夢を叶える契約 2

 なぜそこまでして引き返そうとしたのか、と疑問に思ったものだが、その理由はすぐに察した。

 私が「甲冑を洗うので脱いでください」と申し出たというのに、この騎士さま、かたくなに脱ごうとしない。

 変なプライドを持っていた。

 つまり、こうして脱がされることを予想して、一旦引き返そうと考えたらしい。普通に考えて、おかしいと思った。もう何年も引きこもる私でさえも。


「どうしてもお脱ぎにならないのですか」

「どうしてもだ」

「では、城内をその泥だらけでガシャガシャ歩き回るおつもりで?」

「……むぅ」


 この調子である。

 なんなのでしょうこのプライド。そんなに容姿に自信がないのか、それとも見せられない理由があるのか。

 もしや人間ではないなんてこともあり得るか。

 何年も過ぎた外の世界は、もはや私にとって未知。どんな獣がいるのかも、本の知識を超えることはない。この騎士だって、中身は空っぽかもしれない。空っぽでなければお菓子が詰められているかもしれない。そう考えると、読書家の私にとっては少し夢がある。

 もちろん冗談だけど。

 いちおう敵意はなさそうだし、礼儀もそこそこ? あるようだし。魔獣とかではなさそうだし。なので仕方なく、私と騎士さまは廊下が汚れることを承知でバルコニーまで移動した。

 どうして広い場所へ来たのかは言うまでもない。脱がないと言うのなら、丸ごと水洗いするまでである。とはいえ外に出るのは危険なので、仕方なく二階のバルコニーを使うことにしたのだ。くさっても城、パーティーを開けるくらいの広さはある。

 私は倉庫からボロいイスを引きずってくると、日当たりのいいバルコニーに座らせた。遠慮しながらも従ってくれた彼を見届けると、今度は一階から二階への往復である。


「ゴボボボボ」


 この世界から魔法が消えてもう長い。水をかけるにも一苦労。

 騎士さまにバケツを運ばせると廊下が汚れるので、力のない私自らが行き来した。くだって、裏口の井戸から水をくみ上げ。のぼって、水をぶっかけ。それを繰り返し、私は運動不足を呪った。

 対する騎士さまはというと、兜の中に水が一時的に溜まり、溺れかけるように声をあげていた。男としての意地か、耐えていたけれど。

 記憶どおりの騎士のありかたにため息をつきながら、私はまた階段を往復した。

 それを四度ほど繰り返したころだっただろうか。


「くっ。なん、で私がっ、こんなことをっ……あっ」

「おっと」

「あ、あれ」


 階段から転げ落ちそうになったところを、騎士さまが支えてくれた。しかも社交的に、腰に手をまわして。

 私は目を白黒させる。


「大丈夫ですか? あらかた泥は落ちたので、あとは私が自分で――」


 至近距離で近づく兜。不思議なことに、視界確保のための穴の奥は、暗い漆黒に包まれていた。加えて、声音も体格も知らないもの。いや、正しくは忘れてしまっていたものだ。

 自分以外の人間。

 この牢獄とも遜色ない場所で生きてきた私にとって、彼はどこまでも『外の生命』だった。

 ふと我に返り、そっと体勢を整える。感謝も伝える。それからバケツをそこに置き、


「なんでバルコニーにいないんですか」


 私は腰に手をあてた。


「えっ」


 ビシッという音が聞こえそうなほど、騎士さまが硬直する。


「あーっ、廊下が水浸しじゃないですか! どうしてくれるんですか!」


 鎧というものは存外にも水を吸う。乾かしてもいないのに城内を歩き回る騎士さまに、咎めるような目を向けた。

 それを受け、硬直した彼はようやく背後を振り返り、さらに落ち込んだ。人間味があり、密かに胸を躍らせてしまう。


「こ、れは、その」

「それと、鎧を脱がないあなたは入念に洗わせていただきますので! ほらバケツ持って!」

「……はい」

「そしたらイスに戻って水浴びる! 空になったら置いといてください、私はぞうきんを持ってきますので!」


 尻を蹴る――ことまではしないが、気分はそれくらい立っていた。

 従者も親もみんな消えてからこっち、こんなにも手間のかかる仕事を増やされたのははじめてだ。

 まぁ、ちょっと嬉しくもあるけど、それはナイショ。

 水をかぶり乾燥を待つ騎士さまを尻目に、私は廊下を拭く。


「まったく」


 必死にニヤけるのを我慢した。

 かつての姫ともあろう私が、まさか廊下の雑巾掛けをすることになるなんて。

 幼少期に従者に押し付けた罰が下ったのだろう。そう考えれば、いささか面倒な後始末もそこまで理不尽には思わなかった。

 むしろいつも経験しないぶん楽しくさえあった。




 しばらくして戻ると、椅子に座った騎士さまはボーッと森の彼方を見つめていた。日にあたり、銀色に反射した光が少しまぶしくて、目を細める。

 顔は見えない。どんな表情で景色を見ていたのかもわからない。ただ、体重を預ける背中はどこまでも親近感を覚える。長い時間をかけ、遠いところから来たのだとわかる。

 なにを考えていたのだろう、と、思った。

 彼が見つめていたのは、ただ目に写る世界ではなく、もっと別のどこかなのだ。そう感じさせた。

 と、こちらに気づいたのか、兜が振り返る。

 目元は見えないが、ばっちりと視線がぶつかった。


「そろそろいいですか? 十分に乾いたと思うのですが」

「え? あ、はい。ではこちらへ」





 騎士さまとの邂逅かいこう

 それは、引きこもって生きてきた私の、人生の新たな門出。

 新たな一歩を踏み出すため。止まった時間を抜け出すため。

 彼をここへ呼んだのだ。


 暖めた談話室に通すと、彼は長机を挟んだ片側にガシャリと腰を落とした。

 私も向かい合うように座り、


「では、話しましょうか。騎士さま」


 優雅な姫らしくもなく、ほくそ笑む。


「依頼の内容と、報酬について」

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