参上! 狸穴セブン ~集まれ、どうぶつの街(仮)~

飛幡一聖 とびはたかずとし

第1話 変わらぬ日常と三匹のネコ

 愛と死と憎悪が渦巻くアニマルタウン「狸穴」

 この物語は、その街の平和と幸福を守るために命をかける、七匹の勇者たちの涙ぐましい日々の記録である。

 

 

 1.

 

 (上滑りとさるすべりでは、どっちがよりすべってるんだろう)

 そんなことを考えながら、歯を磨いていると、所長から呼び出しがかかった。

 非番の俺を呼ぶようじゃ、どうせろくな用事じゃあるまい。

 それはわかっている。

 わかっちゃいるが辞められないのが、サラリーマンの辛いところだ。

 しょうがないので、俺は呼び出しに応じ、安アパートの部屋を出た。

 いきなり昭和臭いが、理由は追い追いわかるはず。

 追い追いってのも昭和だねえ。

 「どうした? ジョン。バカに御機嫌じゃないか」

 鼻歌混じりに「植木等」を気取っていると、ドードーばあさんが声をかけてきた。いつも陽気な、角のパン屋の主人だ。

 「いやぁ、また所長に呼ばれちゃってねえ。御主人様に呼ばれると、つい上機嫌になるのがイヌの悲しい性ですわ」

 「はん、よく云うよ。いっつも帰りには、がるがる牙剥いている癖に。ほいっ!」

 笑いながらばあさんが投げてよこしたアンパンを口でキャッチすると、彼女は目を丸くした。

 「あんた、イヌになって何年だっけ?」

 「うーん、5年目かな」

 「すっかりイヌが板についてきたねえ」

 「あんがとよ」と俺は片手を振った。

 

 歩きながらアンパンを平らげて5分40秒後に、俺はポン次郎所長の机の前に、尻尾を丸めて立っていた。きわめて神妙な顔つきでだ。

 タヌキであるが故に、威厳があるのかないのかわからない表情の所長は、小さな目玉をちかちかさせながら、机の上にある1枚の紙をあごで示した。

 「オーナーからだ。読んでみろ」

 「はあ」

 そこには、「鬼を駆逐してやる!」とだけ、妙に美しい字で書かれていた。

 まだ会ったことはないが、この探偵事務所のオーナーは、雌のオオカミだという。しかも、すこぶる美人なんだとか。

 「何です、これ?」

  俺は所長に訊いた。

 「悪い癖だ。今度は人間界で人気の漫画に嵌ったらしい。『私は長女だから頑張る』とわけのわからないことも云っていた」

  ポン次郎所長は、しかめっ面になった。

 「ははあ」

 合点がいった。

 「でも、何か混じってません? これ」

 「ほぼ同時に2つの漫画に嵌ったそうだからな。折衷案として出てきた指令がこれだ」

 俺は驚いた。

 「指令? これが指令なんですか!?」

 「心配するな、こんなもの、無視に決まっているだろう。だいたい、この街のどこに鬼がいるってんだ? 鬼どころか人間もめったに来ないのに」

 「悪党全般を、あえて鬼と呼んだ比喩では?」

 「たとえそうであったとしてもだ」

 所長は机を短い前足で叩いた。

 「それは警察の仕事だ。我々、狸穴セブン探偵事務所の仕事は、依頼人からの案件を迅速に綺麗に解決する。それが全てだ」

 「もちろんです」

 俺はかしこまった。

 「で、ここからが本題だ。あ、ルリコくん」

 「はい」

 我が事務所の紅一点、レッサーパンダのルリコが立ち上がると、応接室のドアを開けた。

 その優雅な仕草に、思わず尻尾を扇風機のように振り回しそうになるのを、俺は必死にこらえた。

 「どうぞ」

 ルリコに促され、姿を現したのは3匹のネコだった。三毛猫、白猫、茶トラ、年齢はさまざまで、いささか緊張している面持だ。

 「彼がうちのチーフ調査員のジョン君です。お手数ですが、御依頼の内容を彼にもう一度話していただけますか?」

 所長の声に、三匹が同時に頷いた。

 

 俺は応接室入り、7分25秒で依頼者のネコたちから話を聞き終えた。

 彼らの話はこうだ。

 数日前から、この街と人間界のデジタルデバイスに、奇妙なメールが届き始めたという。対象はどうやら無作為らしい。

 件名は、「世界中のネコを人質にしました。訂正、ネコ質?(草)」というふざけたもので、その中身も、

 

