第二話 電話を鳴らした
会社に有給を消化しろと指摘されて、仕方なく入れた平日の休み、正しい過ごし方が分からないまま自宅で過ごしている内にお昼になっていた。
積ん読していた漫画もあらかた読んでしまい、今からどこかへ出かける気力もなく、ごろりとソファーで横になる。
ぼんやりとしていると、先週末に同窓会があったことをふと思い出した。
生まれ育った町から出たことが無いので、今年も参加した。そして、宮田は今年も来なかった。
宮田とは同じ漫画研究会に所属していて、親友ともライバルともいえる仲だった。
しかし、卒業後に宮田は上京し、それ以来一度も会っていない。メールのやり取りはちょくちょくあったが、それもいつの間にか途絶えていた。
だから、同窓会に参加した元クラスメイトから、「宮田は来ていないんだ」という話が出た時は息を呑んだ。
「東京だから来れないだろ」
「あれ、知らなかった? 宮田の母親が、手を骨折して、その看病で、今帰っているんだって。何か月か前の話だけど」
「へえ、初耳」
なんで宮田は俺に言わなかったんだ、という気持ちを押し殺して、何とかそう返した。
しかし、そのクラスメイトが、「俺のお袋、宮田のお袋と仲いいからさ」という話を聞いて、酷くほっとしている自分がいた。
「実家に帰っていたとしても、参加できないでしょ」
クラスメイトのその隣にいた女性が、口を挟んできた。
シャンパングラスを仰ぐその胸元の名札を見て、生徒会の子だったことを思い出す。
「え? なんで?」
「宮田君、超有名人よ。今、漫画家になっているの」
「うっそ、マジでっ!」
クラスメイトが、大声で叫ぶ。
それに驚いた他の参加者が、ぞろぞろと集まってきた。宮田の話題だと分かると、何人かが納得したように頷いていた。
「ああ、宮田君ね。プロになったよね」
「弟が読んでて、面白いらしよ」
「うちの生徒たちも言ってた。アニメ化するかもしれないくらい人気だって」
俺は、愛想よく頷くことも忘れて、その場に立ち尽くしていた。
周りの声や風景に、もやがかかってしまったように思えてくる。
宮田の漫画だと言われていたのは、俺も読んでいる、少年漫画の月間連載作品だった。新刊が本屋で平積みにされるほどの人気作でもある。
ペンネームを使っていたこともあったけれど、高校生の頃の宮田の絵と、だいぶ変わっていたから気付かなかった。
そうか、宮田は漫画家になったのか。
教えてもらえなかった寂しさよりも、悔しさの方が強い。
俺がとっくの昔に諦めた漫画家になるという夢を、あいつはいつの間にか叶えていた。
だが、その事をずっと誰にも言えずにいたことや、実家に戻っていたことを隠していた理由も、なんとなく察しがついていた。
もしも、先週の同窓会に参加したら、宮田はあっという間に同級生たちに囲まれたのだろう。
「印税って、どれくらい貰っているの?」
「編集部って、厳しい?」
「どんな風に書いているの?」
「アシスタントは何人いるの?」
「サインちょうだい」
ヒーローインタビューよろしく、様々なことを訊かれることは想像できた。自分の作品を読んだことも無い相手から、そんなことを言われたくは無いだろう。
高校時代はマンケンでぱっとしない印象だった宮田だが、漫画家になって脚光を浴びたいという訳ではないはずだ。
……そんなことを考えた後で、一会社員の俺と宮田とでは、大きな断絶があることを自覚して、深く沈んでいくような気持ちになった。
でも、俺は宮田と会いたかった。ちょっとでも、話をしてみたかった。
気が付くとソファーに腰掛け直し、前のローテーブルに置かれたスマホに手を伸ばしていた。
俺は、宮田に電話してみようと思った。お互いに携帯を持っていなかった高校生時代からの付き合いなので、彼の自宅の電話番号は暗記していた。
番号を押した後で、スマホに耳を当て、じっと呼び鈴の音を聞く。
ガチャリと、電話が取られた音がした。
『はい、どちら様でしょうか?』
聞こえてきたのは、初老の女性の声だった。宮田の母親だ。
俺はほっとした気持ちとがっかりした気持ちがない交ぜになったまま、口を開く。
「あ、あの、私は真壁と言います。章生くんの高校時代の友達で」
『あら、真壁君? 懐かしいわね、元気だった?』
宮田の母の、驚きながらも嬉しそうな声が電話越しに聞こえてきた。
