百日紅

朝枝 文彦

一話完結

 こんなはずではなかった。

 狼狽する蟹の足元には、歪な丸みを帯びた血溜まりが広がり、そこには十数個の青柿と、一匹の猿の骸とが転がっている。

 蟹の企てた復讐劇は、途中までは正に計画通りであった。まず、猿の自宅に忍び込み、頃合いを見計らって、囲炉裏から飛び出した熱い栗が猿の尻を打ち、猿が思わず駆け寄った水がめから、蜂が飛び出して猿の顔を刺し、たまらず家から飛び出した猿に、軒先の百日紅の枝の上から、臼が青柿を投げつける、そういう計画であった。蟹は、母が殺されたのと同じ手段によって、猿を痛めつけ、母の無念を晴らそうとしたのだ。

 しかし臼は、その器いっぱいに貯め込んだ青柿の重みでバランスを崩し、百日紅の、滑らかな樹皮に足を滑らせて、猿が枝の下に来たその時に、真っ逆さまに落ちてしまった。

「臼が滑ったんやから、サルスベリやのうてウススベリやな、アハハ」

「ちょっとやめなよ、臼ちゃんが可哀想じゃない」

 チクリと軽口を叩いた蜂を、栗が、まだ熱の冷めやらぬ表情でなじった。臼は蜂に寄り添われながら、肩を震わせ続けている。

 そもそも蟹の記憶に、母の面影はなかった。蟹は、つい先日まで、猿の所在も知らず、母の死の件も、どこか他人事のように思っていたが、母が殺された経緯を知った栗の、おせっかいな義憤や、蜂の悪ノリ、そして密かに思いを寄せる臼の、期待するような眼差しに蟹は追い立てられ、いつしか蟹にとってこの復讐は、「正義」の為に、為さざるを得ないものとなっていた。

 そう、復讐はしたかった。しかし、手を汚したい訳ではなかった。

 蟹は、身勝手で移り気な己の本心に今更ながら自嘲して、天を仰いだ。蟹の頭上では、血飛沫が届くはずのない枝にさえ、赤々とした百日紅の花が開いている。朝方、皆で紅潮した表情を浮かべながら円陣を組み、「さるかに合戦だ」などと息巻いていた事が、遠い昔の事の様に、蟹には思われた。

 ザッ。ザッ。ザッ。

 臼が、「あり得ない……あり得ない……」と呟きながら、足元の土を掘り始めた。しばらくすると、蜂、栗、そして蟹は、一言も交わす事なくそれに習い、地面を掘り始めた。地面の穴は、猿一匹分の大きさにまで掘り広げられ、これは、なかった事になるのであろう。

 傍らに転がった青柿は、血塗られてなお、その堅さを失わず、昼下がりの太陽光を、緑色に照り返していた。


                   (了)

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百日紅 朝枝 文彦 @asaeda_humihiko

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