第11話 起き上がる亡霊


 ドゥイリオの魔力が安定してきたので、いよいよ実践指導をするようになった。

 彼は、火や水といったものは上手に扱った。一方で、風や結界といった、目に映らないものの扱いは苦手な様子だった。それでも苦戦するのは三日ぐらいで、五日もあれば形にしていくのだから大したものである。要領がいいのだろう。


 アラスタの堤防を壊した雨期、十一週目“濁流”が過ぎると、気温はぐんと上がる。

 その頃から僕らは二人とも、天窓の下を避けて過ごすようになった。雨の恩恵を受けた木々はいっそう生い茂って、日々家の周りを覆い尽くした。魔法の鍛錬ついでに草刈りをする毎日だ。食卓からは温かなスープが消え、代わりに裏の川で冷やした果実が現れるようになった。けれど、僕が好きだと言ったからか、コーヒーが欠けることは絶対になかった。


 十三週目“虹”が始まった頃、ついに魔法の教科書は最後の項目、占術に辿り着いた。

 ソファより床の方が冷たくて涼しいから、この頃の僕らは床に座って授業をしている。床に直接教科書を置いたドゥイリオが、ごくりと唾を飲み込んだ。


「先に目を通してはいたんですが……本当に、すごい書き込みですね」

「好きなことだったからね。じゃあ、読んでみて」

「はい。占術とは――」


 驚くほど滑らかになった音読がするすると流れていく。

 僕は彼の声に耳を傾けながら、寝転がってしまいたいのを我慢していた。このところ、湿気と暑さのせいか、気怠くて気怠くて仕方がないのだ。冷たい床が素足に気持ちいい。森の方から吹き込んできた熱っぽい風が、ドゥイリオの前髪を揺すって去っていった。


「はい、そこまで。概要は分かった?」

「なんとなく、ですが」

「説明してみて。ざっくりでいいから」


 ドゥイリオは頭の中の言葉を整理するように、一旦ぐるりと天井を見回して、それから答えた。


「占いとは、過去を積み重ねた上に存在する“今”に、どんな予兆が現れているかを見ることであって、未来を見ることではない。あくまで、今ある予兆を見やすくするのが占いの役割であり、未来は予兆の組み合わせから組み立てた……組み合わせから組み立てた?」

「うん、大丈夫、分かるよ。推測するとか、読み解くとか言った方がいいかも」

「あっ、そうか。ええと……未来は、予兆の組み合わせから読み解くものである、という理解でいいですか」

「いいよ。完璧だ」


 こうやって読んだことをまとめて口に出すのも、最初はてんで駄目だったのだ。それを思うと成長の著しさに頬が緩む。


「今言ってくれた通り、占いとは“予兆”を見やすくするためだけのものだ。正しく予兆を得るためには、それに必要なだけの情報を集めないといけない。人を見るなら、その人の生い立ちや性格をある程度知っていないと駄目だし、何か事件について占うにしても、分かっていることはすべて知っておかないといけない。そうでないと、そもそも不確定なものがもっと不明瞭になってしまうからね。そのうえ、たとえ予兆が正しく出たとしても、その読解や推測が間違っていたら意味がない。だから、占術師は必ず記録を残す」

記録・・を?」

「うん。掃除してくれた時に見なかったかい? ちょっと待ってて」


 僕はデスクまで行って、カードとノートを持ってきた。


「これが記録用のノート。あとから改竄されることがないように、特殊な紙とインクを使っている。大抵の占術師は、こういう研究用の私的記録と、仕事用の公的記録の二種類を残しておくんだ」


 適当なページを開いてみせると、ドゥイリオは興味深そうにそれを覗き込んで、きゅっと眉根を寄せた。理解できなかったのだろう。僕も最初に見た時は、意味のない記号の羅列だとしか思えなかった。記号に無意味なものなどありえないのに。


「この辺りは分かるだろ?」

「占いの目的と、解釈、結果、ですよね」

「うん。これは個人ノートだから無いけど、騎士団に残す公的記録は、結果を誰にどのように報告したかも残しておくよう義務付けられているよ。たまに解釈が間違って伝えられることもあるから、その予防にね」

「この間の記号はカードの種類ですか?」

「そう、その通り。カードの記述には省略記号を使う。複雑なように見えるけれど、一度覚えてしまえば簡単だから。教科書に一覧があるから、また見ておいて」


 ノートを閉じて、その革の表紙に刻んだ『一五〇〇年~』の文字を指先でなぞる。この厚さでも、多い時なら一年で二冊や三冊使い切ってしまえた。今では二年かけて半分にも届かない。


「こうやって記録を残すことで、解釈が合っていたか間違っていたかを見返せるようにしておくんだ。そうして、少しずつ経験と研究を積んでいき、占いの精度を高めていくんだよ。だから、この記録ノートは占術師にとって本当に重要なものなんだ」

