第2話

 王国主催の舞踏会が開催されると知らせが届いたとき、アンネは参加を即決した。

 普段は参加者の一覧を見て青薔薇姫がくるかどうかを確かめ、彼女が不参加であると分かるや否や、どんな家からの招待も断ろうとするあのアンネが、即決したのだ。アンネを参加させるためにどうやって説得しようかと悩んでいた両親が拍子抜けするほどに、あっさりと。


「だって王国が主催するというのなら、きっとアルヴェーン様もいらっしゃるでしょう?」


 警護のために見回るかもしれない。軍部の代表として参列しているかもしれない。どこかで、なにかのきっかけで、すれ違うかもしれない。


「ひと目でも姿を見れたなら。そしてできるなら、お話してみたいと思っていたんです」


 そうして尋ねたいのだ。青薔薇姫のドレスのデザインを起こしたのは、針を刺したのはあなたなのですか。──と。

 あまりにも声が穏やかなものだから。あまりにも表情が優しいものだから。夢見る少女のように甘く頬を染めて、会いたいだなんて言うものだから。両親はすっかり“アンネはアルヴェーン卿に懸想けそうしているのだ”と勘違いするのだが、アンネ本人は、結局最後までそれに気づくことはなかった。



 そうして訪れた、舞踏会の日。

 両親に推しに推されて、普段よりも豪奢ごうしゃに着飾って、化粧メイクも甘く愛くるしくされてたアンネは目を丸くする。しかしすぐに王国主催の特別な場だからだろうと納得した。両親にとってはそれだけ大切な場なのだろうと。

 しかし両親の意図は違った。年頃で社交界嫌いの娘に、ついに、ようやく春がきたかもしれない。そう思えばめかすのおしゃれにも気を遣おうというもの。

 着替えを手伝ってくれる侍女から「今までで一番かわいいです」と褒められ、すれ違う使用人たちからは「まさに華ですね」だとか「愛くるしいとは今のお嬢様のことを言うのでしょう」だとかおだてられ。馬車に乗るときでさえも御者から「お伽噺とぎばなしのお姫様もびっくりするほどの美しさですよ」などと言われたアンネは、照れていいやら戸惑えばいいやら分からずに、曖昧に微笑んでしまうばかりだった。──もちろん、両親が“娘が懸想けそうした相手に会いに行くのだ”などと吹聴したせいで、盛り上がった使用人らが自信を持ってもらおうと褒め倒したのだが、アンネ本人が知る由もない。

 そうしてようやく、本日の会場にたどり着く。

 馬車を降り、父のエスコートで広間にたどり着く。アンネはいつもどおりに一声かけて、壁際に行こうとした。が、それを父が引き止める。


「アンネ、ついてきなさい」


 なぜ。

 とっさに出そうになった言葉を飲み込んで、なんとか「はい、お父様」と返事をする。

 途中すれ違った何人かが父に声をかけてきた。しかしそのすべてを「あとで改めて挨拶させてほしい」とにこやかに断って、どこかを目指してまっすぐ歩んでいく。アンネも同様にドレスの裾を持って一礼するだけに留めて、急いでいるらしい父の背を追った。

 ようやく足を止めた父は、壁際に控えている軍服の男に声をかける。彫り出されたかのように鋭く整った、冷たい容貌ようぼうの男は、父に対して浅く腰を折ったのち「なにか」と問う。容姿に見合う硬質な声。


「アルヴェーン卿に娘を紹介しようと思ってね。……アンネ、おいで」


 彼が。あの。アルヴェーン卿。

 唐突に出てきた名前に、一瞬で緊張する。固くなった足をむりやりに動かして一歩前に出て、挨拶を覚えたばかりの子どものようにギクシャクと礼をした。


「ありゅ……アルヴェーン様、初めてお目にかかります。アンネ・ラウルと申します」


 噛んだ。思い切り、名前を噛んだ。

 ──恥っずかしい!

