夢を叶える契約 7

 それから、ずいぶんと歩いた。

 三日、四日、五日。

 そしてついに六日目の夜。

 引きこもっていたお姫様である私は、とんでもなく無力で足手まといなのだと再認識していた。歩けばすぐにのどが渇くし、筋肉痛は抜けないし、足は棒のようだし、常に死ととなりあわせで進んでいた。生きている心地がしなかった。

 ギンが城に来るまでの道のりを引き返すだけ、とどこかで甘く見ていた自分を恨む私がいる。

 過酷で危険な終わりの見えない道のり。よくわからない毒液におかされかけ、もはや生き物とは思えない異形にも追いかけられた。城ほど気の休まる時間は微塵もない。そのすべての苦しみを耐えて、私は己の罪を受け入れる日々。


 だが、それも新しい世界であることに変わりはなかった。

 ギンは私の覚悟を理解してか、夜食に美味しいものを提供してくれる。なにも言わないが、励ましてくれているのだろう。

 今日も私は地べたに座り、きのこのスープを啜った。


「ぷふぇあ……」

美味うまそうに飲むようになったな」

「外の世界に順応してきた、ということでしょうかね」


 人の作った食べ物。人の与える温もり。十年間ふれていなかったものだ。

 ギンは火に木をくべながら笑う。


「お姫様がたくましくなったものだ」

「その呼び方、今はいいですけど、森を出たら言わないでくださいよ?」

「無論だ」


 お決まりの文句をきいて、私は微笑んだ。

 段々とギンのことが分かってきた気がする。無愛想に思えるのも、兜があるからなのだ。その下の表情を想像すると、すこしかわいいところもある。要はこちらの捉えようというわけだ。


 焚き火が爆ぜる。

 スープを飲み干してから、私はぼうぜんと炎を見つめていた。

 森の中で焚き火は危険じゃないのか、とは思ったが、すこし離れると木々の影に遮られ見えなくなる。深い森というのは、敵を見つけにくいと同時に、敵からも見つかりにくいようだ。煙の匂いはあるし、ある程度ちかづいてきた獣なんかは気づくだろう。しかし、こちらにはギンがいる。いつ寝ているのか、常に気を配り、私の安全を確保してくれる。頼もしい反面、心配なのは置いとくとして。

 ちらり、と横に目を向ける。

 ギンは転がっていた瓦礫に腰かけ、じっと炎を見つめていた。


「ギン」

「なんだ」


 名前を呼ぶと、声だけが返ってきた。

 炎に照らされる兜をしばらく見つめてみるも、動じない。面白みがないが、諦めて本題に入る。


「その背中の剣、大事なものなの?」


 ギンが肌身離さず背負っている長剣を指差す。

 彼の肩口から顔を覗かせるつかは、これといった装飾もほどこされていない、シンプルなものだった。それもそのはず。彼の剣はとても古いものなのだ。

 魔王が君臨する以前の時代の剣は、ただ『敵を斬るもの』に過ぎなかった。王家や由緒ある一家に飾られる、爵位しゃくいの高さを意味する剣が出はじめたのは、その数年後だ。ギンの剣は魔王全盛期の最中にも出回ったものであるが、それでも一昔古い。装飾は少ないし同じような見た目はたくさんある。

 『ギンがその剣に愛着を持っている』と踏んだのは、城に残る武器に目をくれなかったからだ。

 十年前に滅んだ国。その城の武器庫には、彼の剣よりまだマシな出来のものがたくさんあった。作成された時期を鑑みれば当然だ。

 今ギンが使っている剣は、十五年は昔のもの。対して、城の武器庫に残っていた剣は十年前に作られたもの。耐久性も切れ味も城にあったものの方が上のはず。

 だというのに、ギンはその剣を手放さない。


「これか」


 ギンが背中の剣を抜き、私に見せてくれた。

 改めて見ると、ところどころ錆びている。これでどうしてあんな切れ味なのか不思議でならない。専門ではないのだから当たり前だけど。


「そう、その剣。なにか思い入れでもあるのでしょう? よかったら聞かせてくださいよ」

「とくにないが」


 あっけらかんとして答えるギン。

 口にはしていないが、「なにを言っているんだこいつは」みたいな無礼な気配がした。


「じゃあなんで使ってるんですか? 城にもっと質の良い剣があったのに」

「使い慣れてるからだ」

「なるほど。ま、まあ言われてみればそう、ですよね。長年扱い慣れている方が……」


 それならば納得だ。

 なんだあるじゃないですか、思い入れ。「ギン、それを愛着と言うんですよ」って教えてあげたい。野暮というものなので言いませんが。

 ああ、なんかほっこりしてきたな。この人、なんだかんだこの剣を大切に思っているんだ。また人間味のあるいいところを見つけてしまっ――


「ちなみにこの森で拾った」

「浅い! 付き合いが浅い! それは使い慣れているとは言わない! しかも拾ったぁ!?」

「え、うん……」


 やめてよ縁起の悪い!

