雪
北見夕夜
雪
窓の外は、真っ白だった。
夕方から降り始めた雪は、夜明け近い今もまだ降り続いていた。あの人との出会いも確かこんな雪の日だったな、と思い出し、何故か少し可笑しくなった。
後ろを振り返ると、
私は、隆志を起こさぬように、注意しながら、戸棚を開け、お気に入りの茶色のダウンを取り出して、それを羽織り、あの人と付き合い始めた最初の年にお揃いで買った毛糸の手袋をつけた。私が桃色で、あの人が青だ。
もう一度、隆志が寝ている事を確認して、私は、玄関へ向かった。
外は、一面の銀世界で、見慣れたはずの家の前の道路が、全く違うものに見えた。私は、そっと、雪に手を入れてみた。掌に持てるだけの雪を掬い上げ、それをぎゅっと丸める。私は、その雪玉を、真っ白な雪の上に置いた。転がしてみる。いびつな形のその白い玉は、右に左にぶれながら、ころんころんと転がり始めた。雪玉を丸めながら、私は、あの人との事を思い返す。
あの人と付き合い始めたのは、12月20日。初デートは、クリスマスイブ。友達からは、クリスマスの即席カップルと冷やかされたが、結果、もう10年も一緒にいて、結婚までしているのだから、即席カップルだって、捨てたものではない。
その年は、近年まれに見る寒い冬で、イブの日にはすでに、白銀の世界が広がっていた。雪の道を、さくさくと踏みしめながら、私たちは、お互い無言のままで歩いていた。もちろん喧嘩しているとかそういうわけではない。何を喋ったらいいのか分からなかっただけ。周りのカップルたちが、楽しそうにお喋りしながら歩いていく。少し羨ましかった。
突然、彼が立ち止まって、しゃがみ込んだ。え?と、思ってみると、彼はその辺の雪をかき集めて丸めだした。周囲の人たちが、ちらっとこちらを見た。私は恥ずかしくなった。
ぼふっ。
急に、私の顔に何かがぶつかり、私は一瞬頭の中が真っ白になった。
彼を見ると、作っていたはずの雪玉がない。そこでようやく私は彼に雪玉をぶつけられたのだと気付いた。今日のために一生懸命選んだ服が、雪で濡れてしまった。私は抗議の声をあげようとした。が、彼はにやっと笑うと、再び雪玉を作り始めた。私は慌てた。私は、その場にしゃがみ大急ぎで雪をかき集めた。
「えいっ!」
私は雪玉を彼に向かって思い切り投げた。雪玉は、彼の横顔に当たった。
「いてえっ!」
と、彼は大げさに言うと、「やったな!」と笑いながら、私に雪玉をぶつけてきた。私も、負けずに投げ返す。
こうして、突如雪合戦が始まった。街中で。やがて、誰かが通報したのか、遠くに警察の姿が見えると、「やばいっ!」と、彼が叫んだ。彼は私の手を引くと、全力で走り始めた。私も、思い切り走った。結局、この日、買い物も出来なかったのだけど、その後、私たちの間に会話が尽きる事はなくなった。
気付いたら、あんなに小さかったはずの雪玉が、両手で抱えるくらいになっていた。
私はそれを、家の玄関の前まで転がした。
一息ついてから、私はまた、新しく雪をかき集めて、小さな雪玉を作った。そして、再びゆっくりとその雪玉を転がし始めた。
結婚したのは、付き合ってから3年ほどしてからだった。特に、何かきっかけがあったわけでもなかったが、その頃にはお互い、20代も後半に差し掛かっていたし、そろそろいいんじゃないかと思ったからだった。何よりも、一緒にいることが当たり前になりすぎていて、この人と別れる、なんて考えることもなかった。実感していたわけではないけど、幸せな日々だったと思う。
結婚した後も、彼はとても優しかった。私は、料理は苦手だったけど、お料理教室にも通って頑張った。生活は、裕福ではないけど、別に貧乏だなんて感じていないし、貯金だって、割としている方だと思う。
とにかく私は幸せだった。彼と出会えた事も。彼と結婚した事も。彼との生活も。
ただ・・・私たちには、子供だけが出来なかった。
雪玉が、随分大きくなった。私は、今作っている雪玉と玄関の前に置いた雪玉を見比べた。同じくらいの大きさだった。少し私は悩んだ。が、私はまた雪玉を転がし始めた。ゆっくりとゆっくりと、周囲の純白の雪をかき集めながら。
