第18話 過去からの逃亡者


 先日見た凶兆の赤い星。それが現実になったと知ったのは、暑さが峠を越してコーヒーの美味しさが戻ってきた十五週目“涼風”の四日だった。


「脱獄?」

「いかにも」


 イェルンは重々しく頷いて、コーヒーを苦そうに啜った。彼は現在の騎士団長だ。僕が所属していた頃の副団長。年下とは思えない風格と威厳を感じるのは、六割が彼の人徳で、四割が厳つい筋肉と顎髭のおかげだと踏んでいる。


「アラスタ蜂起の扇動者と、王女暗殺の計画犯。連中が脱獄したのが十四週目五日の深夜のことで、それから今までまったく出てこないというわけだ。いったいどこに潜んでいるのやら……」


 イェルンも、彼の後ろに控えた補佐官も、沈痛な顔をしていた。脱獄してから十四日あまり。きっとこの間、ろくに休んでいないに違いない。

 僕は今日二杯目のコーヒーを啜った。イェルンたちの分とまとめて淹れたからか、一杯目のような苦味はなかった。

 それから、分かり切ったことをあえて口にする。


「それで、イェルン。僕にどうしろって?」

「占ってくれ。脱獄した連中がどこに潜んでいるか」

「占いは人探しの道具じゃない」

「なら言い方を変えようか。俺たち騎士団のこの先の未来が、連中を見つけているかどうか占ってくれ」


 彼はこういう言い回しが上手なのだ。嫌になる。

 コーヒーカップを置く。


「占術師長はどうしたの」

「アイツは駄目だ」


 半ば遮るように言われた。斬りつけるような口調だった。


「貴族とべったりで、こっちの話なんか聞こうともしない。それどころか、こっちの邪魔をするようなことばかりやってくる。アイツは一体何なんだ? 騎士団のことを嫌ってるのは分かっているが、だからと言ってあんなにハッキリと――」


 イェルンがぎりりと歯を食いしばった。


「騎士団は不要だ。領民のことは領主が最もよく分かっている。彼らの部隊に任せるべきだ。控えろ――なんてよくも言えたものだ! 騎士団に所属している身で!」

「そんなことを……」


 知らないうちに、バルタザールの考えは完全に理解できないものへと変質してしまったらしかった。僕が知っている限りでは、たとえそういうことを思ったとしても、はっきりと口に出せるほど堂々とした奴ではなかったのに。

 イェルンは逃がすまいとするように僕を見据えた。


「貴族の私兵団も連日出ているが、まだ連中を見つけられていない。それは俺たちも同じだが、お前が見当をつけてくれたら、騎士団で先に押さえられる。いや、絶対に押さえる」

「……」

「頼む、ジークムント。急がないと、また十年前みたいになるかもしれない」

「……」

「お前が嫌がるのは分かっている。だがあれは当時のレッフラー公が暴走したのが悪いんだ。お前の占いが原因では――」

「違う。原因は間違いなく僕だ」


 記憶が生々しくよみがえる。

 十年前、逃げて市街地に潜伏した暗殺者を探すために占いをした。結果はアラスタ地区の一部を示し、そこに騎士団が出動した。けれど同時に、僕の占いを知ったレッフラー公が私兵団を派遣。彼らは同地区を強引に捜査し、暗殺者を庇ったという言いがかりをつけて現地住民を殺害した。

 そこまでした挙句の果てに、暗殺者を逃がしたのである。

 僕はレッフラー公がこっそり占いの記録を見ていたところに居合わせたのだった。そそくさと執務室を出ていった彼に、僕は嫌な予感を覚えながら、それを、無視した。あまりに立て続けにいろいろなことが起こり過ぎていて、何もする気になれなかったのだ――なんて、怠惰の言い訳をするのはあまりにもみっともない。

 本当は彼を捕まえて、何をする気なのか問い詰めるべきだったのだ。そして説明しなくてはいけなかった。占いは大雑把なくせに繊細である、と。見つかるという未来を掴めるのは騎士団だけで、他のものが少しでも干渉すれば着地点はどんどんずれていくのだ、と。

 のちに、レッフラー家は家格を落とされ、当主の交替とアラスタ復興支援が命じられた。だが、失われた命は復興できない。


(……ん? ……あ、え……?)


 ふと、バラバラに現れた予兆が繋がるような感覚があった。奪われた。王様の暗殺を予言した後に何か占ったか。記録。積み上げられた本。『幼い信仰心』。そそくさと片付ける姿。奪い返していいのか。そうだ、そういえば、内紛に巻き込まれて死んだ・・・ではなく――