 『我々は、世界中の虐げられているネコたちを保護した。

 彼らに十分な生活の補償を与え、再び自由にするための費用を算出したところ、20億円が必要になることが判明した。そのお金を調達するために、3日後にクラウドファンディングを立ち上げる。24時間以内に一人当たり1000円以上の協力をお願いしたい。銀行振込の他、各イーコマースやクレジット会社のサービスポイントやギフトでの支払いも可能である。総額が20億円に達した時、彼らは解放されるであろう。達成できなければ、彼らは死ぬ。

 追記:信用しない者へ。すでに一部のネコに犠牲が出ている。確認してみるといい』


 そんな物騒な代物だった。

 「勿論、初めはいたずらと思いましたニャ」

 一番年上らしい三毛猫が云う。

 「でも、すでに犠牲者がいると書いてあったのが気にかかって」

 三毛猫は、鼠坂近くのマンション管理組合の理事長だという。メールの内容を疑いつつも、念のためにマンションの周囲を調べたところ、別々の場所で2匹のネコが死んでいたらしい。

 「死因は?」

 「それが、まだ警察が動いていないのですニャ」

 今度は白猫が答えた。彼はマンション最寄りの病院の医師とのこと。医師と聞いて、俺は狂犬病予防の注射の痛みを思い出しかけて、唸りそうになるのを我慢した。

 「まあ、この街の警察ならそうでしょうね」

 俺は頷いた。

 この街、「特別行政管理保護区」である旧港区と目黒区の一部、通称「ANIMAL ALLIED POWERS(動物連合)」略称AAPは、異世界ではあるが、大本は人間の暮らしていた街であり、実際、今も外の人間界とは地続きになっており、ごく稀に直接の行き来もある。

 したがって、実際の行政の管理業務の権限は街の動物たち自身にある、一種の独立都市国家でありつつ、より大きな部分は未だ人間界に委ねている、云わば「ねじれた国」なのだ。警察も我々街の住民から構成されてはいるが、逮捕権や捜査権はあっても、犯人を裁く権限は外の人間界にある。そんな状態では、日々仕事に励めといっても、なかなか身が入るものではないだろう。最終的な権限がないのなら、しゃかりきにやっても無駄になるだけだ。

 警察だけではなく、全ての行政、一部のビジネスすらその調子なので、それが街全体の、どこかのんびりしたムードにも繋がっているのだと、俺は考えている。だが―

 「そこが忌々しい」

 「は?」

 白猫が不思議そうな声を上げた。

 「あ、いやいや何でもないです」

 あわてて誤魔化す。心の声が漏れていたらしい。危ない危ない。

 「それにネコが死んでいたのは、私たちの地域だけではなかったのですニャ」

 これまで黙っていた茶トラの雌ネコが、声を震わせた。

 「友人に手伝って貰って調査したら、他の地域でも何匹か見つかって。それに人間界でも犠牲になったネコがいるらしいとわかって」

 どうやら、すでに人間界でも騒ぎは広がっているようで、それは、この短時間の間でのSNSへの書き込み数でも確認できた。何しろ人間たちは、基本的にネコ好きだ。大好きだ。ネコこそが、この世界の真の支配者だとまで云う人間もいる。とんだ戯言だろう。

 「死んでいたのは、まだ小さなネコばかりでしたニャ。どうか1日も早く犯人を捕まえて、この怖ろしい企みを防いで下さいニャ」

 三匹は、同時に深々と頭を下げた。

 

 「どう思う?」

 依頼者を見送った後、俺は傍らのマイケルに訊いた。

 「語尾がニャでしたね」

 「いやそうじゃなくて」

 「う~ん。限りなく詐欺、でしょうね」

 小さな丸眼鏡を持ち上げ、パソコンの画面を睨んだまま、マイケルは答えた。

 ハクビシンのマイケルは、うちの情報収集及び分析担当で、その腕前もなかなかだ。きっと人間の時も使える奴だったに違いない。

 「だろうな。だいたいクラウドファンディングってのが気に入らニャい」

 連中の話を聞き過ぎたのか、癖が移りかけている。修正、修正。

 「でも、身代金の支払いをポイントでもいいなんて親切だよね」

 マイケルの対面の席から、ロックが云う。賢明な彼は語尾の件を華麗にスルーしてくれた。ありがと。

 「けど、どうやって換金するんだろう」

 アナグマのロックは、おっとりした外見だが、シャープな身のこなしと冷静な判断力が売りの俺の片腕でもある。

 「一番、単純なのは何か買物して、それを売り捌くというやり方かな」とマイケル。

 「20億円分も一気に?」とロック。

 どうやら、そこに今回のからくりがありそうだ。

 「へ、そんなふざけた野郎共は、オレ様がズタズタにしてやるぜ」

 その言葉にかぶせて、アライグマのジョーが、座ったままで椅子をぐるりと回転させた。鋭い両爪がギラリと光る。

 こいつは、セリフどおりの武闘派で、血の気が多い上にパワーもあって、暴れ出したら止めるのに骨が折れる厄介な奴だ。ある意味、今回の脅迫犯以上に物騒な存在かもしれない。