 アルヴェーン卿はなにごともなかったかのように「お初にお目にかかる」と淡々と名前と肩書を告げた。一般的な、当たり障りのない、普遍的な挨拶である。


「アンネを預けても構わないかな」父はそれに気づいているのかいないのか、にこやかに続ける。「急いできたせいでね。挨拶をおざなりにしてしまったんだ」

「私はいつからけいの護衛になったんだ? 困るのだが」

「そう言わずに。彫刻に華を添えてやろうという気遣いだと思って」

 それじゃ、あとは頼んだよ。


 父はそっと「あとはお前次第だ、頑張りなさい」とアンネに耳打ちをして、さっさと立ち去ってしまった。

 アンネを拒絶しているらしいアルヴェーン卿は、の名の通りに一言も発さず、身じろぎひとつせずに立っている。立ち去らないのは。一応父にアンネを頼まれているからだろうか。

 こころなしか、周囲の視線が集まっている気がする。その中から、コーウェル婦人がきらきらした目でこちらを観察しているのを見つけてしまったとき、思わず「うわ」と声がもれてしまったのは、仕方ないことだと思いたい。

 ──いきなり人嫌いな彫刻アルヴェーン卿と二人きりにしてくるなんて、お父様のいじわる……っ。

 立ち去っていく父の背中に恨めしい気持ちを目一杯込めた視線を投げつけるが、それが伝わるわけもなく。

 ………………、気まずい沈黙が流れる。否、気まずく思っているのが、おそらくアンネだけだ。アルヴェーン卿彫刻わずらわしいと思いこそすれ、気まずいなどとは考えないだろう。

 しかしこれは、よくよく考えてみればチャンスではなかろうか。父はきっと、先日アンネが“アルヴェーン卿と話がしたい”とこぼしたから、こうして機会チャンスをつくってくれたのだろう。

 で、あるならば。こうして黙ったまま時をやり過ごそうなどと、損失ではなかろうか。父の好意も、アルヴェーン卿の時間も無駄にしてしまう。


「あの、アルヴェーン卿」

「なにか」


 やはり硬質で冷たい声が返ってくる。視線はまっすぐ前に飛んでいて、隣に並ぶアンネに降りてくる様子は欠片もない。表情も、噂通り動かないまま。

 ──ひるむな。せっかくの機会なんだからっ。


「先日、青薔薇姫のドレスはあなたがデザインをして針を刺したのだと聞きました。本当ですか?」

「……それを聞いて、どうするというのです」


 冷たく硬かっただけの声に、刺し貫くような鋭さが加わる。背筋にぞくりと悪寒が走る。拒絶が明確になった声音に、なるほど接触を厭うというのは本当なのだろうと察する。


「あのドレスがとっても素晴らしくて大好きです。……と、直接お伝えするつもりでした」


 卿の目に、ほんのり驚きと困惑の色が乗る。彫刻が、生きた人間になった。その変化に、やはりアルヴェーン卿が刺したのだろうと確信をする。

 だからアンネは、いかにあのドレスが素晴らしく、美しく、繊細で、華やかで、大好きなのかを丁寧に言葉を尽くした。ひとつひとつ丁寧に施されている薔薇の刺繍も、繊細で大胆な背中のレースも、“青薔薇姫”本人を引き立てるために計算されたのであろう青の生地それ自体も、すべてすべて大好きなのだと。


「もう、もう充分だ。分かった、もういい」


 はた、と口を閉じ、隣の卿を見上げる。

 そこにはほんのりと頬を染め、視線を揺らして口元を押さえながら、なにかをこらえている様子のアルヴェーン卿がいた。

 照れている。

 あのが、わかりやすく照れている。

 ──誰だ。彼を彫刻だなんて言ったのは。むちゃくちゃ人間じゃないか。

 咳払いをした次の瞬間に、卿はいつもの彫刻の顔をした。けれど、頬の赤みまでは消し切れなかったらしい。人間かんじょうの残りがそこにあった。


「確かに、あのドレスを手掛けたのは私だ。“青薔薇”の噂は私のもとにも届いている。……あなたのように、好意的に見てくれた淑女レディに会うのは初めてなものでね。うれしいよ、ありがとう」


 ことり。

 胸の内でなにかが動く。

 気がついたときには「私のドレスも、仕立ててくださいませんか」と告げていた。

 アルヴェーン卿は驚きにより、再びに戻った。目を丸くし、力が抜けたようにぽかんと口を開いて「……は、」とかすかに声をこぼす。

 やってしまった。と思ったときにはもう遅い。あふれた言葉は戻らない。

 アンネが二の句を次ぐ前に、卿が返事をする前に。第三者の声が割って入ってきた。


「それでしたら、そこな娘よりも先にわたくしのものを仕立ててくださらないかしら」


 きらきらした目でこちらを見ていた、コーウェル婦人と、その友人とりまきたちだ。

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