第21話 日記の断罪者
続いた文字に僕は眉根を寄せた。
『俺は、俺の罪の責任を取りに行きます。お世話になりました。ありがとうございました』
――彼の、罪?
その言葉はドゥイリオとはあまりに縁遠く思えて、僕は放心するような感じになった。理解が追い付かなくてぼんやりと椅子に座る。
デスクには見慣れぬノートも置かれていた。
「これは、確かドゥイリオの」
魔力切れで倒れた時に、彼の部屋で見かけたものだった。あの時は部屋が薄暗かったし、遠目に見ただけだったから気が付かなかったが、こうして見ると違和感が際立った。
そっと表紙に触れた。素材は革。それもおそらく、クヴァの希少種の革だ。だとしたらこれ一冊で、四人家族が一年食べられる額になる。そのうえ、無地だとばかり思っていた表紙には精緻な紋様が刻み込まれていた。紋様は魔術的な意味を持っているらしく、日の光にかざすとほのかに発光した。明らかに逸品。
いくら追い出される子を可哀想に思っても、何も知らせずに持たせるような物ではない。
掛かっている魔法の種類によっては、そもそも孤児院の先生が所有できる物ではない可能性がある。
心臓が妙な音を立て始めた。嫌な予感がする。
僕は唾を飲み込んで、表紙をめくった。
やはり日記だった。冒頭には『七週目二日』とあって、一行目に僕の名前が見えた。何度か綴りを間違えたらしく、斜線が引かれて訂正されていた。
そして、
『今日からジークムント・アルブレヒト・ギレスのところに住む。
これから俺はこの人を殺す。必ず仇を討つ』
その端的な文章に頭を殴られた。視界が急速に狭くなり、天窓から射し込む光が一気に色褪せて遠退いた。意識が飛んだのかと思ったくらい、真っ暗に沈む。
――すなわち彼は、最初から僕を殺すために。
気が付いたらデスクの上に頭を落としていた。ゴツン、と額が天板に当たる。痛みは感じなかった。
そのまま寝てしまいたくなった。寝て、眠って、そのまま息絶えてしまいたい、と。死神がそっと息を刈り取ってくれる幻想に浸った。
目を閉じたら世界がぐるぐると回り出す。
(……報いだよ、報い。これが、僕の、したことだ)
突然世界は冬になってしまった。寒くて仕方がなくて、体が震え出す。逃げてしまいたい。すべてを放り出して、何も考えずに消えてしまいたい。臆病風が轟々と音を立てて渦を巻く。
このまま死んでしまいたい――
(――……駄目だ。罪から、逃げるな。恨みも復讐もすべて、彼が差し出すものはすべて受け入れると、そう決めただろ)
奥歯を食いしばって、闇に目を凝らす。
すると、渦の中心にぽつんと疑問が突っ立っているのが見えた。
目を開ける。
「罪の責任、ってなんのことだろう」
復讐ならば果たせばいい。罪の意識を感じる必要もない。果たさずに出ていき、責任があると口にするとは、一体どういうことなのだろう。
僕は起き上がって、日記をめくった。
最初の方は雑な字で、綴りも何度も間違えていた。文は異様に短かったり、長かったり、あるいは主語と述語がねじれていたりして、書き慣れていないのが一目瞭然だった。『部屋が汚い。信じられない』『ようやく片付いた。疲れた』『教科書を貰った』という日々の記述の中に、『今日もきちんと飲ませた』という一文が必ず入っていた。
「飲ませた。何を?」
毎日飲んでいたのはコーヒーぐらいだ。そのことだろうか。
記述はだんだん綺麗になっていった。量も増えていって、半ば授業の復習ノートの様相を呈していた。『エッダ様から教わったことは以下の通り。灯りの魔法を褒められた』『少しずつ魔力を繋げられそうになってきた。楽しい』と、明るい言葉もちらほらと見えるようになって、少しだけ嬉しくなる。けれどどの日も必ず、『予定通り飲ませている』『家族の仇だ』というような文言で締めくくられていて、見るたびに僕の胸は軋んだ。
十週目の一日。
『初めて魔力切れを起こして倒れた。この日記を見られなかったか心配したけれど、見ていないと言ったからたぶん大丈夫。キッチンに置いていた毒は見つかる前にどうにか回収した。商店のおばさんに見られたけれど、ちゃんと誤魔化せたと思う』
急に内臓がひっくり返るような感覚がして、奥歯の裏に吐き気を感じた。
「……まさか、嘘だろ……?」
とてもじゃないが信じられなかった。辻褄が合ってしまうことが余計に僕を混乱させた。
僕を殺すために、ドゥイリオが、あのコーヒーに毒を盛っていたなんて。それもあの美しい灯りを持ち合わせたまま、つまりどこまでも純粋に、本気で!
