妖怪歓談録

@katsuodori

第1話

 十二月のある日、喫茶店に男女の二人組が入っていった。

 一人は後頭部が大きい老人で、もう一人は透き通るような肌をした白い美女である。

 二人は席に案内されるとそれぞれ注文を店員に告げ、料理が来るまでの間お冷をすすりながら世間話の様なものを始めた。


 「なぁ、じい様。最近街で妖怪の仲間を見なくなったと思わないかい。」


 「そうさなぁ、昔なじみはたいがい隠居するか隠れちまったもんなぁ。」


 「それだけじゃないさ。時代が進むごとにわたしらの力は確実に弱まってるんだよ。こないだわたしが久々に実家に帰った時なんて、わたしの家を山小屋か何かと勘違いしたじじいと男が勝手に寝てたもんだから凍死させてやろうとじじいに息を吹きかけてやったのさ。するとじじいが目を覚ましてね、なんて言ったと思う。」


 「さて、なんて言ったんだい?」


 「『巳之吉、寒さが腰に響く。毛布をもう一枚くれんか』って、わたしはそん時ばかりはこのじじい縊り殺してやろうかと。」


 「おいおい、穏やかじゃないね。そういうのはお前の在り方に反するんじゃないかい。」


 老人はそう言って煙管に火を入れる。


 「あぁ、それでもわたしは悔しくて悔しくて」


 そう言うと白い女は禁煙マークを指さしながら一つため息をついて


 「昔はよかった。今よりもっとそこらに妖怪がいたし、こんな風に惨めな気持ちになるような事もなかった。何より人間がちゃんと私らを畏れてくれた。」


 と、続けた。


 昔はよかったか、と老人が応えようとしたところで注文した料理が届いた。しばらく喋ることなく食事を口に運んでいた二人だったが、次に口火を切ったのは老人の方だった。


 「昔はよかったと口にするたびに、その人はまた一つ年を取るのだ。」


 「…誰の言葉だい?」


 「何を隠そう妖怪の総大将殿のお言葉だ。」


 「じい様のじゃないか、ありがたくもない。」


 「へっへっへ、わしが言うとらんでも、今より昔のどっかの誰かも似たようなことを言っとるじゃろ。」

 

 白い女は面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。


 「それで、何が言いたいんだい。」


 「なに、昔を懐かしむほど今も悪かあないってことだよ。確かに昔なじみが減ったのは、そりゃあ寂しいけど、新しく出てきた子たちだって少なくなかろう?」


 「あぁ、口裂け女みたいな奴らかい。」


 「そういう子らだけじゃあないけどね、わしはああいう子たちを見ると時代の移り変わりを感じるのよ。わしらの生まれたころにはなかったものから生まれた子たちじゃよ?まぁ、あの子らからすれば妖怪呼ばわりされるのは不名誉かもしれんがの。」


 老人は何でもない事のようにコーヒーをすすりながら軽く笑う。


 「じゃ、なにかい。妖怪の総大将は新人の育成に掛かりきりかい。」


 「あの子たちはわしが手を出さんでもしっかりやっとるよ。それに、わしとお前の在り方が違うようにあの子らとわしの在り方も違う。わしに教えられるようなことは何もないさ。」


 「そうかい。…じいさまは変わったね。」


 白い女が少し寂しそうにこぼす。老人は少し意外そうに白い女に話しかける。


 「ほうかね?」


 「ああ。昔は妖怪っていうのにもっと拘ってた気がするよ。」


 老人は少し恥ずかしそうに笑みをこぼす。


 「時代が変わればあり方が変わるというのに気づくのに無駄に時間がかかっただけさね。わしらが大切にしている伝統もそのうち知らない世代が生まれる。そういった子らに無理に過去のしがらみを押し付けることもあるまいよ。」


 「そういうもんかねぇ。」


 「そんなもんさ。少なくとも伝統にかかずらって今の面白いものを見落としていたら本末転倒だとわしは思うがね。それになんもかんも変わったわけじゃないさ。」


 老人はひとまずそれだけ言うと再びカップに口をつける。白い女は釈然としないような、それでも納得はしてみようというような難しそうな顔でコーヒーをすする。


 「じい様はもう昔みたいに妖怪が居続けるのは無理だって言いたいのかい?」


 「今産まれ来るような妖怪ならいざ知らず、わしらの様なものが居続けるには人の手が入っていない山奥か、それとも社会の片隅に身を寄せるか。最近生まれた怪異だって下端が狭いと聞く。いずれにせよわしらの時代は終わったのよ。」


