第17話


 島津は強い口調で、


「僕は、『ころりん』の倒産を気にしてあなたに関わっているのではありません。………。」


 と言いきったが、次の瞬間には二の句を告げずに何故か黙り込んでしまった。


「………。」


 かといって菊も言葉を見つけることができずに、スーパー中松の裏口は、闇に溶けるほどの沈黙がただただ流れた。


「………」

「………あの、」


 しばらくして、ようやく口を開いた島津が、


「食事をしながら話しませんか。」


 と、低く小さめの声で静かに聞いてきた。


「…あの、」


 菊は断ろうと口を開きかけた。


「………あ、」


 だが、島津の顔を見ると断れなかった。


 一瞬前に、あんなに堂々と強い口調で言葉を言いきったのに、なぜ、食事を誘う時にはそんな消極的な顔をするのか。


「じゃあ、行きましょう。」

「……はい。」


 そう問えばよかったのだろうかと、菊は、島津の後ろを付いていきながら思う。


 しばらく闇夜の中を二人は縦に並んで歩き、五分もしないうちにスーパー中松の駐車場にたどり着いた。

 

「車で行こうと思うのですが、いいですか?」


 聞きながら島津は、スーパー中松の駐車場に停めていた黒っぽいトヨタのハリアーの助手席を開けようとする。


 他人の車の助手席にいきなり乗る勇気がなかった菊は、


「あの、後部座席でもいいですか?」


 とおずおずと問うと、明かりの少ない駐車場にあってもわかるほど、島津は可笑しそうに笑った。


     ※ ※ ※


 トヨタのハリアーは黒かと思ったら紺色だった。しかもレンタカーだった。


「この辺には出張で来てるので、」


 と言う島津に、どの辺に住んでいるのか聞くほど親しくないため、菊は曖昧に頷いておいた。



 車は15分ほど走り、地元ではかなり有名だが菊には縁遠かった、高級そうな外観の隠れ家的イタリアンの店に到着した。


 何台か停まっている駐車場の一番左端に車を停めて、島津は「着きましたよ」とバックミラー越しに菊に伝えた。


(うわ、)


 促されるまま、菊は気後れしつつ車を降りた。

 同時に運転席から降りた島津が、勝手知ったる様子で店の扉を開ける。


 店内で島津が店員と話しているのを外で待ちながら、菊は鞄の中の財布をこっそり取り出し、中身を確認した。


(えっと。…ここまで来て断るのってどうしたらいいんだろう。)


 男に食事に誘われた経験の乏しい菊は、三千円しか入っていなかった財布を握りしめたまま途方にくれた。しかし、


「すぐ入れるみたいですよ。」


 戸惑う菊を察しない島津が、いつもの穏やかな笑顔で入店を促す。

 菊は曖昧に笑いながら、


「すみません、私、今日持ち合わせがなくって。食事は後日でもいいですか?」


 素直に事情を話して後退った。


 すると島津は一瞬目を丸くした。だがすぐさまくしゃりと破顔した。


「……ぇ、」


 それは今まで菊が見たことのない、子供っぽい笑顔だった。


「僕が誘ったんですから、ここは払わせてくれませんか?ご迷惑でなければ、」


 そこまで言われて断る勇気がなかった菊は、納得しない曇った顔のまま、おずおずと店の中へと足を踏み入れた。


     ※ ※ ※


 メニュー表を見たところで、料理の中身がまったく想像できなかった菊は、


「あの、注文するのって飲み物だけでもいいんですか?」


 とメニューがわからない旨を暗に伝えてみた。

 しかし島津にはまったく伝わらなかったらしく、


「え?お腹が空いていないんですか?」


 と不思議そうに尋ねられた。刹那、


「…ひゃ!」


 そんなことはないと言いかけた菊の口より早く、菊の腹が派手にグゥと鳴った。


「あわわわ!」 

 

 髪の毛が逆立ちそうなほど驚いた菊は慌ててお腹を押さえ、顔を真っ赤にして俯いた。


「くくくくっ」


 島津は堪えきれずに口を手で押さえて肩を揺らす。


「ふふ。お腹が空いておられるようなので、こっちで適当に頼んでもいいですか?僕も腹ペコですし。」

「……お任せします。すみません。」


 結局、コース料理の前菜が届くまで、耳を真っ赤にした菊は顔をあげることができなかった。


 

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