俺は自分のことを覚えていてくれたことを意外に思いながら、「ええ、まあ」ともごもご答える。
『せっかく電話してもらったけれど、章生は今、出掛けているのよ』
「ああ、そうでしたか」
少しがっかり色を出しながら頷き、そのまま挨拶をして電話を切ろうと思ったが、その前に宮田の母親の方から話しかけられていた。
『ところで、真壁君は今、何をしているの?』
「あ、私は今――」
急激に喉が渇いていく感覚がした。
「……保険の会社で働いています」
『そうなの! 偉いわね。うちの子は漫画描いてばっかで、それが仕事と言ってもね、不安定で心配なのよ』
むっと不機嫌そうな宮田の母親の声に、機械的に相槌を打つ。
高校生の時に、宮田が「母さんは漫画嫌いだ」と話していたことを思い出した。それは今も変わらないらしい。
一方で俺は、自分は何をやっているんだという恥ずかしさを感じていた。耳の中まで熱い。
興味の無かった保険業界に入って、もうすでに絵を一枚も書かなくなっているのに、しがみつくように漫画ばかりを読んでいる。
……宮田の母親との会話は、適当に切り上げて、俺は電話を切った。
しばらくぼんやりとソファーに座っていたが、立ち上がり、本棚の中の一冊を手に取る。
それは、宮田の連載作だった。パラパラと読まずにめくってみる。
絵柄は当時とはまるで別人なのに、どことなく懐かしさを感じられる。吹き出しの形に、高校時代の名残りがあった。
なんとなく眺めているだけのつもりだったのに、「あのセリフがもう一度読みたい」と思ってページを巡り、いつの間にか真剣に読みふけっていた。
そのため、テーブルの上に置いたままだったスマホが突然鳴りだした時に、飛び上がるほどびっくりした。
画面を確認する。先程かけた、宮田の実家からだった。
帰ってきた宮田が、母親に電話をかけるように言われたのかもしれない。そんなことを考える間もなく、右手の指はスマホの画面をスライドしていた。
「もしもし?」
『もしもし、真壁か?』
「あ、宮田、久しぶり」
懐かしい声が、電話口から聞こえてきた。
さほど変わりなさそうで、心底ほっとした気持ちが自分の声に溢れてしまう。
『何か用があったのか?』
「用ってほどじゃないけれど、……なんか、同窓会も来なかったみたいだし、元気にしてい
るのかなって思って」
言われて見れば、特に用事もないのにかけていなかった。
意味もなく電話するなんてことがあり得ないのだと、お互い大人になったんだと意識してしまう。
『そう言えば、同窓会、あったね。……色々あって、行けなかった。ごめん』
「それは別に攻めていないけどさ」
宮田のぼんやりとした言葉に、少しだけ、語気を荒げていた。
俺たち親友だっただろ、そんなこと言うなよと、泣きたい気持ちを押し殺そうとしたからかもしれない。
『ごめん』
「もうそれはいいけど、おばさんの調子はどう?」
『うん。大分良くなっているよ』
こういうことは、先程宮田の母親本人と話した時に言うべきだったが、咄嗟に思い付いたことを訊いていた。
返事をする宮田に、多少ほっとした気持ちを感じてしまい、俺は妙に焦ってしまう。
「……今度さ、会って話したりしないか? メアドは変わっていないから、好きな時に連絡
してくれ」
『そうだね』
しかし、今本当に言いたかったことを口にすることが出来ずに、俺はそう話していた。メールだったら言えるという訳でもないけれど、ただ今は宮田との繋がりを失いたくは無かった。
宮田の返事は、やはり心ここに在らずと言った様子だったが、それでも肯定してくれたことが嬉しかった。
「じゃあ、また今度。メール、待ってるから」
『わかった。電話、ありがとう』
宮田がお礼を言って、受話器を置いた。
俺の本心が、彼に届いてくれたことを信じながら、俺の方も電話を切る。
それから何もせずに、じっとスマホの黒い画面を眺めていた。
宮田の声を思い出す。元気そうだったが、どこか疲れも滲んでいたような気もする。
ふうと、溜息をついていた。
いつの日か、宮田と会う日が来るのなら、その時は「お前の漫画、面白いぞ」とはっきりと言おう。そう、心に決めた。
二回の電話 夢月七海 @yumetuki-773
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