第21話
昼前に武田モータースを出て菊は、しばらく宛もなく車を走らせた。
だが結局、『ころりん』跡地に立つコインランドリー『LittleMermaid』へと足を向けてしまう。
立ち寄ることはないが、ちらりと見遣ってそのまま通りすぎた。
斜陽が街を照らし始め、菊は家から少し離れたショッピングモールへ夕飯の材料を買うべく立ち寄った。
職場であるスーパー中松の方が家から近いのだが、正直仕事以外でスーパー中松に関わりたくない。
(こんな気持ちだから、駄目なんだよね。)
職場にそんな感情を抱くことに罪悪感はある。だがその実、スーパー中松を避ける行為自体は、菊の心を守るための防衛反応に近かった。
※ ※ ※
ショッピングモールは大規模商業施設ということもあり、若干食材が高かった。なので毎日買い物していては予算オーバーになる。そのため、菊は一度の買い物で数日分の食材を買い込むことに決めていた。
籠を片手に、切り分けられたカボチャの小パック、ブロッコリー一株、大根3分の1、人参1本、玉ねぎ2玉を手に取った。また4分の1にカットされたキャベツと白菜も籠に入れる。
精肉コーナーで豚ミンチと豚の小間切れの一番安い小パックをそれぞれ選び、あとは4枚入ったハーフベーコンを籠に入れた。
これで四日分の食事ができる計算だ。
会計を済ませ、店を出ると、すでに空は薄暗い。
菊はスマホで時刻を確認して、気持ち足早に帰路に着いた。
家に帰るとすぐに数日分の夕飯の下ごしらえを始めた。
野菜はすべて食べやすい大きさにカットしてそれぞれポリ袋に入れて冷蔵庫へ。豚ミンチは4等分に分け、3つは小さなポリ袋に一つ一つ入れて冷凍庫にしまう。豚の小間切れは二つに分けて、醤油ベースで味付けたものは冷凍庫。残りは今日のためにフライパンへ即座に投入した。
豚肉に火が通ったら、ボウルに入れていたキャベツと人参の一部を少量ずつポリ袋に移し変えて冷蔵庫に納める。残った野菜と玉ねぎを半分、フライパンで一気に炒めて野菜炒めにした。
空いたコンロでカボチャと豚ミンチで煮て、煮汁が減ったら水溶き片栗粉を入れて餡掛け風にする。
「よし、できた。」
朝タイマーにかけておいたご飯が炊き上がれば、今日の夕飯の支度は終了。
あとは父親が帰って温めなおせばいい。
エプロンを外すと菊は、急いで自室に戻り、緊張した面持ちで、最近買ったノートパソコンの前に座った。
※ ※ ※
一日一回、必ず見るサイトがある。
前に島津に教えてもらったクラウドファンディングを扱うサイトだ。
昨日までは、見るだけ見てはすぐ閉じるようにしていた。自分には無理だと諦めていたからだ。
だが、それでも毎日見てしまう。
そんな状況を脱するために、今日、キッチンカーと決別する覚悟を決めて武田モータースに足を運んだ。
(…けど、)
しかし、実際キッチンカーを見て、松原の話を聞いて、菊の意志決定は、真逆の方向に動きつつあった。
松原の話してくれた、キッチンカーの前の持ち主の言葉を思い出す。
『お客様に真心を差し上げたいと思われる方にお譲りしたい。』
(私がやりたかったことは、…何だったんだっけ?)
それこそ、『ころりん』の販売スタイルであった、地域に密着した『真心のこもったお弁当の販売』なのではないか。
(…そう。そうだったんだ。私は、)
もともと菊は接客が好きだった。
もちろん『ころりん』のおむすびも大好きだったし、『ころりん』の雰囲気も好きだった。
だが何より、客のニーズに沿った弁当を販売することで、客が笑顔になることが好きだったのだ。
(…私は、)
確かに、料理を作ること自体は嫌いではない。
だが菊は料理を仕事にしたかったわけではなかった。
(…私がやりたかったのは、)
客を笑顔にするために頑張って作ったおむすびや弁当を販売することが好きだったのだ。
(それこそが、真心を差し上げるってことなんじゃないの?)
今の仕事は正直きつい。
なぜか。それは自分が頑張ってこなかったからだ。
それを巻き返すだけの環境に、自分が積極的にしてこなかったからだ。
それは確かに言い逃れできない。
(わかってる。これは逃げるに等しいのかもしれない。けど、)
『働くことは生きること、ということの本当の意味を、僕はあなたに強く感じていましたが、…勝手に思い込んでいたみたいですね。』
以前、早朝のコンビニバイトの最中に島津に言われた言葉が、なぜかこの時ふっと菊の胸に一陣の風となって吹き抜けた。
(あんなことは、もう言わせない。)
一つ息を吐き捨て、改めてパソコンを立ち上げる。
そして菊は、心臓の高ぶりを感じながら、クラウドファンディングを扱うサイトの登録ボタンをクリックした。
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