華を彩るあのひと刺しを
唯代終
第1話
その女性は、常に青のドレスを身にまとっていた。
胸元を彩る繊細な刺繍は、大胆に、けれど緻密に丁寧に刺されたもの。腰から落ちるスカート部分はやわらかなサテン生地がストンと落ちて、背の高い彼女が歩くたびにきらきらと輝いていて、目が奪われる。
けれどそのドレスが最も美しいのは、背中だ。肩甲骨の二点から腰のくぼみの一点にむけてキュッと絞られたラインを彩るのは、彼女の肌が透けて見えるのではないかと思うほどに薄いレース。それを幾重にも重ねて、重ねて、重ねてあるが故に、彼女が動くたびに、光が当たるたびに、違う青の色を見せるのだ。
ぱっと目を惹くあざやかな青い華。
人々はいつしか、彼女のことをこう呼んだ。──“
アンネはほう、と感嘆の吐息をもらしては、また青薔薇姫のドレスをとっくりと見つめ、高揚して熱くなる頬を押さえて、またほうと息をついた。
爵位を持つ貴族がなにかしらの理由をこじつけて、年がら年中開いているくだらないパーティー。過激な夏の暑さも和らぎ過ごしやすくなる頃は特に社交シーズンと呼ばれ、あちこちで大規模なパーティーが催される。貴族はみな、己より爵位が高い家に取り入るためのきっかけに。あるいはどこのどういった派閥に属してどの家を牽制するべきか策を張るために。はたまた刺激的な
アンネは、年頃の娘にも関わらず
誰かに対する悪意ある
だから、嫌悪の対象でしかなかった社交の場で青薔薇姫を見つけたとき、凄まじい衝撃を受けたのだ。
凛とした青い瞳にあわせて
彼女を彩るための、ただそれだけのために計算を重ね繰り返した、額縁のようなドレスだった。
奇跡の象徴のように美しい、大輪の青い薔薇が、まさしくそこにいたのだ。
そう感じたのはアンネだけではなかったらしい。いつしか彼女は社交界で“青薔薇姫”の名で呼ばれるようになっていた。
今、苦手な社交の場にアンネがいるのは、ただただ青薔薇姫を、ひいては彼女の着ているドレスを見つめるため。ただそれだけのためだ。
「ねえ、聞きまして? 青薔薇姫のドレスを紡いだのが誰なのか」
不意に耳に入ったのは、
“青薔薇姫”のドレスの作者は不明である。……というのは、有名な話だ。どこの店もあんなドレスを仕立てた覚えはないといい、“青薔薇姫”本人に尋ねても「約束をしたので」と微笑んで口を閉ざすのだ。
故に、誰もあの素晴らしいドレスの仕立て人を知らない。その職人を召し上げて、ぜひ自分のドレスを、と望む令嬢の声は日に日に増えていくのに、職人は名乗りあげないのである。
だからだろう。コーウェル婦人は少し自慢げに、けれど特大のネタを誰かに持っていかれないようにと小声で、そっと
「どうやらアルヴェーン卿がデザインをしたのだとか」
「まあ。そのアルヴェーン卿というのは、あのアルヴェーン卿ですの?」
「ええ。人嫌いな彫刻のアルヴェーン卿ですわ」
ユーリ・アルヴェーン伯爵。王国軍の上層部で指揮を振るう、知略に長けた男だ。整った目鼻立ちとスンとも動かない表情、他者との接触を極端に厭う人だと聞いている。
まるで石材から選び抜いて彫り出された、神様のための彫刻のようだと
そんな彼が、青薔薇姫のドレスのデザインを起こした。確かに、噂で聞くアルヴェーン卿はとても神経質そうな方だから、あの繊細な糸の運びを描いたのだと言われたらしっくりくるような気もする。
噂話に熱中している婦人たちは、アンネが耳を澄ませていることに気づかない。
「わたくしは、彼がドレスに針を刺したと聞きました」
「本当に? 男性が針仕事をしただなんて信じられませんわ」
「同感です。それも軍部の無骨な石の彼が、なのでしょう?」
「まったく想像できないわ……。嘘のお話ではなくって?」
「それが、青薔薇姫を熱心に口説いていた卿を見た方がいらっしゃるそうなの」
これ以上聞くに堪えない話が耳に入らないように、アンネはそっとその場を離れた。給仕から果実水を受け取って、口をつける。思いの外緊張していたのだろうか、カラカラに乾いた喉がうるおっていく。
彫刻だとか、軍部だとか、男だとか。そんなことどうでもいい。青薔薇姫のドレスが美しいのは紛れもない事実であり、そのドレスのデザインが優れているのもまた事実だ。
──もし本当に、アルヴェーン卿が青薔薇のドレスを刺したのであれば。
脳裏に浮かんだ言葉を
もし本当にアルヴェーン卿が青薔薇のドレスを刺したのであれば、あなたの指先はとても素敵だと伝えたい。美しいものを生み出した彼の手に感謝したい。繊細で優美なレースを起こした頭脳と感性に、あふれんばかりの称賛を贈りたい。
アンネは、一度も会ったことない人嫌いの彫刻に思いを馳せる。
「ああ、お会いしたいなあ」
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