夢を叶える契約 5
『魔王』という存在は、良くも悪くも強大な存在だったという。
いつ生まれたのか。どうして生まれたのか。その理由を、討ち倒された今は知る由もない。ただ、勇者なるものが生まれなければ人類はとうに滅んでいたことだろう。
付き従う魔族は勢力を増し、気づくと世界の半分の領土を奪われ。
魔王が死んだのは、七年ほどまえのことだ。
私が故郷を滅ぼしてから、三年後。ある日突然、魔法が使えなくなったのを今でも覚えている。もとより『マッチの代わりに指から炎を』『こまめに水を出せるのは窓拭きに便利』『ちょっと虫がいたので風魔法を』ていどの熟練度だったのだが、それなりにがっかりしたものだ。
魔王とは、その呼び名どおり『魔の王』を冠する。人間より魔力が多く、醜く身体が変形した魔族の始祖。そして全世界に魔法という奇跡をもたらした、超常の存在。ソイツを討ち取るということは、人類が利用してきた魔法をも失うと同義であった。
本によると、魔王が生前のころはとんでもない魔法があったようだ。
私が扱ってきた些細なものではない。知らなかっただけで、世の
『話題を生み出す魔法』とかいうふざけた魔法も、そのひとつ。
つまり何を言いたいかというと。
「……」
「……」
私は話題がほしかった。
前を行く騎士さま。草木をかきわけ、お
そも、あまり話さない寡黙なお方。私が口を閉じてしまえば、無言の空気が流れるのは自然のことだ。
「あの、騎士さま?」
「なんだ」
声が届きやすいように、すこし小走りで背後につく。
「契約書にしたサイン、あれは本名ですか?」
「無論だ」
「では、なんとお呼びすればよいでしょう?」
「……」
がさがさと木々を折り、邪魔な草を踏み倒し、騎士さまはすこしの間考え込んだ。
「ティルダン・ヒューマゼット」
「長いです」
いちいちそんな名前で呼んでられるか。
かといって騎士さまーとか、ティルさまーと呼ぶのは味気ない。
「じゃあ逆に、私のことは何とお呼びになります? ほら、本名はマズイじゃないですか。身分が身分ですし」
「……」
また考え込んでいるのが伝わってきた。
段々と、彼の思考が読めるようになってきた気がする。兜で見えなくとも。次いでに言うと、焦っているのも丸わかりだ。木々をかきわけるペースが落ち、視線も下を向いている。
やがてピタリと足を止めたかと思うと、こちらを振り返った。私もぶつかりそうになってつんのめる。
「スイ、というのはどうだろうか」
「ふむ。理由をお聞きしましょう」
「深緑の恵みをもたらすあなたに相応しい、と思った、のだが」
「ふぅーん……つまりは、色ですか」
立ち止まったまま頷く騎士さま。私はすこしだけ考えて、納得する。
なるほど、なかなか良いじゃないですか、スイ。
「まあいいでしょう。では私は騎士さまのことをギンと呼びます。よろしいですか?」
「ギン、か」
「へんな意地で鎧を脱がないからですよ。気に入らないなら兜だけでも脱いでみてください」
「……いや、それで構わない。騎士団を抜け出した放浪の身だからな。呼び捨てで頼む」
「あら、面白みのないひと」
いつかぜったいに素顔を見てやりますからね。
また前に向き直り、木々をかきわける騎士――ギン。その背中を見て、私はふふ、と笑ってから追いかけた。
そのときだった。
「きゃっ!?」
しゅるりと足に何かが巻き付いたかと思うと、突然視界が傾く。ものすごい勢いで、容赦なく引っ張られた。
直感が、遠くにある死を知らせた。
「たすけっ――」
見えている景色がぶれ、ギンの姿もあっというまに消える。地面に叩きつけられ、悶えるヒマもなく引きずられる。
全身をがさがさと枝がひっかいた。
硬い幹にもぶつかった。
肩は岩にかすめて鋭い痛みが走った。
なにかに捕まろうとして、なにもつかめない。がっしりと固定された足がちぎれるのではないかと思うほどの強さだ。顔に当たる鋭い葉と、巻き上げられた土。植物が確保していた雨水。そして擦られる背中。
全身を打つ衝撃に耐えながら目を開けると、森の奥に吸い込まれていく私の右足を、
「ッ、ぁ!」
なおも襲う痛みに耐えながら、身体を曲げてツルに手をのばす。
はやく引き剥がさなきゃ。このままでは、どこだか知れないずっと先へ連れ去られる。そうなれば生還は絶望的だ。ギンがいなければ、私は格好の獲物でしかない。獣に匂いを嗅ぎ取られ、為す術なく狩られて終わりだ。
嫌な想像に切迫し、冷や汗が溢れる。ぴっ、と葉先が頬を切る。
巻き付くツルを掴んだ――かと思うと、こんどは抵抗するかのように、大きく全身が振り上げられる。
地面をすべっていた小柄な全身は、いとも容易く飛び上がった。
死ぬ。
一瞬見えた、近づく地面。今いる場所が森の上空だということに気づき、背筋が凍った。
よくて骨折、わるくてミンチ。ああ、人生も捨てたもんじゃないと思っていた矢先にこれか。
あっという間に訪れた人生の終わりに備え、私はつよく目を瞑った。
「――ッ!」
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