結婚してから、5年が過ぎたけど、子供はやっぱり出来なかった。夫婦の営みは、普通にあった。病院にも行ったが、私と夫、どちらに原因があるのかは分からなかった。不妊治療も受けてみたが、特に成果は現れなかった。互いの両親からは、孫の顔が早く見たいとせかされるようになった。
それでも、私は、別に、今のままの生活でいいと思っていた。二人でずっといるのなら、それはそれでいいし、子供だけが、夫婦の愛の形でもなければ、幸せの形でもないはずだ。愛情も幸せも、まさに、雪玉のように、ゆっくりゆっくり大きくしていけばいいのだから。
真っ白い雪の下から、黒いアスファルトが見えた。何度も同じところを転がしているうちに、そこにあった雪を全部取ってしまったようだ。真っ白だった雪玉に、少し、茶色い泥と黒い砂利が混じった。
ある日、夕飯を食べているときに、彼がぽつんと言った。
「養子を取ろうか」
何の前フリもなく、突然言われたので、私は初め何の話か分からなかった。
彼は続けた。
「ずっと考えてたんだけど、養子をもらうのもありじゃないかなって。やっぱり、子供欲しいしさ。お前だってそうだろ?」
彼はそう言って、苦笑いをして見せた。
頭の中が真っ黒になった。きっとこういう場合、真っ白って表現が正しいのだろうけど、この時の私の頭の中は確かに真っ黒だった。ずっと私は勘違いしていたのだ。私と彼は同じ考えだと思っていた。今の2人に満足していると思っていた。だけど、彼は違っていた。彼は、子供を欲しがっていたのだ。
私はきっと、「考えておく」、とかそんな言葉を言ったと思う。彼も、頷いて、それ以降は、その話をしなくなった。
それから、半年くらい経っても、私の頭の中の真っ黒は、消えなかった。私たちの間に子供が出来ないのは、どっちのせいなのか、そんなことばかり考え始めた。
そして・・・私は、一度だけ、彼以外の他の男性と、関係を持った。
相手は、私のブログをいつも見てくれてる人。別に誰でもよかったし、初めから一度だけのつもりだった。一度。この一度で、子供が出来なかったら、子供が出来ない原因は私にある。そう思うつもりだった。
雪玉がどんどん黒くなってきた。家の周りの雪は、もうほとんど無かった。
私は妊娠した。
もちろん、その間も、夫との間にそういう行為はあったわけで、お腹の中の子供が、どちらの子なのかは分からなかった。浮気した相手の血液型は、彼と同じだったので、子供の血液型でも判別はつかない。DNA鑑定なんてする気はなかった。
夫は喜んだ。お互いの両親も喜んだ。皆が喜んでくれたのだから、良かったと思うことにした。
そして、隆志は生まれた。
私は、随分大きくなってしまった雪玉を、ごろんごろんと転がし、玄関の雪玉の横に並べた。そして、初めに作った雪玉を、その上に乗せた。胴体が少し黒い雪だるまが出来た。いつの間にか雪はやんでいた。空を見上げると、遠くの方が薄っすらと白くなっていた。
ある日、隆志を見て、私の母が言った。
「どちらにも似てないね」と。
そう、隆志は私にも夫にも似ていなかった。私は、そんなことないよと必死にごまかし
た。夫も別に、疑っている様子はなかった。
だけど、それからしばらくして、夫の帰りが遅くなりはじめた。
明るくなり始めた空の下に、人影が現れた。彼だ。彼は、私に気付いたようで、一瞬だけ気まずそうな顔をした。が、すぐに、笑顔で手を振ってきた。手には、毛糸の手袋。色は、白。
朝日が、私の横の雪だるまを照らし始めた。
太陽に照らされて雪だるまは、溶けるだろう。
私たちの過去も、雪だるまのように溶けてしまえばいいのに・・・。
私は、彼の元に走った。
何も気付かないフリをして、おかえりって言うために。
終
雪 北見夕夜 @yu-yakitami
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