「本当に、毒、を……?」
恨まれることも呪われることも覚悟していたはずなのに、いざその敵意を眼前に突きつけられたら身がすくんだ。息が出来ない。苦しい。――悲しい。
浅くなった息を必死に手繰り寄せる。へばりつくような唾を無理やり嚥下した。
そして向き直る。
十週目の十日の記述から、少し変化が現れた。
『初めて魔力の円と繋がって、魔力を自覚した。目が覚めるような体験で、すごく心地よかった。お祝いに、と師匠が麓の料理屋へ連れていってくれた。師匠は麓の町の人たちにすごく慕われているようだった。
「あの人?」
名前のない人物の登場。それと呼応するように、“迷い”“正しい”“間違い”という単語が目に見えて増える。さらに、取ってつけたような否定形と断定口調が目立つようになった。
次のページへいくと、妙な空白があちこちに点々と島を作っていた。
『占術を習い始める。占術師は必ず記録を取るらしい。それなら、師匠が十年前に占ったことも、記録を見れば分かるだろう。殺された俺の家族は、いったい誰のせいで殺されたのか。
『人心操作の話を聞いた。少しだけ怖くなった。
ちょっとずつ師匠の体調が悪くなっている様子。
『マルクが行方不明になったのを師匠が占いで捜し当てた。俺も少しだけ協力した。俺はほとんど何も出来なかったけれど、
僕は強い違和感に顔を歪めた。一ページの最後に必ず同じ三文を書いて、それですぐ次のページへ行ってしまうのだ。ドゥイリオはこんな書き方をする子だったろうか。日記帳の最初の方と比べてみても、明らかにおかしい。書くことが少ない頃は、一ページに二、三日分を詰め込んでいたのに。
最後の数日分などほとんど真っ白だった。最後の文章だけがまったく変わらない口調で、一言一句違わず綴られている。
そして最後の最後。きっと昨晩か今朝に書いただろうことが。
『俺は
「こっちのメモと正反対だな」
改めてノートの切れ端を手に取る。その時に気が付いた。
「……あれ。素材が違う」
てっきりドゥイリオが自分のノートを破って書いていったのだろうと思ったのだが、違ったようだ。日記の紙は分厚くてアイボリー色。書き置きの方はもっと白くて薄い。
「これは、あれだ。占いの記録用のノートだ」
手元にあった記録用ノートを開く。一番後ろのページが、遠慮深く丁寧に破られていた。つまり彼は、わざわざこちらを選んで書き残していったということになる。
しかし、何故?
よく見たらインクも違う。日記の方は黒だが、書き置きは菫色のインク。僕が昨日使って出しっぱなしにしていたペンがきちんとペン立てに収まっていた。彼が使った後片付けていったのだろう。
ナダァカモン製の紙と菫色のインク。普通のノートとの違いは、改竄されないこと――
「っ、まさか」
僕の脳裏に恐ろしい考えが閃いた。改竄を恐れる、ということは、改竄される恐れがあると思った、ということだ。もちろん僕はそんなことしていないし、それは彼も分かっているのだろう。だから僕のノートに書き置きを残していった。
彼の疑いが向いた先は、日記帳だ。
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