第31話


 既に墓苑は闇に飲まれかけていた。

 それでも菊は足早に紀子の墓へと向かう。


(…あ、)


 紀子の墓の前では、島津が膝を折り、手を合わせている。その島津の背中を見つけ、足が止まった。


「………」


 菊は少し後退り、離れた位置で紀子と対話する島津を待った。


 しばらくすると島津は立ち上がり、紀子の墓を後にすべく振り返る。


「…!」


 明かりは少なく、数メートル先さえ目路が難しくなってきている。

 それでも、二人は確かに目を合わせた。


「島津さん!あの!私、」


 刹那菊は叫んでいた。伝えたいことが多すぎて、意図せず大きな声が出る。


「島津さんにお礼が言いたくて!」


 すると島津は大股で菊の傍まで歩み寄り、


「すみません、場所を変えませんか?」


 息がかかる程の位置で菊を見下ろし、真顔のままでそう言った。どこかいつもの島津らしくない。

 菊は一抹の不安を抱えたまま頷く。


 島津は菊の反応を確かめると、ゆっくりと菊を追い越していく。菊はそんな島津の後を追った。


     ※ ※ ※


 少し車で出掛けませんかと提案され、頷いた菊は自身の車を停めているコインパーキングに向かいかけた。しかしその腕を熱い手に掴まれる。

 菊はぎょっとして振り返った。

 島津は慌てて菊の腕を掴んでいた手を離す。


「あ、すみません。いきなり掴んでしまって、」

「…いえ。大丈夫ですけど、」

「それで、あの、どちらへ行こうとされたんですか?」

「え?車、ですけど、」

「車?」

「車で来てるので、島津さんの車の後を付いていけばいいんですよね?」


 島津は思いもよらなかったのか、少し声をたてて笑った。

 しかしすぐさま笑みを消し去り、


「駐車代は後程お支払しますから、俺の、…あ、いや、僕の車で少し話をしませんか。」


 なるほど、と合点のいった菊は頷き、にっこりと微笑んだ。


「駐車代はお支払いただかなくても大丈夫です。貴方からはもう、何もいただけませんから。」


 その言葉は、偽りない菊の本心ではあったが、何故か島津の顔を曇らせた。


     ※ ※ ※


 以前のように後部座席に乗りかけて、しかし一拍考えて菊は助手席のドアを開けた。


 男の人の運転する車の助手席など、父親の車でしか経験がない。

 それでも意を決したのは、島津の傍に座りたいという不思議な感情によるものだ。


 この感情の名前を、菊はもう黙殺することはできなかった。



 しかし助手席は思いの外島津との距離が近く、シートベルトをはめる手が微かに震えた。気取られまいと急いで手を引っ込めて、腹の前で両手をぎゅっと握りしめる。


「少し遠くへいこうと思うのですが、大丈夫ですか?」


 島津がこちらを伺っているのが気配でわかる。

 菊は頬が赤くなるのを悟られまいと、助手席側の窓に視線を投げて、「お願いします」と窓に写る島津に頭を下げた。


     ※ ※ ※


 今日の車はレンタカーではなかった。


 車内を流れるBGMは菊も好きな楽曲が多く、窓の外に視線を投げながら、心地よく音楽に耳を傾けた。

 そして漂う香りも、菊の車のそれとは系統も違う匂いではあったが、爽やかで好感が持てる。


 そのためだろう。30分も走る頃には、菊の警戒心はずいぶん解れていた。


「島津さん、」


 菊は視線を、助手席側の窓の外を流れる闇夜に向けたまま、自然と口を開いた。


「私、島津さんに言いたいことがたくさんあって、」

「はい。」

「まず、」


 菊は改めて背を伸ばし、短く息を吐くと、一度目を閉じた。そして開いたときには運転中の島津の横顔を真っ直ぐに見つめた。


「たくさんの支援を、本当にありがとうございました。島津さんの支援がなければ、目標金額に到達することはできなかったと思います。」


 事実、目標金額のおよそ半分近くが、島津の支援で成り立っていた。それがなければ、残り一ヶ月足らずで目標金額を達成できる見込みなど皆無に近かった。


「私の夢は、貴方に支えられて初めて叶えることができました。…だから、だからこそ、どうしても聞きたかったんです。」

「…はい。」

「どうして貴方は私にそこまでしてくださるんですか?私とはほとんど面識がないのに、」


 それは静かだが、しっかりとした菊の言葉だった。

 だからこそ、島津ははっきりと芯のこもった声で言う。


「簡単なことです。俺はあなたの力になりたかった。それだけです。」


 そして島津は徐にハンドルを切り、車は菊の知らない小路へと入っていった。


 

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