第三幕 あたし達を未来へと繋げてくれる
翌日。
午後一時ちょうどに来た毅は、そこそこ大きいリュックを背負っていた。
あたしはというと、動きやすさ優先で、飾り気のないスポーツウェアにレギンススタイルだ。
「今日はいつものポニーテールなんだな」
「昨日はほら、特別だったからね」
普段のあたしは、頭のてっぺんで高く結い上げるポニーテールを採用している。
小さい頃から変わらないこの髪型に戻したせいか、気持ちに余裕がある気がする。
「そっちの方が優姫らしくていいな」
「そう?」
何気に褒められて、否が応でもテンションが上がってしまう。我ながらチョロい。
「で、今日はどうするの?」
「裏山の蔵を開けて欲しいんだ」
「へ?」
「実は、今年お盆で帰省した時、爺ちゃんに色々打ち明けたら、これを渡されてね」
毅が見せたのは、数センチくらいの黒い鍵だ。
「うちで代々受け継がれているもので、蔵の中にある箱を開けるためのものらしい。そこに、俺と優姫を繋ぐ理由が必ずあるはずなんだ」
「なるほど……」
個人的には打ち明けた内容というのも気になったが、うちの蔵の中にあるものの鍵を持っているというのは、確かに、なかなかに深い縁を感じる。
しかも、七年前のリベンジにもなる。
あたしは
これで、準備万端だ。
蔵への道のりは、あの頃と随分変わっていた。
周りの木々はほとんど取り払われ、車一台分なら通れるほどの広い道となっている。
おかげでそれほど時間もかからず、蔵の前まですんなり到着出来た。
辺りは、人目から隠すためか、木に囲まれたままとなっている。
「あ、この匂い!」
「……懐かしいな」
あの時もちょうど、
*
蔵の中は、長らく使われていなかった家屋のすえた匂いに満ちていた。
ただ、想像していたよりも物が少ない。
中央には空間があり、端には大きめの箪笥が数点、蓋の空いた木箱の中には、甲冑のようなものが乱雑に入れられている。
「すごい、これ、刀じゃない?!」
「鞘袋に入っているからそうだろうな。危ないから触らないように」
「はーい」
毅はあれこれと見て回り、あたしはというと手前にある古い雑誌のようなものをぺらぺらとめくる。右から左に文字が書かれておりとにかく読みづらい。
「これだな」
しばらくそうしていると、毅は目当てのものを見つけたようだ。
蔵の奥にどっしりと鎮座している黒いそれは、長細い形をした金属製の箱だった。
特に意匠の無い無骨な箱の手前上部に、少しだけ装飾が為された、不思議な形の金具がついている。
「……なんだか、メタボ腹の人みたい」
「そう言うなよ。これは
「へえ。でもこれ、鍵穴がないよ?」
鈍く黒光りする安芸錠はつるっとしていて、正面にも横側にも鍵を差せそうなところはない。
「それはな、こうだ」
錠の左下にあるでっぱりを右に押し込むと、ギギ、という重たい音と共にそのままでっぱりが右に移動する。そして、さらにお腹の部分を押し下げると。
「おおー、鍵穴が出てまいりました!」
「からくり錠になっているわけだな。一見すると錠前であることすらわからないようになっていて、しかも運ぼうにも重たい。見ろ、蓋のところに」
「うっわ、何か指紋みたいなのがいっぱいある。開けようとしたんだね」
「錠がないただの箱だと思ったんだろうな。で、どうあっても開かないと」
蓋に当たる境目は爪も入らないほどしっかりと閉じられており、幅も深さもないため、定規みたいなもので無理やり……というのも難しそうだった。しかも、鍵がかかっているのだ。
「さて、開けるか」
毅は例の黒い鍵を取り出す。色合いといい、三日月のような不思議な形をした鍵穴と確かに合うように見えた。
すっと差し込むと、しっかりと奥まで入る。
くるりと回すと、随分と重たい、ガチャリという音が蔵に響き渡る。
すると。錠前に隠れて見えなかった閂が動いたのだろう、錠前は重たい音を立て地面に落ちる。奥には、上下に取っ手がついていた。
毅は立ち上がり、ぐいっと取手を上に持ち上げる。
