第24話


 6月に入った頃。

 亜矢子に「店の仕込みの段階から手伝ってくれないか」と頼まれた。

 今後のことを考えても、亜矢子の申し出は渡りに船だ。菊には断る理由がなかった。


「ありがとうございます!よろしくお願いします!」



 翌日。

 スーパー中松惣菜コーナーの雇われ店長に、退職したい旨と理由を伝える。店長は形式上引き留めたが、菊の意思を確認すると、何度も頷いて了承してくれた。

 ただ会社の規定に従い、退職は一ヶ月後となった。


 7月。

 スーパー中松退職の日。

 店長が気を利かせて、この日は早番にしてくれた。


 仕事を終えた後、菊はロッカーを片付け、エプロンをクリーニング用の袋に納めて提出した。そして、


「お世話になりました。ありがとうございました。」


 もう一度作業場に戻ると、作業している人たちに向け、心からの感謝を込めて、深く頭を下げた。


 だが作業をしていたほとんどのパート従業員は作業の手を止めることさえなかった。

 

 菊は顔をあげ、微笑み、そして踵を返すと歩みだす。そのままスーパーの裏口へと通ずる扉を開けた。



「瀬戸さん!」


 その時、スーパーを後にする菊の背中に何者かが声をかけた。

 菊は慌てて振り返る。


 そこにいたのは、パート従業員の一之瀬だった。


「一之瀬さん、」


 一時期、とても懇意にしてくれた一之瀬に声をかけてもらえたことに、菊は泣きそうな顔になる。


「瀬戸さん、ごめんなさいね。本当にごめんなさい。」


 一之瀬は、涙を流しながら菊を前に頭を下げた。


「そんな、一之瀬さん、頭をあげてください。」

「皆で無視するなんて子供みたいなことに荷担して、本当に大人げない。…本当にごめんなさい。」

「気にしないでください。私が皆さんの足並みを乱していたのは事実ですから、」

「いいえ。あなたはあんなに一生懸命頑張ってくれていたわ。足並み乱していたわけではない。新しい流れを作ろうとしてくれていたのよ。なのに、変わることを恐れて、あなたを排除していたのは私たち。私たちは進化もできずに凝り固まってた。老害と言われても否定できないわ。」

「そんな!そんなことはありません!私が、」

「違うのよ。変化を恐れるから、商品のラインナップもいつまでも変えることができない。うちの売り上げが下がってきているのが、私たちの限界を如実に表しているのよ。」


 一之瀬は泣きながら歩み寄り、菊の手をぎゅっと握り締めた。


「本当にごめんなさい。あなたは、頑張ろうとしていたあなたは、決して間違ってなかったわ。だからどうか、新しい世界で、あなたらしく頑張ってね。」

「…はい、…ありがとうございますっ」


 菊は一之瀬の顔を見ることができずに俯きながらも、肩を震わせ何度も何度も頷いた。



 後日、菊宛に小包が届いた。

 送り主は、スーパー中松惣菜コーナーの店長。

 中に入っていたのは、色とりどりの薔薇のプリザーブドフラワーでできたフラワーケーキだった。

 それを、菊は震える手でそっと持ち上げた。


 すると舞うように、一枚のカードがひらひらと机の上に落ちた。

 急いで拾い上げる。

 それは飾りっ気のない、茶色いだけの小さなメッセージカード。


 そこには、これは餞別の品である旨と、店長と一之瀬と、他数名のパート従業員の名が、店長の文字で記されていた。


 そして最後に、

【本来なら僕が立場上仲裁に入らなければならなかったのに、何もできず、本当に申し訳ありませんでした。どうか今後も頑張ってください。】


 不器用な店長らしい、素朴で率直なメッセージだった。


「いいえ、いいえ!違います店長。…こちらこそお世話になりました。ありがとうございました。」


 菊は手にした花とカードに向けて、深く頭を下げた。

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