「ジークムント」


 鋭い声に呼び戻されて、僕はハッと顔を上げた。


「お前がそう言うならそれでいいが、いつまで逃げるつもりだ。何もしなかったらしなかったで、それでも同じように後悔するくせに」

「……」

「頼む。十年前を繰り返すわけにはいかないんだ。お前だってそうだろう?」


 ああ、その通りだ。それだけは即答できる。

 そしてそのためなら、なんだって出来るのだ。二度と後悔しないように。


「薬は持ってきている?」


 僕の問いに、イェルンはぴくりと眉根を寄せた。


「エッダから聞いている。それに、俺から見ても体調が悪そうだ。今アレをやったら」

「やるならそこまでやる。それを許さないなら何もしない」

「……分かった」


 彼がポケットから取り出した小瓶の中には、薄緑色の液体が揺蕩っている。暴走を抑えるための劇薬。天窓から射し込む光に照らされ、それは極上の飲み物のように見えた。

 僕はソファから立ち上がると、足元が一瞬ふらついたのを悟られないよう少し早足になって、カードを取ってきた。テーブルの上に広げて掻き交ぜる。


「まずは普通に占う。脱獄した時の様子を詳しく教えてくれ」

「ああ。脱獄が発覚したのは十四週目六日の朝二時頃だ。一時の巡回の時にはいたらしいから、出ていったのはその間だな。夜番は――」


 夜間の看守は三名。全員騎士団に所属している人だ。


「脱獄の前、五日間くらい、牢屋に何か変化は?」

「特に報告は受けていない」

「来訪者は?」


 イェルンは補佐官を振り返った。すかさず差し出された書類は報告書の写しだろう。それをパラパラとめくって、イェルンは端的にまとめた。前日に別の囚人の妹。三日前に定期検診の医師。週の頭に定期の占いで、マヌエル・クンツという占術師。


「直近五日間の来訪者は以上だ」


 その占術師の名前を僕は知らなかった。この十年の間に入った新人なのだろう。


「じゃあ、発覚した時の牢屋の様子は?」

「外から正規の手段で・・・・・・扉が開かれていたそうだ」


 僕は目を瞠った。

 王宮の地下牢は特殊な鍵を使っている。それは技術と魔法を組み合わせた世界に二つとないもので、合鍵の作成も不可能だ。鍵を奪ったのでなければ、牢屋が壊れていなければおかしい。

 イェルンは苦々しげに続けた。


「だから、内部犯を疑っている。夜番をしていた三人は今も聴取中だが、全員潔白を主張していて、不審な様子は見当たらない。やや記憶に混濁が見られるため、魔導師の関与も視野に入れているが、どうだろうな」

「そうか。じゃあ脱獄の方法はまだはっきりしていないんだね」

「ああ」

「次は脱獄後のことだけど、探した隊と地区は?」

「一覧にしてある」


 補佐官が僕に見えるように地図を広げた。アラスタ地区を拡大したもの。そのほとんどが赤く塗りつぶされていた。アルファベットと数字は担当した隊を表している。


「もうほとんど見ているじゃないか」

「だから来たんだ。明日からはアラスタ以外を捜すことになっている」

「あれ、カーミラの隊は?」


 彼女の隊を表す記号だけがどこにもなかった。快気祝いへの返事を見た限りでは元気そうだったのだが、何かあったのだろうか。

 イェルンは鋼色の剛毛を掻きながら「俺が言っていいか分からん。そのうち本人が来るだろうから、その時に聞いてくれ」と呟くように言った。少し気になったが、事態が事態だから追及するのはやめた。本人が来れるのなら悪いことではなさそうだし。

 話を戻す。


「それで?」

「というと」

「貴族側の調査の様子は?」

「さっぱり分からん」

「そう」


 分からない、というのも一つの情報だ。ともあれ、これで話は出揃った。

 カードをまとめて、切り、めくる。


(騎士団が脱獄犯二人を見つけられるか、どうか)


 ――正位置の『彷徨う追跡者』、正位置の『過去のもの』、逆位置の『猫』――


「脱獄犯を見つけることはできない」

「なんだって?」

「なにか忘れていることがないか? 見落としていることとか、やらなければならないことをやっていない、とか」


 正位置の『過去のもの』は“手遅れ”を象徴するカードだ。怠惰や忘却が原因で、手遅れになることを示唆している。

 深刻な表情で黙り込んだイェルンに、僕は三枚目を指差した。『猫』は“庇護されるべきもの”を表す。その逆位置ということは、


「明確な敵がいる。安全を脅かす者、この場合は騎士団を邪魔する者かな。貴族側の兵団のことか、見落としている何かか……ともあれ、それをどうにかしない限り、脱獄した二人を見つけるのは難しい、ということだろう。場合によっては、この敵対者が二人を隠しているのかもしれない」

「……なるほどな」


 沈み込むような頷き。

 僕はカードをまとめ直して、両手で包み込むように持った。


「さて、それじゃあ、未来を見ようか」

「本当にやるのか」

「当然だ。誰が敵対しているのか、どうやったら最良の未来へ行けるのか、知らなければならないだろ?」


 イェルンは砂鉄を無理やり飲み込んだような顔で黙り込んだ。

 座ったまま靴と靴下を脱ぎ、魔力の円環へ繋げる準備をする。そうしながら、僕はふと心が陰るのを感じた。そうだった、言わなくてはならないことがある。


「イェルン。もし僕が駄目だったら、僕の弟子のことを頼む。よく働くいい子だから、できるだけ良いところを斡旋してやってくれ。できれば学校へ行かせてくれるような――」

「断る」


 ばっさりと拒否された。抗議するように見遣ると、イェルンは横柄な態度で腕を組んでいる。そして、心底苛立っているような調子で続けた。


「お前の弟子だろう。お前が最後まできちんと見ろ。面倒だからって死んで逃げるなど許さない。そんなことをしたら星々の庭園から引きずり降ろしてやる」


 彼が睨んでくるのにも構わず、僕は思わず笑ってしまった。いつだったか、エッダにも似たようなことを言われた気がする。


「分かった。せいぜい足掻くよ」


 未来を見たい、というわがままが通ったなら、次のわがままはもう通らないだろう。けれど、もしかして神様が見落としてくれるのなら、足掻く価値はあるのかもしれない。

 私的な願いは押し殺す。

 僕はカードに息をかけて、宙に放り投げた。

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