第27話


 10月中旬。


「…!あ、ありがとうございます…!」


 その日ついに、5月から半年を期限に開始したクラウドファンディングの目標金額200万円に到達した。


 菊はパソコンの前で顔を押さえたまま、しばらくうち震えて泣いた。


 

 その週には運営サイトから手数料分を引いた金額が振り込まれ、同時にパトロンと呼ばれる支援者たちのリストが送られてきた。


 住所の記されているパトロンには、一人一人に封書でお礼状と引換券を同封する予定だ。

 そのリストをパソコンに入力していく中で、


「あ!武田モータースの皆さんだ!わー!お礼言いにいかなきゃ!わ、松原さんは個人でも支援してくださったんだ!ありがとうございます!」


「あー!亜矢子さんも支援してくださったんだ!凄い!嬉しい!…え!常連さんたちも!ありがとうございます!わー、お礼言わなきゃ!」


「え!店長!うそ!スーパー中松も!有志一同っ…皆さん、ありがとうございますっ!あ、一之瀬さんもだ!ありがとうございますっ!!」


 パトロンのリストには、見知った名前もちらほら見受けられ、菊は驚きと喜びの中で何度も涙を拭った。


 そして、


「…あ、『アウローラ』さん、」


 その中でも、最も多くの金額を支援していたのは、菊の予想通り、『アウローラ』だった。


 その額、97万3千円。


「………う、うぅ、」


 その圧倒的な金額を前に、菊はただ随喜の涙を流すことしかできなかった。


     ※ ※ ※


 リストを受け取ったその日のうちに、武田モータースへと謝意を伝えに足を運んだ。

 

「おー!そうかいそうかい!よかったねぇ菊ちゃん!でもこれからが大変だよ。恩に報いるってのは並大抵のことではないからね。普通に頑張るより大変だよ」

「はい。ありがとうございます。精一杯頑張ります!」

「まああまり気負わずにね。一歩一歩前に出るだけでも前進だから。後退しなければいいだけの話だよ。」


 武田社長は菊と握手を交わしながら、もう片方の手で、労うようにポンポンと菊の手を叩く。

 菊は深く頭を下げて、もう一度感謝を告げた。


 

 その後、菊は武田社長に連れられて、整備工場へと向かう。

 入口付近で工場内の社員たちに武田社長が大きめに声をかけ、菊は手を止めてくれた社員たちに大声で感謝を伝えた。


「皆さん、本当にありがとうございました!!」


 すると誰かが手を叩き、それを合図に社員たちは大きな拍手を送った。

 菊は下げた頭を上げることができず、震えながらポケットからハンカチを出すと、涙でぐちゃぐちゃになった顔を覆った。


「おめでとうございます、菊さん。これからが大変だろうけど、頑張って。」


 すると不意に聞き覚えのある声がした。松原だ。

 菊は俯いたまま何度も頷いた。


「松原さん、本当に色々ありがとうございました。松原さんの応援、とてもありがたかったですっ」

「とんでもない。でもそう言ってもらえると嬉しいですね。こちらこそありがとうございます。」


 菊が顔をあげると、いつの間にか傍まで来ていた松原が、照れたように笑った。菊もハンカチで顔を押さえたまま、泣きながら笑う。


「しかしこれでようやくあのキッチンカーも日の目を見るねぇ。」


 そんな二人を見ながら、隣に立っていた武田社長は晴れ晴れとした声で言った。

 菊は改めて武田社長を見遣る。すると目が合い、武田社長は太陽のように豪快に笑った。


 その、青空を突き抜けるような笑い声に、菊はみるみる顔を歪めていき、堪えきれずに嗚咽を漏らした。


     ※ ※ ※


「え!本当!?凄いじゃないの!」

「はい!皆さんのお陰です!」


 昼過ぎ。

 武田モータースの帰りに立ち寄った小料理屋『あや』で、菊は開店準備中の亜矢子にそう労われた。

 菊は笑って応えていたが、その顔はあまりにもひどかった。

 泣きはらした目が酷く腫れている。


 菊の顔を見て、笑いながら亜矢子はボウルに水を張り、冷凍庫の氷をボウルに入れて、そこにタオルを浸すと固く絞った。


 それを菊に手渡す。


「ほら、そこに座って目を冷やしなさいよ。そのままだと明日には目が開かなくなるよ。」

「はい、ありがとうございます。」


 菊はカウンター越しにタオルを受けとると、上を向き、キンキンに冷えたタオルを目の上に乗せた。


 タオルの冷気は、菊の火照った身体をもみるみる冷やしていく。


「…亜矢子さん、」

「ん?」

「……私、今からあるところへ行きたいので、売る予定のお弁当の試作品、ここで作ってもいいですか?」


 亜矢子は一瞬目を見開いたが、すぐに微笑みに変え、


「もちろん。できれば二つ作ってくれる?アタシも食べたいから。」

「…はい。もちろんです。本当に、本当に、いつも、ありがとうございますっ…」


 目をタオルで覆ったままの菊の声は震え、冷たいタオルは熱い涙で濡れていった。


 

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