 以上が我ら「狸穴セブン探偵事務所」の精鋭調査員たちだ(含む俺)

 「とにかくだ」

 ポン次郎所長がまとめに入った。

 「この案件は引き受けたんで、あとはチーフとみんなでよろしく!」

 おいおい、またよろしくされちゃったよ。

 「あんまり気乗りしないな~」

 ロックがぼやき気味に云った。

 「もっと、こう派手なやつねえの」とジョー。

 「バカタレ!」

 いきなり所長のカミナリが落ちた。意外とタヌキ、いや短気なのがうちの所長だ。

 「うちのような零細は常に何か案件を抱えていないとダメなの。支払いの目途がないと、金貸してくれる所もなくなるでしょうが! さあさあ、文句云わずに散った散った」

 俺たちは了解の返事をした。あくまでも、それぞれのテンションでだが。

 

 

 2.

 

 探偵事務所を出て、5分7秒後に俺は、ネコの死体が見つかったという鼠坂にいた。

 別に鼠以外使用不可な道ではない。人間が住んでいた頃から、そんな名がついていたのだ。

 この国AAP― いや、やはり街と云った方が俺にはしっくり来る、の成立について、詳しくは知らない。

 人間界で、何の取柄もない53のオヤジだった俺は、ある日、気がついたら、このイヌ(紀州犬)の姿でこの街に存在していた。そして、それ以来、ずっとここで暮らしている。もう5年になるはずだ。

 おそらく、ここの住民のほとんどがそんな感じだろう。皆、元は人間であり、何かの拍子にここに飛ばされ、動物に転生したのである。理由はわからない。現在、人間界で発生しているパンデミックが関係しているという説もあるが、確証はない。

 全員、人間だった頃の記憶はあり、その証言から、多くの者が現在の時間とは違う、過去の世界から転生して来たということがわかっている。江戸時代もいれば、鎌倉時代、そして国や人種も問わないらしく、中世のヨーロッパから飛ばされた来た者もいる。だが、俺のように外の世界と直接繋がっている時代から、こちらへ来た者はあまりおらず、その意味では人間界との繋がりの面で諸々重宝されていて、今の勤め先に入れたのも、そのおかげと云えた。勿論、良かったかどうかは別としてだ。

 三毛猫から訊いた死体の発見場所を調べてみた。何の変哲もない古びた植え込みだ。それこそ干からびたネコの死体の一つや二つあってもおかしくはない。

 「ロック、そっちはどうだ?」

 俺は相棒のアナグマに声をかけた。

 「別に変わったことはないっすね」

 道路を挟んだ反対側の植え込みから、ロックが答えた。手先に少し泥がついてる。わざわざ地面を掘って、何かないか調べてみたようだ。相変わらず真面目なやつ。

 「どうします? 引き上げますか?」

 その真面目なやつが、こう抜かした。

 「引き上げるって、まだ来て3分も経ってないぞ」

 俺は呆れた。

 「だって、無駄足じゃないんですか。チーフの顔にそう書いてある」

 悪びれずにロックが云った。

 「その場で依頼人に云うかと思ったのに。詐欺だって」

 「まあな」

 適度に湿った鼻の頭をかく。

 「些細なことでも引き受けなくちゃ、ギャラが発生しないだろうがよ」

 「事務所の経営状態を鑑みてのことですね」

 「そーゆーことだ。よし、神社の方へ行ってみよう」

 ロックと俺は、近くにある、その名も狸穴稲荷神社、祭ってあるのがタヌキかキツネかとよくわからない神社に向かって歩き出した。

 

 「お前、転生前にネコを飼ってたりしたか?」

 歩きながら、隣のロックに尋ねた。

 「ペットですか、う~ん、飼ってたような、なかったような」

 「そうか」

 転生者の以前の記憶は、こちらの生活が長くなればなるほど、徐々に薄れていくらしい。例えば、日常的な道具や家電製品の使い方などは忘れないのだが、どこで働いていたかとか、家族はとか、趣味・好物などの個人的なものになればなるほど、だんだん薄れていく。最初はそれが怖くて、ノートに書き留めていたりしたのだが、今やそれを読んでもピンと来ないようになっている。新しくも、異様なこの世界での暮らしに順応するための、脳の防御反応の一つかもしれない、とはマイケルの解説だった。

 「ネコについてはどう思う?」

 話を続けた。

 「どうって、まあ、可愛いですよね。普通に。こっちでペットにしたら犯罪ですけど。チーフはペットはどうなんですか」

 「俺か? 俺は亀だ」

 「亀!」

 「そう。縁日で取ったミドリガメのカメコ」

 「え~ カメコってカメラ小僧じゃないですか」

 嬉しそうにロックが云う。

 「よく覚えてるな。あの時代から来たんだっけ?」

 「確か80年代は小学生だったような。何とかマンチョコ集めてた記憶があります」

 「ビックリマンね」

 こういう雑談は、とても心地いい。世代は違うが同じ国の似たような時代から来たせいもあってか、俺とロックはウマが合うのだった。

 

 狸穴稲荷神社で、俺とロックはあるものを探した。

 10分20秒後に、それは予想どおりに見つかった。

 「どうやら、これで決まりだな」

 「チーフ、これって」

 いささか得心いかなそうなロックに向かって、俺は頷いた。

 「しかし、ここはやっぱりヤバイ場所なのかね」

 俺はつぶやいた。

 「やばいって? AAPが」

 「というか、旧港区かな。何だかんだと事務所や俺らが食っていけるぐらいのトラブルが、当たり前のように起きるからな」

 「そうっすね。もともと外国人が飲み歩いてる土地柄だったし、銃が流失したり、クスリが出回ったり」

 「前に俺の好きなアイドルがな」

 「ええ」

 「同じ故郷から上京してきた新人アイドルからアドバイスを求められて、港区だけには近づくなと云ったことがある」

 「マジですか!?」

 大笑いするロック。釣られてにやつきながら、俺はなんでこんなことばかり覚えているんだろうと考えていた。

 

 

 3.

 

 「それではジョンさんは、これは事件ではないと云うのですかニャ?」

 怪訝そうな顔を見せる三匹の依頼人に向かい、俺はゆっくりと頷いた。

 依頼を受けてから2日後、神社から戻って42時間と23分25秒後だ。

 「で、でも」

 白猫が身を乗り出す。

 「2匹も子猫が殺されていたですニャ」

 不服そうな声にかぶせて、茶トラも、

 「そうですニャ。早くしないとまたたくさんの仲間が」

 「3匹です」

 俺はそれを遮るように口を開いた。

 「あの界隈で死んでいたのは、3匹。狸穴稲荷神社の茂みの中で、もう1匹死んでいるのを見つけました」

 「そ、そんな」

 三毛猫が絶句する。

 「だったら尚更」

 声を強めた白猫を制し、

 「でも、それは事件ではないんです」

 俺は自分にも噛んで含めるように、静かに続けた。

 「よく考えてみてください。あの脅迫は、果たして我々を、このAAPの住民を対象にしたものだったのでしょうか?」

 「え?」と三毛猫。

 「そもそもネコを人質に取ることが有効になるためには、私たちの中にネコを可愛がる、家族としてではなく、愛玩動物として可愛がる心がなければダメなわけです。犯人は我々自身の家族を誘拐するなど重々しい犯行ではなく、あくまでも冗談にも見える、しかし、そうとも云い切れないような、クラウドファンディングを使うなど、表現はおかしいかもしれないが、ポップでカジュアルな雰囲気を演出している。そして、その身代金を支払うにしても、小遣いどころか、誰もが少しは抱えている使い切っていないポイントを利用してもいいという条件をつけ、犯罪に加担する行為へのハードルを限りなく低く設定してきたわけです。ネコのためなら、ポイントぐらいで済むなら、という心理をついたわけですね」

 「はあ」

 白猫が、まだ要領を得なさそうな声を上げる。

 「そういう反応をしてしまうのは、人間だけなんです。AAPの住民は元が人間で、その記憶が残っている者も少なからずいるため、そして人間時代のアドレスなども未だ有効だったために、今回のような騒ぎになったわけです」

