第28話
『あや』を出たのが午後3時すぎ。
すでに小一時間以上、愛車の軽自動車を走らせている。
(思ったより時間がかかっちゃった。高速に乗ればよかったな。)
菊は小さく息を吐き、緊張を和らげるために、車内を流れる音楽の音量を少し上げた。
※ ※ ※
一番支援してくれた『アウローラ』が希望したのは、とある場所への「出張販売」だった。
その住所を地図アプリで調べると、郊外にあるとある団地の一角を示した。拡大してみると、どうにも普通の民家らしい。
(ちょっと意外だったなぁ…)
なぜか菊には、『アウローラ』と、その郊外の団地がにわかには結び付かなかった。
根拠なく菊は、『アウローラ』は都会の喧騒下で生きている人だろうと思っていた。
菊は『アウローラ』について、「上等なスーツを着て凛と立ち、低めの声で話すビジネスマン」なのではないかと想像していたのだ。
「…ううん。どんな方でも関係ない。誠心誠意お礼は言わないと。」
今日は、出張販売を前に、まず試作品の弁当を持参して、その後、必要個数を聞いて帰るつもりだった。
「………」
軽自動車のハンドルを握る手が汗で滑る。
何度も太股で汗を拭いながら運転した。
※ ※ ※
ようやくたどり着いたその場所は、古い団地の一軒家。近隣の家々共々、ずいぶん築年数が経過しているように見受けられる。
菊は近くの公園横の駐車スペースに車を停めて、スマホを取り出した。
(ここ、だよね。)
菊はスマホを開き、クラウドファンディング運営サイドから送られたパトロンリスト一覧の、『アウローラ』の項目に着目しながら、何度も住所を確認した。
(やっぱり、指定しているのはここだ。)
事前にアポイントを取ろうにも、アウローラはメールアドレスしか開示していない。
ただ、希望するリターンを「出張販売」としており、その住所はきちんと明記してあった。
「…うーん、」
菊はスマホを握ったまま、しばらく考え込んだ。
とりあえず今朝、試作品を持って伺う旨はメールしておいたが、未だに返信はない。
(一応、挨拶だけでもと思って来たけど、…やっぱりいきなりはマズかったかな。)
車の中でうんうん唸っていても埒が明かない。
斜陽はすでに団地をオレンジ色に染め始めている。
菊は仕方なくおずおずと車から降りた。
弁当を抱え、その民家の前まで足早に向かう。そして門扉横のインターホンを、緊張で震えながらも決意を込めて力強く押した。
『…はい。』
しばらくして響いた、年老いた男の声。
菊の心臓がどくんと跳ねた。
「あ、あの!私、瀬戸菊と申します。この度は、」
『え!菊ちゃん!?』
インターホン越しに聞こえてきた年配の男性の声が、甲高く上擦った。その声に、聞き覚えがあり、菊は驚きの中で口を押さえた。
名を呼ばれ、確信した。足がガクガクと震える。
「しゃ、社長…!」
一気に涙が溢れ出た。
この家の主は、およそ4年ぶりの再会となる『ころりん』初代社長、白石源三だった。
※ ※ ※
「さあさあ、上がって上がって。」
初代に居間へと通され、菊は畏まりながらも、一本の大きな木から作られたテーブルの前にちょこんと座った。
初代は台所で「よく来てくれたね」と声を弾ませる。
菊は緊張した面持ちで部屋を見渡し、ある一点に目がいった途端、慌てて立ち上がった。
「…紀子さんっ…あ!社長!あの、紀子さんにお線香をあげさせてもらえませんか!」
「ああもちろんだよ、菊ちゃん。菊ちゃんが来てくれたんだ。あれもとても喜ぶよ。」
初代は菊に茶を出しながら、頬を紅潮させ、目頭をそっと押さえた。
菊も俯き、何度も鼻をすすった。
仏壇の前に座り、線香に灯をともして一本立てる。すると、柔らかな煙と共に優しい匂いが立ち込めた。
それは笑っている遺影の中の紀子の匂いに少し似ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます