夢を叶える契約 6
直後、ジャキン、という音が混じった。
同時にふわりと、なにかが私を抱え込む。
私を殺さんとする慣性が弱まり、今度は別の方向に飛び出す。頬に吹き付ける風の向きが変わる。
目をあけると、私はお姫様だっこされる状態で、遠くを睨む兜を至近距離から見上げていた。
「ギン――」
「口を閉じろ、舌を噛む!」
続けてギンに抱き寄せられながら、重心がぐるぐるとまわり出す。
木々で溢れる坂の長い距離を、殺しきれなかった勢いのまま転がる。がさがさと耳障りな音が私を貫いた。押し殺した悲鳴も聞こえず、混沌に満ちた世界で、ただ耐えることしかできなかった。守られながら、助かることを祈った。
しばらくして、回転がようやく止まる。
私を守っていたギンの腕から解放されると、そっと目をあける。
ギンも私も土塗れになっていた。
せっかく洗った鎧は城を訪ねてきたときと同じ状態へと逆戻り。私の服も土と葉っぱで汚れきっていた。
「けほっけほっ」
止めていた呼吸の分、空気をとりこむと、咳き込んでしまう。
いきなりの混乱。そしてこの平和。あまりの落差に、私は夢をみていたのか? と目を白黒させた。
「わ、私、生きてる……?」
「その、ようだな。ごほっ」
「ギンっ」
同じく咳き込みながら身を起こすギン。
手を挙げて「問題ない」とこぼし、平気そうに立ち上がった。周囲をキョロキョロと見渡す。
「追いかけてはこない、か」
「さっきのは?」
「肉食植物だ。広範囲に張り巡らせたツルにかかった獲物を、引きずり回して息の根を止めて、最後は消化液のツボに取り込む」
「こわっ」
あのまま地面に叩きつけられてたら、今ごろ……考えると身の毛がよだつ。
「行くぞ。もしかしたらまだ探しているかもしれない」
私は服の汚れをすこしだけ払い、離れないように追いかける。今度は足元や周囲を警戒し、慎重に。
これが……私のつくりだした森。
ごくりと喉を鳴らす。さっきまでの恐怖が、未だに鳥肌立たせる。あと一歩遅ければ命を落としていたのだ。手のひらを見ると、小刻みに
押さえつける気持ちで、ぎゅ、と握り込む。
「油断はするな。ここは、かの勇者すら殺してみせた死地。気を抜けば命はない」
「危険なことは気づいていましたが、よもやそこまで……」
私は、どうしてこんなにも恐ろしい呪いを持っているのだ。
勇者を殺したのが魔王でも病でもなく、この森。それを生み出したのが一人の少女。世界はどうしてこんなにも残酷なのだろうか。数多の民を殺して、勇者までも手に掛けていたのか。
それなのに私は。いつまでも閉じこもって、現実から逃げるどころか、知ることもなく過ごして。なんと罪深い。街についたら道行く人に『勇者殺しです、ごめんなさい』と地に伏したい気分だ。
などと、独りでに気分を沈めていると。
「シッ」
突然立ち止まったギンが、左手で後方の私を制した。
空気が張り詰め、思わず口元を手で覆う。ギンも私も動きを止め、人間の発する音は自信の鼓動のみ。
ドクン、ドクンと早まる一方の動悸。視覚と聴覚で必死に周囲を警戒した。
ギンが、スラリと背中の剣を抜く。
頭上の枝、その隙間を縫って降り注ぐわずかな光に、錆びた切っ先が反射した。
「……」
「……」
きこえるのは……風の音、葉の擦れる音、聞き慣れた小動物の鳴き声。それから?
それから……いや、とくにこれといって――
シャン。
耳に届いた『斬った合図』。
振り抜かれた銀色の一閃が、弧となり空気を両断する。
「え」
耳鳴りにも似た一音に、私は反応できなかった。
しかし、数秒もせずに、結果はあらわれる。
「ガ、ア、アアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」
突然、横にあった木がズレる。しかしそれに驚くよりも先に、視界が赤い血しぶきで染まった。低く大きい悲鳴が耳をつんざいた。
ぼうぜんと見つめる幹の向こうに、顔が半分ない、四つ足のなにかがあった。
「――、」
音を立てて崩れ落ちる獣だったもの。顔の切り口から、赤黒い色がなおも噴き出していた。
一拍遅れて、私もへたり込んだ。
せり上がる酸っぱさを感じ、えづく。
「お、っ、ぇえっ」
今朝食べたものをぶちまける。気分の悪さは最悪だ。
立ちこめる血生臭さで吐き気はおさまらず、苦しさで涙が出た。ぐりんとした目玉が頭に焼き付いてはなれそうにない。
そんな私を、ギンは
しばらく歩いて匂いがしない場所までやってくると、私の口に水を含ませてくれた。冷たい液体が気分をすこしずつ和らげてくれる。
「ん、っ、んくっ……はぁっ、はぁっ」
「すまない、余計なものを見せてしまった」
「い、いいえ。あれは、」
まだ気分は優れない。思い出すとまた吐きそうになる。だが、私にも意地があった。
「あれは、私の罪なのです。だから目をそらすことはできない」
「それは違う。あな……スイがこの森を生み出したとはいえ、あの獣は別の、」
「あの獣が生きられる場所をつくりだしてしまったのが私の罪。それ以前に、私は大勢の人を殺している。この森は、我が故郷の、民の死体の上に広がったものなのですよ?」
汚れきった私の手のひら。地面の土を握りしめ、白い手袋は泥水を吸っている。ぼろぼろになった自分を「当然の
手の甲に、涙がぽたぽたとこぼれるのが見えた。
「これが私の罪でないのなら、いったい何なのですか……!」
やはり、こんな足いらなかった。
足でも生ぬるい。私は生まれてこなければよかった。親も従者も、故郷の人々は全部殺した。殺してしまった。私がいなければ生きていた命を、散らしてしまった。
私は私が許せない。
なぜあの日、靴を脱いでしまったんだ?
少し考えればこうなると分かっただろう。『外で靴を脱いではいけない』、そうお母様に言われていただろう。目先の大切なものだけを守ろうとした結果がこれだ。私はなにもかもすべてを、指の間から取りこぼしてしまった。失ってしまった。
やはり、本が証明しているとおりだ。
文字の世界はとてもキレイで、夢があって、素晴らしい。だがそれは、この残酷で無慈悲な現実から逃避した先人たちの足あと。私が城にこもった末に得た考えは、間違っていなかった。
そう考えれば――この苦しみは当然の報いと言える。
受け止めよ、タリシア・ミスタヴァニオ。これこそ私が見て見ぬふりをしてきた、くそったれな外の世界だ。
太ももに刃をあてがったことも一度ではないが、そのたびに夢を諦めきれずにいたのが私。ならば。
受け止めなくては。
「くっ……」
心配するギンの手をそっと突き返し、よろよろと立ち上がる。
それから、キッと前を向いた。
そうだ。
私はこの呪いを受け入れてこそ、夢をみる資格が与えられる。
歩きだす私の後を、ギンはなにも言わずついてきた。
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