2章

味のする食事 1

 森を抜けたのは、それから二日後のことだ。

 視界のさきは常に木々が覆い尽くしていたのが、徐々に光を見せはじめたときは、走り出したい気分だった。

 はやる気持ちを抑えて、最後まで慎重に歩いて。ギンに続き、警戒を怠らず。ひしめく幹は数を減らしていく。比例して降り注ぐ日光も増える。足場をめちゃくちゃにしていたツタは落ち葉へと変わり、小鳥の鳴き声が私の耳を癒やす。

 そして――ようやく視界がひらける。


「これ、が」


 踏みしめた足元の感触が、変わった。土の匂いも、風の強さも、空の広さも、なにもかもが違う。

 私はぼろぼろな身体を気にもせず、目の前の世界に息を呑んだ。森とは打って変わって、そこにはのどかな草原が広がっている。かつて故郷へとつながっていたであろうけもの道が、導くように伸びている。

 世界はこんなにも広かったのだと、自分のちっぽけさを思い知った。


「外……」


 この景色を、私が最後に見たのはいつだっただろう。

 十年も城に閉じこもっていれば、幼いころの記憶も薄れてしまう。初めて見るわけではない。そのはずなのに、初めてのように感動を覚えている。

 靴を脱いだあの日を、後悔しなかった日はない。今でこそ、私は罪を背負っている。


「ねえ。ギン」

「なんだ」


 あっさりと青空の下を歩き出すギンに、問いかける。


「私、夢を叶えてもいいと思う?」


 いつからか胸に抱いた熱。

 羊皮紙の文字をなぞりながら想像した感触。

 お母様の『海の水は呪いを打ち消してくれる』という言葉を思い出し、カタチとなった夢。

 この素足で透明な水にかり、指と指の間に入り込む砂を感じ。

 誰も傷つけることなく、大地の感触を知りたい。


 ギンは、そんな私を振り向くと。


「無論だ」


 そうこぼして、また歩き出した。

 一度背後を振り返ると、そこはうっそうとした森が広がっているだけで、どれだけ目をこらしても何も見えなかった。もちろん私のいた城も。

 小さく「行ってきます」とだけつぶやき、きびすをかえす。置いて行かれないように、小走りに。

 ザリ、と厚底のブーツが砂をかく。

 森を抜けると一気に変な感じがする。あの植物だらけの魔境には合っていても、普通の地面だと違和感が拭えない。

 追いついた彼の背中に、その感想を投げかけた。


「歩きにくいですね」

「慣れが必要か。長年歩いてなかったからな」

「歩いてはいましたー。それにしても、この靴はすごいですね」


 植物に引っ張られても、水に濡れても問題ない。私の足にはちょっとごついけれど、そのぶん丈夫な点は心強かった。拘束具としても有用なこの靴だ、この先もカンタンに脱げるなんてことはないだろう。

 とはいえ、ずっと履きっぱなしなのでそろそろ脱ぎたい。

 いや、危険なのでここでは脱ぎませんが。街の宿にでも着いたら、水に浸した布で足を拭きたいものです。

 そんなことを思いながら、ギンと同じ方向へと歩を進める。

 森から出たばかりだからか、見えるところに街や村といった類いは見受けられない。


「街までどの程度です?」

「街はまた数日かかる。途中で村の宿を借りるつもりだ。そこで身だしなみを整えよう」


 身だしなみ……。

 怪訝な顔をした私だったが、すぐに気づく。


「あー……」


 全身が泥だらけであるということをすっかり忘れていた。否、慣れすぎて失念していた。

 そうですよね。人が暮らしている場所へ行くのですから、さすがにこの格好はマズイですよね。わかっていますとも。

 決して感覚が麻痺したとかではない。忘れるな、私はこれでも、一国の姫にあたる立場だったのだ。亡国とはいえ、貴族としての意識は持っていないと。

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