 「寂しいこと言うじゃないか。」


 「わしらは人の間に生まれ、人の見えぬところで育まれるもの。人が全てを見ている限りは生きてゆけんのよ。」




 食事を終えた二人はしばらくのんびりとした後、店を出ることにした。

 

 「ほいじゃあ、そろそろ帰ぇろうかい?」


 「そうだね。」


 そう言って二人は席から立ち、一人はレジに、一人は出口へと向かった。


 「じゃ、わし先に店出とくからの。」


 「はいはい。」


 「あ、マスター、わしの分はつけといてー。」


 老人はそう言ってこの店のマスターに笑いかけて出て行った。白い女はその様子に頭を押さえつつ、マスターが仕方がないなと苦笑しながら提示した老人の分が差し引かれた代金を払って店を出た。


 「いいかげん飯屋を出るときくらいお代を払ったらどうだい。」


 「だってわしそういう存在じゃし」


 「そうは言ってもじい様の力だって弱くなってるんだろ?妖怪の総大将が食い逃げで警察の厄介になるとこなんてわたしは見たくないよ。」


 「うーむ、しかしそこをずらしてはわしのアイデンティティが…」


 等とくだらない話を二人がしていると、空からはらはらと何か降ってくるものがある。


 「おぉ、雪か。」


 「あぁ、雪だね。」


 しばらく二人そろって上を見上げていたが、ふと老人が


 「なぁ、せっかくお前が山から下りてきたんじゃし、タピって行かんか。」


 「は?」


 「ほれ、いま流行りのタピオカと言う奴じゃ。これを飲むことを近頃はタピるというらしいぞ。そして容器にストローをさすときは『ベビタッピ』と掛け声を——」


 「じい様、それもう古いよ。」


 「マジかの⁉」


 「マジだよ。」


 「嘘じゃろ。ついこの間までわし、JKと一緒にベビタッピしとったんじゃが。」


 「みんな時代遅れのじじいに付き合ってくれてたんだね。良い子たちじゃないか。」


 嘘じゃ、嘘じゃ、としばらく呟いていた老人だったが、ふと白い女の方を見る。


 「というか、お前くわしいの。わしお前よりは人の間で生きてきた自信あるんじゃが」


 「ふん、私の息吹で腰を痛めるような奴らだけどね、それでも一応わたしの生みの親だからね。知っておきたいじゃないか。」


 心底嫌そうに吐き捨てる白い女の様子に老人は呵々大笑とひとしきり笑うと


 「先ほどの話の続きだけどね、」


 と語りかけた。


 「ん、なんだい?」


 「変わった物ばかりじゃないという話さ。わしらは人の間に生まれる。ならば、人と人がかかわり続けておればわしらは不滅ともいえるんじゃないかの?」


 「いきなり吹くじゃないか。」


 「わしは力を失いつつあるが、それでもJKとベビタッピができる。あの子らの周りにはよく知らないじじいがいてもいいからじゃ。そして、これはわしが生まれたころも同じくだ。人間の周りには彼らが思うより知らないものが存在できる余地が大きい。こういうとわしらにも未来があるように聞こえんかね。」


 老人は冗談めかして白い女に笑いかける。


 「どうにも世にはもの好きが多いようで、わしらの記録を取り続けてくれとる御仁もおる。人に知っていてもらえればわしらは隠れはしても消えはしない。ありがたいことだとは思わんかね?」


 「…ふん」


 面白くなさそうに白い女は息を吐くと白い女は雪の中を歩きだした。


 「そろそろ帰るよ。面白くもない話をありがとよ、じい様。」


 「なに、わしはいつでも暇じゃからまた遊びに来ておくれよ、お雪」


 そう言って白い女は雪の向こうへと消えていく。


 後に残された老人は、さて、とコリをほぐす様に背筋を伸ばすと人々の雑踏に紛れて行った。


 その姿を気に止める者は誰一人いなかった。



 

 数日後、ある雪山に住まう雪女の元へ雪ん子が地方新聞を持ってきた。

 その中にはよほど平和で書くことがなかったのか老人が電車内での喫煙の咎で駅員室に引っ立てられたとあった。身元不明故心当たりある者は申し出て来てほしい旨が記され、そのコマは締めくくられていた。

 しばらく頭痛をこらえるようにしていた雪女だったが、警察よりはましだとぼやいて街用の服に着替えるのだった。

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