
乾いた
半日ほど歩いて到着した村は、私の瞳には一層輝いて見えた。
「わぁ……! ここがアレットですね!」
アレットは、地図のちょうど西側に位置する小さな村だ。
中央公国『マレクシド』を地図の真ん中に置き、北西が今日抜けた森。ギンの使っている地図では黒いシミのような描かれ方をしていた。もちろん、かつての故郷の名も消されている。アレットはそこから南下したところにあった。
私とギンは柵のあいだを縫い、村に入った。
懐かしさを感じる建造物があちこちに連なり、小さい扉から人々が出入りする。汗を流しながら畑を
営みが、そこかしこに。
私はその一つ一つに目を奪われながら、震える足で歩いた。
「なんて、懐かしい」
微笑ましいと同時に、じん、と胸の奥が痛む。
「懐かしい、か」
「ええ。ここは私の故郷ではないけれど。それでも、かつて奪い去った景色を、再び目にすることができた。こんなに嬉しいことはない」
すこし後ろを歩くギンは私に視線を投げかけたものの、なにも言わなかった。
代わりに、私の方から口をひらく。
「ギン、私は悔しい」
「……」
「こんなにもすばらしい世界を、奇跡を、この足で奪ってしまったことが。私は私が許せません」
談笑する人々も、転んで泣く子供たちも、働く誰かも、すべて取りこぼしてきたもの。それを見るたびに、私の胸を鋭い痛みが刺す。
「命を断って目をそらすことはしたくない。だからちゃんと見ることにしました。私が守れなかったもの、そのことごとくを目に焼き付けて生きます」
「そうか。君らしいな」
私は立ち止まった。
横を通り過ぎる背中を目で追う。
「君、らしい?」
その一言に些細な違和感を覚え、首をかしげた。彼の人とナリは理解してきたとはいえ、そんなに長い付き合いでもないはず。まるでその口調は……。
しかし訊くよりもさきに、ギンの呼び声が思考を遮った。
「こっちだ。世話になった宿屋がある」
◇◇◇
「失礼。二人、三日で頼む」
後について宿にお邪魔すると、複数の視線が一斉にこちらに向く。
思わず身を縮こませてギンの後ろに隠れてしまった。
いかつい男数人がたまり場のように集まっていたのが、会話はぷつり。泥だらけの私とギンを中心に、時間がとまる。
静寂をやぶったのは、カウンターにいたひげのおじさんだった。
「え、おまえ……この間の! 帰ってきたのか!? うおおお嬉しいぜ! 生きてまた会えるなんてな!」
宿の支配人であろうその男は歓喜に満ちた顔をした。カウンターを乗り越え、ギンに駆け寄る。それだけではない。酒を片手に話し込んでいた、いかつい男たちまでもがワァッと私たちを取り囲むではないか。
ギョッとしてギンのマントを掴むが、そのギンすらも驚いているようである。両手をあげて硬直している。
「おまえぇえええよく戻った!」
「もう二度と会えねえかと思ったぜこんちくしょうが!」
「はははボロボロだなあ! だがよし! 勇者をこえたお前を尊敬するぜ俺は!」
こ、これは……すごい。
ギンがこんなにも好かれているなんて。いえ、『好かれそうにない』という意味ではなく。ただこんなにも歓迎されるなんて思ってもみなかったのだ。人との交流を断って十年。久方ぶりの人と人のやりとりを間近で見て、呆気にとられてしまった。
と、そんな私にも話の矛先は向く。
「嬢ちゃんのことかぁ?
「えっ、あ、はい。多分……」
「これまたえらく美人な。よく生き延びられたなぁ」
「この甲冑やろうが行ってなければ死んでたとなると、なんだか感慨深ぇな」
お、おおう。
私のことも知られている。当然か、私が依頼書を飛ばしたのだから。きっとこの村の掲示板にでも貼られているのであろう。行く先々でこんな目に
「それより、手続きをだな……」
「おっとそうだった。荷物は運んでおく。近くの川まで汚れ落としに行ってきな。布と木桶も貸そう。嬢ちゃんの服は、」
「問題ない。こちらで用意してある」
「そうか」
どこの誰か知らない男どもは、またテーブルに戻り、祝杯を始めた。宿屋のおじさんはてきぱきと動く。奥の部屋に引っ込んだかと思うとすぐに引き返してきて、必要なものを手渡す。
ついでにおじさんはギンにぐいっと顔を近づけると、
「テメエ、濡れた身体でウチにあがんなよ? ちゃんと拭いてこいよアァン?」
「……」
そう念入りに忠告。
血走った目で睨むおじさん。かと思うと、態度を一変させ私にニコニコと笑顔を向ける。その落差に苦笑いを浮かべるしかなかった。
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