夢を叶える契約 3

 騎士さまは表情を兜で隠していたが、驚いていたに違いない。


「……これは」


 感情を声色にのせて、銀色の首がわずかに下を向く。

 机の上には、紅茶も菓子も出されていない。そんな野暮なものなどは用意していない。私と一対一のこの時間、話す内容はすべて依頼についてだ。決して談笑するためではないのだ。

 代わりに、机は金貨の詰められた麻袋あさぶくろで埋まっていた。

 数にして十六。

 どれも溢れんばかりに入っている。口からのぞく硬貨に暖炉の炎が反射し、騎士さまの兜をチラチラと照らす。


「この城に残る全財産。私が持っているすべての金貨。これは報酬の一部です」

「……」


 無言の合間に緊張が走るのがわかった。

 高額の報酬がある依頼というものは、達成する難易度もたかいもの。詳しいわけではないが、これは世の常識だ。


「私をここから連れだし、海を見せるという依頼――この城へ来てくださったということは、受ける意思がおありととらえてよろしい?」


 さあ、どうだ。

 この騎士さまは、私の依頼を受けてくれるだろうか。ここまで来て「やっぱ帰ります」なんて言わないだろうが、念のための確認である。

 ちょっと変なところがあるし、断られてもおかしくない、と個人的には思っている。些細なプライドのために死地を往復しようとさえしたのだから。

 さて、応えは。


「受けよう」


 ――よし。

 無意識に口の端がつり上がるのがわかった。


「本当にいいのですか?」

「構わない」


 間髪入れずに頷く彼。抜けてるなぁ、というのが第一印象だったものだけど、やはり騎士だ。こんなにも頼もしいとは。


「では次にいきましょう」


 私は一枚の契約書を差し出すと、そのとなりに羽根ペンとインクを添えた。

 ここへ来たということは、ハトに届けさせた依頼書を街の掲示板で見かけたはず。つまり内容を把握した上で来ている。私はその依頼の内容を確認するように、騎士さまと言葉を交わしていった。

 旅の目的。

 私の立場。

 身分を隠すという条件。

 向こうは悩む素振りひとつ見せず、機械的に了承していった。


 きっと、私という存在はとてつもなく足手まといになる。この森での足枷は命取りだ。この男も理解をしていない訳ではない。だというのに、快諾かいだく。実力もあれば気も良い。なんてアタリなのだろう。私はツイてる。

 報酬につられてこんな森の奥まで来るのはどうかと思う。呼び寄せた自分でも。だけど、そんなおバカな騎士さまでないと、きっと私を連れ出してくれない。

 ふくらむ期待にどきどきしながら、私は続けた。

 暖炉の炎が揺れ、紅茶があればとっくに冷めるほどの時間が経った。

 二人の問答は少しずつ減っていき。やがて、契約書のいちばん最後、留意しなければならない項目に行き着く。

 私に出した依頼の、もっとも異常で難しい条件。

 ただ強いだけではつとまらないであろう理由。


「では、最後」


 震える声を押し殺し、ひと刺し指で最後の一文をなぞった。


』。


 きっと、断る可能性があるとすればここのみ。

 私はこの一文を、依頼書に記載しなかった。

 なぜか?

 理由はカンタンだ。載せれば私のもとへは誰もこないからである。


 十年前。

 ひとつの巨大な王国が滅び、同時にその地は深緑に覆われた。

 生命も、住居も、炎も、なにもかもを呑み込んで、自然の驚異が上書きした。人の生きていた証のほとんどは木々にすりつぶされ、たったひとつ残ったこの城も監獄と化した。誰もやってこない、獣と危険な植物だけが広がる魔境へと変わった。

 突如として起こった災害を、生き延びた者はいない。

 だというのに、その森の奥深くから依頼書が飛んできたとなれば、街の役人はさぞ驚いたことだろう。依頼を張り出し、実力者を募ったに違いない。

 だが、そこにこの一文があったらどうだ。

 森の奥から助けを求める誰か。ほかでもない依頼主が、死の森を創り出した張本人。それを知って、誰が人を寄越よこす?

 『私に大地を歩かせてはいけない』。

 そんな条件を受けてなお、来てくれる人などいただろうか。


「……」


 私は黙って騎士さまの反応を待った。

 彼は契約書の一文をじっと見つめ、なにかを考えていた。

 悩むのも無理はない。彼は依頼書に載っていない条件を今更になって突き出されているのだ。ただでさえ往復は命がけだというのに、騙されたのだ。『タリシア・ミスタヴァニオ』という、卑怯でズルい女に。

 申し訳ないと思う。夢のためにウソをついた私は、罪深いと思う。それでも、私はこの森を出たいのだ。憧れているのだ。

 外の、世界を、見たい。


「……」


 刻々と過ぎる無言の時間が、とんでもなく長く感じた。

 相手が一文を見つめている最中、私は縮こまる気持ちで返答を待っていた。

 彼は、この騎士さまは、怒るだろうか。憤慨ふんがいして、私を責めるだろうか。投げ出して帰ってしまうだろうか。思えば、さっきもひどいことを言ってしまったかもしれない。この騎士さまは足を踏み外した私を助けてくれたのに。今だってそう。茶菓子のひとつも出さず、依頼のことばかり。

 気持ちが急いていたのかもしれない。私は騙して呼んでおきながら、なにも詫びていない。きっと契約など結んではくれない――。


「わかった」


 小さく呟かれた言葉に、私は顔を上げた。

 騎士さまが羽根ペンをインクにつけ、さらさらとサインしていた。


「――、」


 呆気あっけにとられていた。

 何事もなかったかのように受け入れた彼が、神に思えた。


「え、なん、……?」

「『なんで』、か」


 そうだ。なぜ受け入れた。

 私はこの故郷を滅ぼした張本人だというのに。何人もの命を奪った罪人だというのに。それを明かした、爆発物のような存在なのに。


「理由はいくつかある。が、決め手はひとつだ」


 羽根ペンを置き、騎士さまは指を持ち上げた。

 私の顔を差し、くぐもった声で告げる。


「あなたの表情に出ている」


 思わずぺたぺたとほおを触る。しかし鏡でも見ないとわからない。

 そんな私に、騎士さまは続けて言う。


「外、見たいのだろう?」

「――!」


 事もなげに立ち上がる騎士さま。契約書を丸め、筒にいれて懐にしまう。その姿は、私の目には王子様のようにも見えた。

 思わずこちらも立ち上がって、頭を下げる。


「あっ、ありがとうございます!」

「その言葉は、海を見てからに取っておくといい」




 鎧を脱がない騎士さま。

 亡国の姫、タリシア・ミスタヴァニオ。

 私たちの邂逅は平凡で、本のように夢あふれるものではなかった。




 それでも――私はこの日、ようやく一歩を踏み出したのだ。

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