第2話 筋肉痛の予言者

 三日でドゥイリオは見事に僕の部屋を掌握した。あれだけうず高く積み上げられていた本も、適当に置かれていた書類も、きっちりと棚に納まっていた。入れようと思えば入るもんなんだなぁと感心したほどである。

 僕がしたことと言えば、物置になっていた小部屋を彼に与えたことと、数年ぶりに見た床の木目に感嘆の声を上げたことくらい。あと重たいものは運ぶのを手伝ったし、窓の鍵の修理屋さんも呼んだ。……それだけだ。

 料理も洗濯もすべてドゥイリオが請け負うようになった。ハウスキーパーとか掃除夫とかになった方が稼げるのでは、と本気で提案したけれど、すげなく断られてしまった。


 簡易的な食卓が設けられたキッチンも、あるべき姿を思い出していた。空き缶の山も、茶色い水を底に溜めた空き瓶も、すべて処分したのである。ここに関してはさすがの僕も清々した。朝食もいつもより美味しい気がする。綺麗な部屋と適切な調理のおかげだ。あくまで気分的な話だけど。


「この間ちょっと本を運んだだけなのに、筋肉が痛いんだ。しかも二日遅れ。歳だよね、歳。嫌になる」

「はぁ……」

「君はまだそんなことないだろ?」

「はい、まぁ、まだ」

「いいね、若いって」


 ドゥイリオは苦笑しながら、朝食後のコーヒーを僕の前に置いた。


「ありがとう」

「いえ」


 彼ははにかむようにうつむいた。お礼を言われ慣れていないのかもしれない。


(そういえば、孤児院では働くのが当然だったと言ってたな……)


 ことあるごとにお礼を言おう、と心の中で決める。自分で自分のことをするのは当然だと切り捨てていいけれど、他人のためにここまで出来るのは褒められるべき功績だ。弟子なのだから当然、なんて受け取るのはあまりに傲慢というものだろう。

 そんなことを思いながらマグカップを持ち上げた時、玄関をノックする音が聞こえた。どうせ一人暮らしなのだから聞こえない方が不便だ、と壁や扉は薄くしてあるのだ。


「誰だろう。……そういえば朝、窓に蜘蛛の巣があったな」


 それはよく知る人間が訪ねてくる予兆だった。ということは。だいたい顔が絞れる。

 僕はマグカップを持ったままキッチンを出て、扉を開けた。


「なるほど、カーミラか」

「おはよう、ジーク。食い扶持を持ってきてやったわよ」


 カーミラは朝の陽ざしを浴びて、鮮やかな金髪をまばゆく輝かせていた。優雅な縦ロールにお堅い紺の騎士団服。こんな取り合わせが妙に似合っているやつなんて彼女くらいだ。同期とは思えないほど若々しい。いまだ最前線で戦っている女騎士に、二日遅れの筋肉痛など無縁だろう。

 客間兼仕事部屋に招き入れると、彼女は大きな眼をさらに大きく広げて立ち尽くした。


「何があったの?」

「何がって?」

「あなたの部屋がこんなに綺麗になってるなんて、初めて見たわ」

「ああ、そういう。――ドゥイリオ」


 僕はキッチンの中からそっとこちらを窺っていた彼を手招きした。


「今この部屋が持っている清潔さは、すべて彼の功績だよ」


 功労者の彼は縮こまったまま出てくると、パッと頭を下げた。


「あの、はじめまして! ドゥイリオと申します! 先日からギレス様の弟子にしていただきました!」


 カーミラは“弟子”という単語にびっくりしたようにしていたが、やがて立ち直ったようで、ドゥイリオの肩に手を置いた。


「はじめまして。私はカーミラ・リーム。騎士団第二隊長よ。……ところで、転職に興味ない? 私の家、今使用人を探しているの。どうかしら」

「圧を掛けるなよ、圧を」

「やだ、圧なんか掛けてないわ。ねぇ?」


 それが圧だ、と言いたいのを僕は飲み込んだ。カーミラはとびきりの美人だが、だからこそ魔王のような威圧感を持っている。睨まれたらどんな大男も縮み上がる、氷の視線。

 圧力を受けた張本人は、しかしきっぱりと首を横に振った。


「いえ、せっかくのお誘いですが……」


 その彼女の誘いを断れるとは、ドゥイリオはなかなかの大物になりそうである。

 カーミラは大して残念でもないように「そう、残念だわ。気が変わったらいつでも言ってちょうだいね」と彼の肩を放した。

 僕はすっかり冷めてしまったコーヒーを啜ってから尋ねた。


「それで?」

「あなたのその言葉足らずな聞き方、直した方がいいわよ」

「今さら直せないね。それに伝わるんだからいいだろ」


 カーミラは呆れたように息を吐いてソファに座ると、鞄から書類を引きずり出した。それをばさりとテーブルに置く。


「編成を見て、占ってくれる?」


 いつもの依頼だ。僕はカードを取ろうと手を伸ばして――部屋の様子がすっかり変わってしまったことを思い出した。


「ドゥイリオ。カードってどこにしまった?」

「デスクの中にまとめてあります」

「取ってもらっていい?」

「はい。……ええと、いくつかありますが、どれですか?」

「どれでもいい。変わりないから、適当に選んでくれる?」

「分かりました」


 差し出されたカードを受け取って礼を言う。小馬鹿にするような目で見てきたカーミラを睨んでから、僕はカードをテーブルに広げた。

 片手に編成の名簿を見つつ、もう一方の手でカードを適当に掻き混ぜる。魔力が均等に行き渡るようにしながら、不足している情報を補う。


「何の討伐?」

「東部辺境に出たドラゴンの群れよ。町が一つ壊されて、駐屯していた騎士団が壊滅状態になったの。報告では小型から中型の飛龍が十三頭確認されているわ」

「なるほど」


 道理で大所帯になるわけだ。一頭ならまだしも、十三頭もの群れとなったらこの人数になるのも頷ける。前衛、後衛、衛生兵、兵站、魔導師、斥候。定番の編成だ。


「明日には出発するの。急ぎだから、精査している余裕がなくて」

「これ、編成したのはいつ?」

「昨日の昼過ぎから夕方」

「関わったのは?」

「団長と副団長、私、それと占術師長の四人」

「ふぅん」


 占術師長が見たならもういいじゃないか、とは言わなかった。

 僕は名簿を置いた。カードをまとめて何度か切る。そうして、上から三枚をめくった。


 中途半端に切られた麻紐がふわふわと動いている――『桃色の小包』の逆位置。

 鋏や針など多種多様な道具を抱えた死神――『二十六通りの死因』の正位置。

 真ん丸に太った母子が豪華な食卓を囲んでいる――『愚か者の朝食』の正位置。


 ……参ったな。解釈の余地がない。


「最悪だ」


 カーミラが目を尖らせた。コイツの金色の目に睨まれると本当に怖いからやめていただきたいのだけど。石化しそう。


「何がどう最悪なのかはっきりと説明なさい」


 僕はこめかみを掻いて、重たくなった口をどうにか開いた。


 まず一枚目は全体的な評価、この場合は「ドラゴン討伐」という仕事がどうなるかを示す。出たのは『桃色の小包』。まさしく仕事の進捗を示すカードだ。正位置なら“苦しむけれどどうにかなる”だが、逆位置だと“順調だったのに失敗する”となる。

 次に『二十六通りの死因』。これは関係者の年齢や寿命を表していて、正位置の場合は“幼い”あるいは“短命”となる。不条理な死を暗示している場合もあるから、このカードが正位置で嬉しいことは滅多にない。

 ラスト。結末。『愚か者の朝食』は事後の様子を示している。正位置は“非常に後味の悪い結果となった”という意味だ。


 つまり――


「まず間違いなく最悪の結果。討伐は出来ず、死人が大量に出て、不味い朝飯を食べることになる。以上」


 硬直したカーミラを前に、僕は立ち上がった。安心させるように微笑みを向ける。


「大丈夫、僕がこれから未来を見る・・・・・から」


 カーミラは瞳を少し曇らせたが、何も言わなかった。

 僕はテーブルの四隅に蝋燭を立てた。香油を垂らすと炎が青くなり、シボラスチェアの花の透き通った香りが微かに鼻へ届いた。集中と陶酔をもたらす香り。


「今日の日付は?」

「一五〇二年、七の五日目」

「ということは……」


 十五日ずつが二十四週で一年。七週目“芽吹き”の五日目でこの時刻だと、アヌラトゥパスの木でできたカードが最も適している。別に絵柄は全部同じなのだが、素材が少しずつ違うのだ。

