第38話
〜ウィリー視点〜
私たちは暗い森の中へと足を踏み入れていた。
辺りは自分たちで持っている松明の灯り以外に場を照らしてくれるものがなく、強いて言えばうっすらと幻想的な月明かりの雨が木々の間から差し込まれるくらいだ。
そんな私たちの明かりに照らされる顔は皆一様に重い。それもそのはずではある。
皆リンを追って村を出たものの、その手にあるのは凡そ戦いには向かない農耕具に護身用の安物の剣だ。これでは大切な人——私の場合は娘だが——どころか自分たちの生命すら守れるのかどうか分からない。
しかしそれでも私たちの足はどれだけ重くなろうが止まることはなかった。きっと皆同じ想いを持っていたからだと私は思う。
辺りを必要以上に警戒し、物音に察知しやすくなるようにするためか無意識のうちに皆沈黙していた。
「なぁ……本当に無事にいるんだろうか……」
「おい、突然何言ってんだ」
「だってよ、考えてもみろよ。あいつらは『ゴブリン』に攫われちまったんだぞ? 攫われてからだいぶ時間も経っちまった。もう『ゴブリン』共に襲われちまってヘタすりゃ殺されてるんじゃねぇかな……」
私はそんなことを言い出した奴の胸ぐらを掴んだ。
「そんなことはない! 絶対にない! 馬鹿なことを言うなッ!」
そいつは胸ぐらを掴まれながらも反論する。
「絶対にないってなんで言い切れるんだよ! 何か確証でもあるのかよ!? 俺にはねぇ! 『ゴブリン』に攫われて無事だった奴の話なんて聞いたことねぇぞ!」
「それは……」
私はうまく言葉を返せなくて口を噤んだ。
「ほら! 確証なんてどこにもねぇんだ! 俺の妻もどうせ帰ってこねぇんだ! このまま『ゴブリン』共のところに行ったって俺たちも『ゴブリン』の餌になるにちげぇねぇんだ……! そうだ、絶対そうだ! お、俺はまだ死にたくねぇからもう帰る!!」
バッ、と私の掴んでいた襟が私の手からすり抜け、その隙にジョンが私たちのきた方向へと駆け出す。
「おい、待て——」
ジョンに再び手を伸ばすもののその手は空を切る。そしてこのやりとりが決め手になったのか、数人がジョンに賛同し森から逃げだす。
待ってくれ、そんな事言われて逃げられたら私だって心が折れてしまいそうになる!
しかし言葉にはできない。すればその瞬間私の心も恐怖に支配されてしまうだろう。
どんどん遠ざかる仲間たちの背中が私にも逃げろと囁いてくる。
乗ってしまおうか。
そんなことを考えてしまった瞬間。
「俺は逃げねぇぞ!」
何者かが声を上げる。
「アンガスくん……」
「お、俺は絶対に逃げねぇ! アーリィを、必ず助けるんだ! リンなんてよそ者に任せてなんておけるかぁ!!」
それはきっとアンガスくん自らを奮い立たせるための言葉だったのだろう。しかしそれは悪魔の囁きに耳を貸し出してしまいそうな私の心も引き止めてくれた。
「アンガスくん、助かったよ」
私はアンガスくんに心からの感謝をした。
「は? 別にアンタの為じゃねぇし! そ、それより早く行こうぜ!」
そう言いながらアンガスくんは私の背中を前へ前へとぐいぐい押してくる。
まさか私を盾にしようと?
「アンガスくん、そんなに押さないでくれないか?」
「べ、別に押してねぇし! アンタの気のせいだ!」
ふむ。前々からずる賢いような小賢しい一面はあったけれどこれは露骨だなぁ。
でも、誰かを盾にするのは自分が弱い、と理解している証拠でもある。つまりそこまでしてでもアーリィちゃんを助けたいんだなぁ。
前々からアンガスくんがアーリィちゃんのことを好きなのは皆が知るところではあったが、毎度毎度行為の伝え方がまどろっこしかったり、ひねくれていたりするものだから最終的にアーリィが怒る、と言う結果で終わっていた。だからアーリィちゃんはアンガスくんが自分のことが好きだとは微塵も思っていない。
もしかしたら今回こそは好意が伝わるかもしれないが、もう遅いかもしれないな。
「とりあえず、アンガスくん。自分で歩くからもう押さないでくれないか?」
「は? やめたらどうせアンタも逃げ出すんだろ! 絶対やめねぇ!」
「えぇ〜、どうしようかな……ん?」
どうやってやめさせようか考えていると、ふと前方に何かが倒れているのを発見した。それをみた瞬間私はその物体まで駆け出した。
「おわっ!?」
後ろでアンガスくんがバランスを崩して転倒したような音が聞こえたが今は気にしない。倒れているもののそばに近寄るとそれがなんなのか理解した。
「これは、『ゴブリン』か……? 何か被ってる……『ゴブリン』の上位種……?」
私が発見したのは『ゴブリン』の死体だった。すぐさま他の村人たちを呼ぶ。瞬く間に皆が集まった。
「こいつは……、『ゴブリンアサシン』だぜ」
「アンガスくん知ってるのかい?」
「ああ、うちにある図鑑でチラッとみたことがある。『ゴブリン』の上位種だぜ、こいつ」
「そうなのかい? じゃあ辺りにまだいるかもしれないな。気をつけていこう」
集まった村人たちに確認すると皆賛同した。
少し歩くとまた『ゴブリン』らしきものが倒れている。近寄って確認すると『ゴブリンアサシン』だった。
「また死体だ……。どうなってるんだ?」