「そうなんですか」

「記述方法を覚えたら、勝手に見ていいからね」


 何気なく言ったことに、ドゥイリオは目を剥いた。


「いいんですか? 重要なものなのに?」

「いいよ別に。重要って言っても、失くしたり汚したりしたら困るってだけだし。君はそういうことしないだろ? まぁ、見られるのを嫌う占術師もいるけどね」

「師匠のノートは、ずっとあるんですか」

「ずっと?」

「はい、あの、占術師になってから、ずっと」

「ああ。うん、あるよ。全部どこかに置いてあるはずなんだけど」


 あのノートを捨てることはない。ないけれど、このところ見返すことは一度もなく、本の山の一角になっていたから、どこにあるのかは皆目見当がつかなかった。


「どれもこんな装丁をしているから、本と交ぜて本棚に入れちゃったかもね」


 ドゥイリオは少し残念そうにしながら「そうですね」と頷いた。


「さて、それじゃあ、まずはカードの役割を覚えるところから始めようか」

「はい」

「カードは全部で十五枚だ。それぞれに名前と役割があってね――」


 僕はカードを床に広げた。一枚ずつ示しながら説明を加えていく。尻尾をぱたぱたさせる犬。水の中で髪を揺らす少女。木の匙を持った悪魔。じゃれあう猫の群れ。大量の虫を頭にくっ付けた女。方尖柱オベリスクの周りを飛び交う鳥の群れ――

 ドゥイリオは生真面目にそれらを注視するようにしていた。けれど、その目は数分おきにノートや本棚の方を向いた。まるで、何か抗えない力に引きずられるような感じで、ちらりと、何度も。

 気付かない振りにも限度がある。


「何か、気になることでも?」

「えっ」


 指摘すると、ドゥイリオは少し慌てた様子で「いえっ、なんでもありません、大丈夫です」と目を伏せた。そして、それからは一切よそ見をしなくなった。



 一通り授業を終えると、僕は仕度にかかった。今朝方エッダから手紙が届いて、例の約束を果たしてもらうと言われたからだ。『角灯亭』は麓の町の南端にある。そう遠くはないけれど、来いと言われた時間が早かったので、馬に乗れない僕はそろそろ出ないと間に合わないのだ。

 家の周囲に張り巡らせた結界の確認を済ませ、薄い日よけの外套を羽織る。


「それじゃあ、行ってくるよ。そう遅くはならないと思うけれど、あんまり遅かったら寝ちゃっていいからね。鍵、持っていくから、寝るときは必ず閉めてから寝るように」

「分かりました。お気をつけて」

「うん。いってきます」


 ドゥイリオに見送られて家を出た。

 一人でのんびりと山道を下り、街道を歩いていく。歩くのは嫌いじゃなかった。たとえどんなに暑い日であっても。歩きながらいろいろなことをつらつらと考えるのが好きで、わざわざ散歩に行くことだってあったぐらいだ。この間までは考えなくてはならないことが無かったから、まったく歩いていなかったけれど。


(基礎の教科書が終わったら……魔術書をもう少し高度なものにしてもいいのかな。いや、それよりは数学や地理のことをやったほうがいいかな。教養部分にちょっと不安があるかもしれない。騎士養成学校の入試ってどんなのだったかな……)


 『角灯亭』に着いた頃には、日は西に傾いていた。といってもまだ早いから、中はがらんとしている。

 中途半端な仕切りの置かれた半個室に、豊かに波打つ赤毛が見えた。


「やあ、エッダ」

「おう、遅ぇよ、馬鹿」

「今日は非番?」

「でなきゃこんな時間に来れねぇだろ」

「もっと遅くても良かったのに」

「バーカ、てめぇはあの年齢のガキを深夜に一人きりにさせる気か。いくら山奥だからって、そりゃマズいだろ」

「や、ドゥイリオに気を遣ってくれたのか。ありがとう」

「てめぇが無頓着過ぎんだよ」


 けっ、と唾を吐く真似をして、エッダは店の奥に手を振った。短いジェスチャーをしただけで、すぐに麦酒が運ばれてくる。さすがは常連、どちらも慣れたものだ。


「ん? お前ちょっと痩せたな」

「そう?」

「頬の辺りがなんかこけてる・・・・ぞ。これ以上貧相になってどうすんだよ」

「なりたくてなってるんじゃないんだけどなぁ」

「ちゃんと食ってんのか?」

「そこは抜かりないよ」

「抜かりないのは弟子の方だろ。ったく」


 僕が頼んだコーヒーが運ばれてきたときには、すでに彼女は瓶の半分を飲み干していた。


「相変わらず、凄まじいペースだね」

「暑い日にゃあこれが一番よ!」


 と豪放に笑ってみせてから、エッダは不意に表情を改めた。


「先に、暗い話を済ませちまおう」

「暗い話?」

「ああ」


 エッダは嫌そうに目を細め、酒瓶を片手に、ふんぞり返るように背もたれへ寄りかかった。


「いくつかあんだけどよ、どれから聞きたい?」

「どれも嫌だ、ってのは無理なんだろ」

「当然だ。聞かすために呼んだんだからな」


 僕は軽く溜め息をついた。


「じゃ、僕が一番嫌がりそうな話から」

「分かった。それなら、これだな」


 と、エッダはテーブルに両肘をついて前かがみになると、囁くように言った。


「アラスタ蜂起の亡霊が出た」


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