 ドゥイリオがきちんと整頓してくれたおかげで、いつもの十分の一くらいの早さで準備が整った。宝探しみたいな時間がなくなったのはちょっと寂しい気もするけどね。


「カーミラ、そこ、離れて。ドゥイリオも少し下がって」


 彼女は黙って従った。ドゥイリオもどこか不安げな顔をしながら、小さな声で返事をして本棚に張り付いた。

 さて。

 カードを箱から取り出し、両手に持つ。しっとりとした木の手触りの中には、生命を感じさせる温もりがある。耳を澄ませると、いろんな音――犬の唸り声、猫の鳴き声、子どもの歓声、恋人たちのささめき、他にもたくさん――が微かに聞こえた。みんな分かってるのだ、解き放ってもらえる・・・・・・・・・、と。それで興奮している。

 テーブルの前に立つ。目は閉じない。靴を脱いで、裸足を床にしっかりとくっつける。

 集中。陶酔。魔力。必要なのはその三つ。

 魔力は血と一緒に体内を廻っている。意識を傾ければすぐに感じ取れる。銀色の円環。それを竜巻にして渦潮にする。巻き込まれたら死に至るほど巨大な力の奔流になるまで、意図的に速度と量を膨らめていく。そしてそれを解放するのだ。“体”という器を一旦破壊して、魔力の手綱を放す。もちろん褒められたことではない。有り体に言えば“暴走”だ。そうでもしないと、未来を見るには足りない。

 寿命は当然縮むだろう。だが、僕はどんな手でも使う。この命はそのためにある。


 ――もう二度と、後悔しないために。


「さて。未来を見せてくれ」


 フッと息を吹きかけてから、カードを宙に放った。


 次の瞬間、カードが我先にと実体を持ち始めた。

 生物も無生物もリアリティも全部無視だ。犬、子ども、薬缶、猫、死神、悪魔、痩せこけた女、虫、太った婦人、麻紐、名状しがたい謎の生き物――


 そいつらはパタパタと駆け回り、あるいは宙を飛び、あるいは地を這って、興味の赴くまま好き勝手に動き回っている。本を読むものもいたし、壁を引っ掻くものもいたし、僕のコーヒーを啜るものもいた。


「っ……」


 僕は血管をねじられるような痛みを全身に味わいながら、声を張り上げた。


「カードよ、見せろ! 未来には何が待っている?!」


 真っ先に反応したのは謎の黒い生物だ。『押し売り』のカードに描かれている、不思議な形状の生き物。しいて言うならガチョウとカラスとゴブリンを均等に混ぜ合わせて、丁寧にやすりをかけたようなやつである。

 そいつが短い足でとてとてと駆け寄ってきたと思ったら、ぴょんと飛び跳ねて僕の胸の中に飛び込んできた。

 比喩でなく、しっかりと体内に入った。

 瞬間、視界がぶれて暗くなり、いくつかの場面が雑な紙芝居のように――中型の飛龍の群れ――最後の一頭を倒して歓声を上げる騎士団――そこに突如襲い掛かる大型のドラゴン――見えたところで、視界が元に戻る。

 僕を通り抜けて背中から出ていったそいつは、とてとてと僕の周りを一周して、それから書類棚の方へ行った。せっかくまとまっていた書類をぶちまけ始めるが、構ってはいられない。すでに意識がかすみ始めてきた。


「大型ドラゴンの急襲がある、原因はそれだ! 次! どうすれば回避できる?!」


 編成名簿をじーっと見ていた黒い犬が、パッと顔を上げて駆け寄ってきた。『完遂』の犬。彼は僕の周りをぐるりと回って、背中の方から僕の中へ飛び込んできた。

 見えたのは――斥候隊の印をつけた馬が山道を進んでいる――一人、やけに体調の悪そうなやつがいる――そいつが滑って崖から落ちた――落ちた先でドラゴンの卵が割れている――なるほど、奇跡的な不運だな!

 出てきた黒犬は僕の前で、ぶるぶるぶるっと体を震わせると、ソファの方へ行ってしまった。ああ、そろそろ倒れそう。奥歯を噛み締めたつもりだったが、その感覚もほとんどない。


「斥候の中に体調の悪いやつがいる、そいつを外せ! 次! 最善の未来はどこにある?!」


 ふいに背後から襲われるような感覚がして、目の前に――……――……――映像が見えたのだが、認識はできなかった。

 毛皮のコートを羽織った男が、僕に向かって帽子を傾けた。


 それを最後に、僕の意識はぷつりと途切れる。


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