2056シンガポール
asteain-ninia
2056シンガポール
最後の商業オリンピックといわれた2020年の東京オリンピックから何度目かのスポーツの祭典。しばらくぶりのアジア開催の大会で、中国の
同じ大会で、立ち幅跳びは一キロメートルを突破し、1003.5[m]で世界新記録。サッカー一試合の得点数は両チーム合計500点を超えた。
重量挙げは1tを三大会前に乗り越え、どこが始めに10tを超えるのかを競う状態。アーチェリーでは10km先の継矢が当然。最近は速射が点数に入っている。跳び箱は400段を突破し、四日かけて赤道上を一周するのはトライアスロンの選手たち。
そして今。スタジアムに轟々とエンジンの音が響き渡り、観客の声援をかき消さんばかりに音量を増していく。これはスピードスケートの決勝だ。いまは230週、いや、231週目を回りきり234週目の途中である。あと半分ほど、500週を終えた時点でのタイムが記録される。
一、二昔前ならば想像を絶するであろう世界記録のオンパレード。これはF1か、自動車サッカーか何かであろうか。
いいや、これはれっきとした第25回・2056年シンガポールパラリンピックである。
最初はなんだっただろう。確か、どこかの選手が義足に仕掛けをし、当時の世界王者、ウサイン・ボルトを上回る9.32秒で百メートルを走りきった事件であった。パラリンピックはこれ以降、ついたレギュレーションを化学と工学の力で乗り越え続け、次々と驚くべき記録を叩きだす祭典へと急速な変貌を遂げた。オリンピックの方ももちろん行われてはいるが、選手から発射されるやり・砲丸・円盤など見てしまっては、生身のそれなどはもはや児戯。興業が見込めず縮小の一途をたどっていた。
オリンピック選手は、もはやその地位を完全に失っていた。
その発達は日常にも波及してきている。ここ十年で大きな変化といえば、そういえば自家用車をあまり見かけなくなった。代わりに車道を人間が走る。すごい勢いで走る。ゼッケンの如きナンバープレートをつけて走る。三百年近くの時を経て飛脚が復活するなど誰が予想したであろうか。でも物流トラックはまだ現役だ。あとごみ収集車と、霊柩車。
僕のこの目だってそうだ。元々弱視だったのだが、数年前に義眼に変えてから文字通り世界が変わった。しかしそれでもカバーできないことはある。少し前にゴキブリをレーザー機能で焼き切るアプリを入れたのがそうだ。どこかに巣を作ったのか、急速に増えるゴキブリに対応すべく導入したのだが、いざ実践となっても壁に無残な焦げ跡を残すだけに終わり、当のゴキブリはしっかり逃げおおされてしまった。どうやら、僕の視線よりもゴキブリの方が速かったらしい。
友人は義手を四本装着した。併せて六本の腕から繰り出される百足投げにより、一時期は柔道の銀メダル目前まで迫った。しかし上には上が居る。足も増やしたドイツの選手に激闘の末敗北したのだ。この間、次は胴体を増やそうかと言っていたが、同時にそれを増やして何をするつもりだ、とも思う。
今では完全に生身の人間を見つける方が難しい。義手義足はもちろん、車道を走って出勤するための放熱用人造皮膚や強化循環器などが一大産業と化している。
さらに、強化臓器があるとヒトという種そのものにも変化が発生する。人口ピラミッドはどんどん広くなり、健康寿命はもうすでに百五十年に伸びていると聞く。
もちろんまだまだ伸びる。三百年に到達する日も遠くないだろう。
肉体改造といえば、最近火星開拓者の募集があった。一般市民にも強力な強化呼吸器が普及し、未だ低酸素な火星コロニーで生存できる者が増えてきたかららしい。人間の強化に関わる科学がようやくその他の分野に追いついた、ということなのだろう。
ふとさっきまで見ていたテレビの画面に目を戻してみると、389週目を走る選手たちが見えた。カメラにとらえきれない速度の周回。画面端にワイプで個々の走る様子が映し出されている。
腕と脚の失われた選手たちが、代わりにそり状のスケート靴を短い義足に履いて、義手から特殊な手袋を介し火を噴いている。表情はうかがえない。熱から顔、というか目や呼吸器の粘膜を守るためのマスクをつけているからだ。
氷でできていたはずのリンクはというと、とっくに強化プラスチック製が主流となっている。数年前に別の大会で、溶けたリンクに足をとられる悲惨な事故があった。一瞬は速度を制限する方向に向かったが、あっという間に制限速度に追いつく選手たちの働きによって撤廃された。
ワイプばかりに注視していたら、唐突に、大きなホイッスルの音が聞こえてきた。どうやら決着がついたようだ。今年の勝者はアメリカ。一周300メートルを500週だから、併せて15万メートル。実に150キロを走りきったことになるだろう。そしてそのタイムは0:28:43.87と。ざっと直せば…約300キロ毎時。スポーツカーもかくやという速度である。前回には250キロ毎時で大騒ぎしていたはずだが、たった四年間で随分速くなったものだ。
すでに中継は別の競技に移ろうとしていた。呼ぶ声に応え、僕は急いで準備室に向かう。電動扉の閉まる直前、消し忘れたテレビの、三十年前から変わらない実況の声がかすかに僕を応援するのが聞こえた。
「さぁお次はオリンピック初となる中・米火星ステーション間宇宙水泳! まもなく選手入場となります!」
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