 「けど、あの―」

 「そう。あの気の毒な子猫たちですね」

 俺は茶トラの言葉をついだ。

 「彼らは自然死です。たまたま、あの界隈で、病気か怪我かでなくなっていただけなんです」

 もはや三匹は呆然となっていた。

 「御存知でしょうが、野良の子猫が生き抜くのは厳しいものです。それは人間が転生していても子猫であれば同じことです」

 「では、犯人はどこかを探せば見つかるであろう、事件に全く関係ない自然死したネコを、こちらが犯罪の犠牲者に思い込むことを期待して、今回の犯罪を行ったのかニャ」

 おお、三毛猫さんは呑み込みが早い。

 「そのとおりです。おそらく人間界では、もっと大勢の人間が、もっとあちこちで探すことで、より多くのネコの死体が見つかっているでしょうから、大変な騒ぎになっているようですね」

 「ということは」

 「これは人間界の事件ですな」

 白猫の後を、所長が引き継いだ。

 「なので、当事務所ではこれ以上の調査はいたしません。それで御納得いただけますかな?」

 「はいですニャ」

 三匹は、今度こそ大きく頷いた。

 

 

 4.

 

 「いやまあ、ご苦労さん、ご苦労さん」

 「はあどうも」

 依頼料の清算が終わった後、ポン次郎所長が俺の肩をバシバシと叩いた。

 こういう仕草を見ると、彼もきっと元は昭和の人間だったに違いないと感じる。ちなみに以前、酒を飲んだついでに前世について訊いたら、たっぷり30秒溜めてから、「忘れた」と云われ、大いにずっこけた。思い出そうとしていたのか、たんに酔っていたのかはわからない。

 「三毛猫さんが、町内会に諮って、周辺のパトロールを強化すると云っておったよ。それに合わせて、転生直後の幼い動物たちの保護運動も進めるそうだ」

 「そりゃ、よかったですね」

 少なからずホッとした俺の背中を、突っつく感触があった。振り返った俺に、いきなり紙がつきつけられた。

 「この領収証は経費では落ちませんからね」

 経理担当でもあるミス・ルリコだった。

 「え、いや、でも」

 「今回の件、どう見ても経費なんて発生してないですよね。全部徒歩圏内で済んだんだし」

 「いや」

 「なのに! なんで1万円も経費があるんですか。何に使ったんですか。そもそも、この領収証、なんか古いし、日付も怪しいし、見たことある字だし」

 「わかった、わかった。もういい、もういいから」

 大黒摩季の歌詞のようなセリフを云いだしたルリコの手から、俺は領収証をひったくると、丸めてゴミ箱へ放り込んだ。

 はあ、ちかれたび~ってか。

 「ところでジョン君」

 そんな俺を所長が呼んだ。この上、まだ何かあるのだろうか。

 「これを見てくれ」

 「はあ」

 俺は、所長が示したFAX用紙に目をやった。

 「両面宿儺の器を探せ」

 そう書いてあった。

 「オーナーですか」

 所長は俺に背を向けたまま、頷いた。

 「また別の漫画に嵌ったらしい」

 所長の肩がプルプル震えているのがわかったが、あいにく、気の毒な彼にかけられる言葉を、俺は持ち合わせていなかった。

 誰か立て替えてください。

 

 就業時間が過ぎ、2分後に俺は家路についた。

 まだ夜浅い時間のこの街を歩くと、何とも云えない、落ち着いた気持ちになれる。昼の喧騒の終わりと夜の華やかさの始まり、そんな狭間の未知の領域が、俺は好きなのかもしれない。『トワイライトゾーン』かよ。

 この街は物騒ではあるが、しかし、それだけに何でも受け入れてくれる、懐の深い、大きな街のように思える。それこそ、俺たちのような得体のしれない、怪しい存在であっても。

 だが―

 俺は唇を噛んだ。あまり強いと犬歯で切るので、あくまでやんわりとだ。

 だからこそ、俺はこの街が嫌いなのだ。

 どこかこの予定調和に満ちた、大きなものからの支配を甘受し、その中でぬくぬくと怠惰な眠りをむさぼっているような、この街が。

 こんな時だ、俺の胸の奥底に猛るようなうずきを感じるのは。

 一体、俺は人間の時に何をしていたのだろう。いや、何をしようとしていたのだろう。記憶の中では、ごく普通のオヤジだったはずなのに。

 いずれは、それを自分自身の手で確かめなくてはならない。確かめる時が来るような気がする。

 そして、その時こそ、俺がこの街と決定的に対立する時に違いないのだ。

 そんな妄想めいた思いを抱えたまま、俺はねぐらの安アパートに急いだ。

 今から10分25秒後に始まる、『底抜け脱線どうぶつゲーム』の生中継を観るために。

 今日こそは頑張れよ、柴犬軍団。


 

 END

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