第12話 酒豪の情報屋
僕は一瞬何を言われたのか分からなくて、馬鹿みたいに繰り返した。
「アラスタ蜂起の……亡霊?」
エッダは真剣なまなざしで頷く。
「亡霊っつても、マジのゴーストじゃねぇよ。ほら、十年前結局取り逃がしただろ、暗殺に加担した二人」
「ああ……」
僕は苦々しい気持ちでコーヒーを啜った。ドゥイリオが淹れてくれるものと違って、味はまったく感じなかったけれど、それでも問題ないほどの苦味が胸の内に広がっていた。
そう、あの時、王女暗殺の主犯は捕まえた。その後、武装蜂起を煽って内紛にまで導いたリーダーも捕まえた。だが、王女暗殺の実行者の内、取り逃がした二人だけは最後まで見つけられなかったのだ。
エッダが声のトーンをさらに落とす。
「あの二人の目撃情報が上がってきた」
思わず息を呑んだ。
アイスブルーの瞳は硬く曇っていて、冗談などひとかけらも混ざっていない。
「まぁまだ不確かだけどな。だが、どーもこそこそと動き回っているらしい。王都じゃ鼠が何かから逃げるみてぇに湧いて出てきてるし、食器の割れる量が増えた。警戒には値するだろ」
鼠の大移動は事件の前触れ。食器の破損は無自覚の動揺を表す。確かに、予兆としては充分だと頷かざるをえなかった。
「けど、どうして今さら」
エッダはわずかに言い淀んだ。
「主犯とリーダー、二人の処刑が決まったんだ」
「っ!」
「それが原因だと思う。だとしたら、目的は二人の奪還だ」
「なる、ほど……そうか、ついに処刑が……」
長らく投獄されていたのが、ついに。その話は僕にとっても衝撃的だった。
今まで処刑されなかったのにはさまざまな事情が絡んでいる。彼らは自分たちのしたことは正しいと主張し、貴族の私兵団がアラスタを蹂躙した罪を問い続けた。そのことを無視しきれなかったのが一つ。もう一つは、騎士団と貴族間の確執だ。騎士団はすぐに処刑するよう主張していたが、人命を擁護する貴族、あるいは生かして罪を償わせ続けろと言う貴族、はては報復が怖いから殺すなと主張する貴族、場合によってはただ騎士団に楯突きたいがためだけに反対する貴族、いろいろな意見が入り乱れて、結局決められなかったのだ。
いっそ生け捕りになどしなければよかった、どさくさに紛れて殺してしまえば――とは、当時の副団長が言ったことである。
その時、僕は頷いたのだった。
思い出して嫌になった。あまりに浅はかで情けない。溜め息が出る。
「あの内紛は大きすぎる。根深すぎる……。何もなきゃそれでいいんだけどよ、一歩間違ったら、また十年前みたいに……」
エッダは怯えたように口を閉ざした。だが、切られた続きの言葉ははっきりと聞こえた。また十年前みたいに、ひどい内紛に発展するかもしれない。その通りだ。
だから、間違うわけにはいかない。
「陛下にはお伝えした?」
「当然だろ。けど、大したことはできねぇんだ」
「なんで」
「占術師長が動かねぇんだよ」
「バルタザールが?」
目を剥いた僕に、エッダは重々しく頷いた。
「占いじゃ問題ない、の一点張りだ。あたしがいくら言っても聞きやしねぇ、あの堅物」
僕は眉を顰めた。彼が予兆に気付いていないとは思えない。性格も考え方も僕とはまったく合わないけれど、それでも彼は師匠の一番弟子だ。僕の兄弟子だ。僕にはない鋭さをもった占いをする奴だったのに。
僕の疑念を読み取ったように、エッダが目線を尖らせる。
「暗い話の二つ目が、これだ」
「バルタザールのこと?」
「ああ。なんだか最近、様子がおかしいんだ」
「おかしいって、どういう風に」
「最近、あの人の占いがまったく当たってない」
「まったく?」
「まったく。七週目にお前に占ってもらった、ドラゴン討伐部隊の編成、あっただろ?」
頷く。占術師は騎士団魔導隊の一部だが、実際はやや独立した戦術補佐官である。戦略や兵站、編成、進軍ルートなどを、理論と占術の二つの側面から総合的に判断するのが主な仕事だ。