 この森で拾ったってことは、それ私が殺しちゃった誰かさんの持ち物だったってことでしょう? ちょっといやだヤメテくださいよ。


「むぅ」


 ギンの膝のうえの剣を睨む。

 こうして見ると、なにかのオーラが纏っている気がしてならない。


「怨霊とか、ないですよね?」

「……? あー、えっと。無論だ?」

「困ったら『無論だ』って言うのやめてくださいね。とくに今」


 チン、と剣を背中に戻すギン。

 私はほっと一息ついて、話題を変えることにした。森に入ったばかりのころは話題探しで大変だったけれど、数日もすれば距離感は固まる。話題も自然と浮かんでくるものだ。


「じゃあ代わりに私のこともひとつ教えてあげますよ。はいこれ」


 私は本を差し出し、ふふんとしたり顔をした。

 ギンはしばし見つめてから、手を布で拭いて受け取る。


「きっと気に入ると思います。読んでみるとけっこう面白くて、それだけは書庫から持ち出してきちゃいました」


 ギンが城を訪ねてきた日、ちょうど読み進めていた本だった。

 結構な分厚さがある。年季も入っていて、読み応えのある本だ。城での十年間、書庫の本を読みながら整理する、というのが私の時間のつぶし方だった。この本は寄贈されて棚の下の方に埋もれていた一冊だ。


「あ、ときどき読むのはいいですけど、挟まってる枯れ葉は捨てないでくださいよ? それしおり代わりなんですから」


 ぱらぱらとめくるギン。

 しおりのページも通り越し、かるく目をとおしていく。ふと、最後のページで目をとめた。


「『エマグレン・リルミム』……」

「城の書庫でも、その人の本はそれだけでした」


 エマグレン・リルミムは、私も知らない著者だ。

 少なくとも十年前においては、名前を知っている者はほとんどいなかった。メイドに一人だけ知っている人がいたけれど、それも著者としてだけ。

 どんな人なのか? なにをしている人なのか? 生きているのか? どこにいるのか?

 なにもかもが謎に包まれた誰か。実は合作の名前であって、エマグリン・リルミムという人物は存在しないんじゃないか、というのはメイドの談。もちろん、そのメイドも森に入っていって帰らなかったわけだが。


「恋の本、か」

「夢があるでしょう!?」


 その一言を聞いて、詰め寄る。

 ね? ね? と顔を兜に近づけると、ギンがびくりとした。

 それに構わず、私はページをめくった。彼の膝の上に置かれた本を、そのままに。


「私はここが好きなんですよ! ええとー、ほら、ここです!」

「あ、ああ」


 第三章、湖のほとり。

 王子との政略結婚を受け入れられず、湖のほとりで泣いていた主人公。そこに現れる、一人の男性。ひょんなことから知り合って、運命を感じる。

 せまる婚儀の日々に、ヒミツの関係が入り込む。


「いいですよねぇ。この背徳感。読者にしかわからない王子の闇。権力もない男の人が、主人公のためだけに動くその熱意。どっちに転ぶのかわくわくしませんか!?」

「お、おう」

「しますよね! こんなの現実ではあり得ないですけど、私も一度味わってみた――あっ」


 至近距離で兜が視界に入り、ピシっと固まる。


「――、」


 私は無言でギンから距離をとると、その場で正座した。

 ちょっと浮かれてしまった。


「まっ、まあ? 本なんて人の欲が詰まった娯楽の延長。そんな甘々な世界をつづるヤツほど、現実は暗いものですがね」


 ギンがしばらく私を見つめていたので、早口で取り繕う。それからすいー、と視線を外した。


「運命なんて金の卵より見つからないし、永遠ほど紙のように薄っぺらいことはないんです。これは私の持論ですっ」

「……ふっ」

「笑わないでくださいっ!」


 私はスープのなくなった器を投げつけた。

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