「もしかして、リンという若者が倒した奴なのか?」
そう考えるのは私だけではなかったようだ。『ゴブリンアサシン』の死体の傷口を見ても素人目でもこれが同一人物なのはおそらく間違いない。
さらに進むと今度は集団の『ゴブリン』の死体があった。
「また死体だ。うわぁこいつすげぇ……」
かなりグロテスクな死体を見て顔を顰めながらアンガスくんが慄く。
「ああ、これもやっぱりあのリンくんがやったのだろうか」
もし、そうならば……。
段々と私たちの顔に希望が戻ってきていた。私たちが束になっても勝てるかわからない『ゴブリン』の上位種を容易く圧倒する力を持つ人物が味方にいるのだ。そう思うとだんだんと足取りが軽くなっていた。
「おい、あれ見ろよ!」
「うわっ、すごい……!」
数匹の固まった『ゴブリン』の死体を見つけた後は前進するたびに、『ゴブリン』の死体が視界に入る。そしてその感覚がだんだんと狭くなっていった。まるで行くべき道を指し示すかのように点々と存在していたのだ。
そしてここまでくると、一緒にここまできた村人たちの心は羽のように軽くなっていた。
「おい、これもしかして……」
「ああ……!」
無事だ、と断言する者はいないが似たようなことを皆考えていた。かくいう私の心も暗雲を晴らしていく。
「くそッ、悔しいけど、すげぇ……!」
アンガスくんも強張った顔が徐々にほぐれてきていた。
「リンって奴すげぇな……!」
「なー! こんなに強いとは思わなかったよ」
「先に逃げて帰った奴ら驚くだろうな」
「だな、どうせ死んだと思ってるだろうし、なぁ帰ったら先に逃げてった奴ら全員ぶん殴ってやろうぜ!!」
「ああ、言われなくても絶対そうするわ。ついでにジョンの嫁にはあいつが真っ先に逃げたこと告げ口しなきゃな!」
「おおそりゃあいいな!」
「全く、みんな緊張感をどこにやったんだい……?」
そんなことを私は口に出しながらも笑っていた。まだ助かったわけじゃない、けどリンの存在が私たちの心を軽口が叩けるほどに軽くしてくれていた。
こんな調子で歩いていた私たちは愚かだったと言わざるを得ない。何故なら森に入った直後の
「おい、あれなんだ?」
「ん、灯りか?」
「お、見ろよあれ!」
誰かが正体不明の灯りを見つけた。傍らにいた者がその場に転がっているものを遠目に見つけた。
ガサガサと草葉をかき分け正体に迫ると、そいつらは『ゴブリン』であることがわかる。
「おい、こいつも『ゴブリン』だぜ……! こんなデケェ『ゴブリン』初めて見たぞ……」
「一丁前に鎧なんて着けてやがる」
「こんなバケモノみたいな奴もリンって奴は倒せるのか、すげぇな……!」
「おい、どけ俺にも見せろ!」
そう言ってアンガスくんが割り込んでいく。その隙に私もその囲っている集団の中にお邪魔する。
「え、マジか。こいつらは『ゴブリンガード』だ! うわすげぇ……!」
「『ゴブリンガード』? アンガスくんこいつの強さわかるのかい?」
「ああ、こいつらの肌の色青いだろ? 『ゴブリン』の進化種の上位種だぜ……! しかもこいつらは『特別討伐対象』だ。かなり強いはずなんだ。少なくともマジでここにいる俺たち全員が束になっても勝てねぇ、そのぐらい強い」
全員の喉がゴクリとなる。
もし、私たちが到着した時にこいつらが生きていたら。
私含め全員そんなことを考えたのだろう。少なくとも私は今この場にいないリンくんに深く感謝した。
アンガスが口を開いた。
「こいつらがここにいたってことはこの洞窟の中が『ゴブリンのアジト』ってことで間違いはないはずだ。みんな、いくぞ!」
意気揚々とアンガスくんが先頭切って洞窟の中へと足を踏み入れた。ズンズン進んでいくアンガスくんを見て負けじと私たちも足を踏み入れた。
その無用心が私たちにとっては致命的だった。
最初に気がついたのは誰だったのだろうか。誰かが声を上げる。
「……ん? なんか聞こえないか?」
「あ?なんかってなんだよ」
「なんか、後ろから足音みたいな音聞こえた気がするんだけど……」
「全員止まりやがれ!」
アンガスくんが鋭い声を飛ばす。指示通りに全員が足を止め耳を潜めた。
……ジャッ、ジャッ
……タッタッタッ
「本当だ、足音が聞こえる」
「誰の足音だ?」
「逃げた奴が追っかけてきたとか?」
「そりゃないだろ、あいつらが戻ってくるとは思えねぇ」
「じゃ、誰だよ?」
「そりゃあここは『ゴブリンのアジト』なんだから『ゴブリン』共に決まって——」
「おい、待てそれじゃ——」
タッタッ
「ギィッ」
「ギャギャッ」
ダッダッダッ
「ギギッ」
「キギャッ」
足音に紛れてそんな鳴き声のような者が聞こえてきた。全員の背中を冷たい汗がつつつ、と流れる。
そして——
「ギギャアッ!」
「うわー逃げろおおぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
「ゴブリンだぁぁぁぁ!!」
醜い小鬼の顔が視界に入った瞬間私たちは全員で『ゴブリンのアジト』の奥へと逃げ出した。
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