だから、カーミラも言っていた通り、ドラゴン討伐隊の編成はバルタザールが占ったはずなのである。そういえば、どうしてわざわざもう一度占ってもらいに来たのか、少し不思議に感じたのだった。
「気になって、師長の公記録を覗いてみたんだ。そしたら、逆位置の『静寂の西側』、逆位置の『狂った侍女』、正位置の『完遂』なんて出してやがった。それで、解釈は“不安は何一つなく、犠牲者は一人も出ず、幸運が味方をする”だぜ」
「それは……」
「やばいだろ? それを頭っから信じて行ってたら、どうなってたと思う? 間違いなく全滅してたよな。お前のところへ行った方がいいって直感したカーミラ様はもっと賞賛されるべきだ」
エッダはどこか自慢げにそう言った。彼女はカーミラのことを姉のように慕っているのだ。騎士団でそれなりの地位を得ている独身女性同士、通じ合うものがあるのだろう。
「そういやお前、カーミラ様に快気祝い贈ったのか?」
「あ」
すっかり忘れていた。
三白眼がぎろりと僕を睨み据える。
「お前マジでそういうところだぞ」
「いや、忘れてたっていうか、僕もほら今慣れないことしてて忙しいっていうか、手一杯だったっていうか」
「言い訳はそれだけか?」
「ごめんなさい」
「あたしに言っても仕方ねぇだろ」
おっしゃる通りで。僕はもう何も言えなかった。
緩んだ空気を立て直すように、エッダはもう一度店の奥に手を振った。店内は少しずつ客が増え始めていた。僕を早く呼んだのは半分このためだったのだろう。確かに、さっきまでの話はこんな平和な喧騒の中でするにはそぐわないし、万一聞きつけられたら騒ぎになりかねない。エッダの気遣いに今さら気が付いた。
二本目の瓶が一口で半分になる。細やかな配慮と正反対の豪快な飲みっぷりに、惚れ惚れするような気分になりながら、僕は話を戻した。
「しかし、そこまで正反対の結果が出てるとは思わなかったな。調子が悪いにしても、ちょっとおかしすぎる」
「そうだよな。でも、見たところ魔力が濁ってるようじゃねぇんだよなぁ」
「それじゃあ、どうして」
こんな大外れを示すなんてこと、騎士団に所属する占術師ならありえない。魔力が濁ったのなら分かるけれど、そうでないならいったいなぜ。
エッダは首を振った後、言いにくそうに口元を歪めた。
「団長は、
「わざと?! わざとなんて!」
上ずった声をあげてしまった。エッダに抑えろと手で示されて、慌てて声を落とす。
「わざとなんて、そんなことあるもんか。一流の占術師だろ。アイツが占いで嘘をつくなんてありえない。アイツが占いを偽ることはないよ」
「あたしだってんなこと信じちゃいねぇよ。でも団長が言うにはな、これで騎士団の力をそぎ落とすつもりだったんじゃないかって。人数と、実績を」
「そんな」
「ほら、アイツ、騎士団に対抗してる貴族と仲いいだろ? あれが、特に今年に入ってから、異様に露骨になってきてんだよ。だから、疑われるのも無理はねぇっていうか……」
赤毛をばさばさと掻きまわして、エッダは溜め息をついた。
「それで、団長が、お前に復帰を要請しようって言い出してる」
「はぁ?」
「わぁってるよ。絶対に無理だってあたしは言ってる。でも、近いうちお前んとこへ団長が行くかもしれねぇからな。覚悟しとけよ」
僕は「分かったよ」と言いながら、溜め息をついた。なんだか厄介なことになりつつあるようだ。心底嫌になる。
エッダが瓶の底に残っていた麦酒を一気に干した。ダンッ、と景気よくテーブルに叩き付ける。
「ま、暗い話はここまでだ。あとはパァーッと飲ませてもらうぜ、兄弟子!」
おーい、と店員を呼んだエッダが、一気に五本持って来いと頼んで、僕を青ざめさせた。どうやら彼女は本気で生活費をむしり取るつもりらしい。
「ほ、ほどほどにね……?」
恐る恐る言ってみたが、エッダの耳には届いていない様子だった。
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