厚みのある金属の箱の、その中心部分にあったのは上等そうな布に包まれた桐箱だった。
蓋を開くと、四つ折りになった半紙が出てくる。
毅がそれを慎重に開くと、そこに書かれていたのは。
「う」
まるでミミズがタップダンスでもしたかのような、いわゆる崩し文字だった。
ちなみに、あたしは古文的なものが大の苦手だ。
理由は単純明快。高一最初の古文のテストで、まさかの三点を叩き出したからだ。
「読めないな。優姫はどうだ?」
「……貴様、ワラワを古文三点と知っての狼藉か」
「何でいきなり姫口調になるんだ、あと古文三点って」
「……忘れよ」
古文三点ガールであることは男子には秘密にしているのだった。
ただ、そんなあたしでも分かることが一つだけあった。
「これ書いたの、女子だと思う」
「……その根拠は」
「女の勘! でも何だか丸文字っぽくない?」
「言われてみれば、そうかな」
一理あると小さく肯いて、半紙を桐箱に戻し、布で丁寧に包むと、毅は立ち上がる。
「分かる人を探そう。誰かいるだろうか」
「ばあやならきっと分かるんじゃないかな?」
「なるほど……。あの人、何でも知ってそうだもんな、聞いてみるか」
*
「ほうほう、なるほど」
家まで戻ったあたし達は、ばあやの部屋に行き、例の半紙を見せた。
興味深そうに目を光らせたばあやは、いそいそと眼鏡をかけ、それに目を通し始める。
「どうですか、分かりますか」
「……ええ。若い頃は学芸員さんのお手伝いもしていましたからねえ」
半紙を桐箱の中に戻すと、あたし達に向き直り、説明を始める。
「ここに書かれているのは、秘密の告白です」
「ひ、ひみつのこくはく」
思わずおうむ返しになってしまった。
もしかして、サスペンスドラマみたいな人を殺めたとか、そんなやつだろうか。
「何と言いましょうか。秘めた恋心を抱えきれず吐露するような、そのようなものですねえ」
それは、とある男女の話。
片や姫、片や忍び。
身分違いで、それぞれが運命を決められていた中で、芽生えた思慕。
焼け付くような愛は、誰にも打ち明けることもなく、この中にだけ残しましょう。
それを封じる箱は、かの者の子孫に託します。
泰平の世が進み、何の隔てもなくなる時代が訪れるならば、その時は、愛を結ぶことが出来ますように。
「ねえ、ばあや、……二人で駆け落ちとかは出来なかったのかな」
「昔は個の上に、家と身分というものがあり、それに従うほかなかったですからね。万が一でも、越えることは出来ない。一族郎党までその咎が及びますから」
「「……」」
「今は、とてもいい時代なんですよ、優姫さん、毅さん」
そう言って、ばあやは目を細め、にっこりと微笑んだ。
*
その後、あたし達は縁側で隣り合って、空に並ぶいわし雲を眺めていた。
しばらくの無言の後、それとなくあたしは切り出す。
「好きになった理由、納得出来た?」
「ああ。でも、な」
「うん」
「ご先祖様のあれこれよりも、納得出来る理由は見つかったよ」
実は、あたしもそうだった。
この二日間、一緒に居る時間がどうしようもなく心地よかった。
きっかけも思い出せたし、何よりも積み重ねた日々が、お互いの必要な部分を埋めていたんだって気づかされたんだ。
おもむろに毅の左手が、縁側のへりに置いていたあたしの右手に重なる。
毅の方を向くと、少し緊張した顔で、口を開く。
「ありがとう、優姫。俺のわがままに付き合ってくれて。面倒くさい奴だって俺自身も理解している。だが、俺の、君を好きな気持ちも本物なんだ」
そこまで言って、深呼吸一つして。
そして、あたしの欲しかった言葉が、笑顔の彼から贈られる。
その言葉に応えるように、あたしは彼の首に両手を回し、抱きしめると、上擦った声で囁く。
「苦しゅうない。この泰平の世を、手を携え共に参ろうぞ」
鼻先にある彼の首筋から、ほんのわずかに、金木犀が香った。
ひめたる想いは草に寄せて 南方 華 @minakataharu
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