第9話 ティータイムにしばし咲かせよ徒花を


 文化部から部活動対抗リレーの出場選手報告を回収するという、字面だけ見れば簡単そうな任務。だがその実態は過酷そのものだった。


 文化部の数は同好会規模のものも含めれば四十以上。そのすべてを回収するため、つぼみは走った。走り回った。


 部長が休みと聞けば副部長を探し、全員が出場を拒否するなら全部員を引っ張り出して会議を執り行い、誰が部員かすら分からない謎に包まれた学園七不思議のひとつですら莟の人脈をフルに使って現部員を特定してみせた。


「やっとあと一か所……」


 昼休みからこっちすべての休憩時間を使い、放課後になってすでに二時間が経過した頃。莟は足を引きずるようにして文化部棟を進んでいた。


 さしもの莟でも疲労を隠しきれていない。


 ちなみに生徒会は一週間分の仕事として与えた業務だったので、それを一日で終わらせようとしている莟のほうが頭おかしいのである。


「ここでラスト……。どうも生徒会からの使いです! 失礼します!」


 勢い込んでレッスン室の扉を滑らせる。


 防音加工の、ひと際広い一室。壁の一部が鏡張りになった異質な部屋が演劇部の部室だった。


 だが広い部屋を見渡すが誰もいない。遮蔽物はないからオカルト研究部の時のように隠れているということもないはずだ。


「まさか……炭酸飲料研究部みたいに全部員が不登校だったり? いや演劇部員には知り合いもいるしそんなわけないか」


 もしや今日は休部なのだろうかと部屋を出ようとしたそのとき、奥のほうから物音がして足を止めた。音の出所はどうやら隣接する物置のようだ。誰かいるのかと室内へ足を踏み入れる。木製の扉の前に立ちドアノブに手を伸ばすと、目の前で急に開いた。


「声がすると思ったら、あれ? あれれ? 莟ちゃんだ。演劇部になにしに来たの? ほかの部員なら公演会場の下見に行ってていないけど」


 出てきたのは黒髪長髪の三年生だった。面識のない生徒のはずだが、莟の名を呼んだ彼女はなぜかニコニコと親しげに笑みを向けてくる。


「えっと、どなたですか?」


 首を傾げると、女生徒は大げさなほど驚きに目を見開いた。


「ええええ? 分からない? 本当に? やだ悲しい。…………そうか、分からんのや……。気づかれんと自分ちょっと……落ち込むわ」


 表情を暗くした女生徒は打って変わってどろどろと粘着質な雰囲気を発し始める。莟はその空気に覚えがあった。


「そっ、その喋り方と雰囲気はっ。新聞部の部長さん!?」


「そやでー。新聞部部長の芹尾せりおれいや。……気づいてくれて……嬉しいわ。けど、髪型一緒やし、化粧もなんもしとらんのに……顔見ても分からんやて……不思議やねぇ」


「──っ。ええっと、口調がとっても違ったので! 立ち居振る舞いも別人みたいでしたし。ていうか新聞部の部長さんがどうして演劇部の部室に?」


 もしや壁新聞のネタ探しに侵入したのかと思ったが、理由は単純だった。


「ああ……自分は兼部しとるんよ。新聞部と演劇部……一年のときから両立しててな……今日はこっちの日や。ほれ……腕章もしとらんやろ? さっきのは次の公演の……練習しとったんよ。元気でお茶目な主人公のお姉さん役。……どやった?」


「そのものでした! すごいですっ、すっかり騙されました!」


「ありがとう。自分を偽るのは得意やけど……他人を演じるのは不得意やから……褒められるとモチベーション上がるわ。それで……何の用で来たん? その腕章、久しぶりに見たわ。生徒会の仕事……手伝いよるんやね」


「あっ、そうでした。わたし部活動対抗リレーの出場選手一覧を回収に来たんでした」


「ありゃ……部長まだ提出しとらんやったんやね。期限過ぎとるんに。……たしかあっちに仕舞ってたはずやから……取って来るわ。……手間かけさせて……すまんね」


 物置に引っ込んだかと思うと、すぐに見つけ出して来てくれた。


「ほい。記入はもう……終わっとるさかい、持って行って」


「ありがとうございます。これで全回収完了です!」


 任務達成にテンションが上がる。集めた書類の束を天にかざしてぴょんぴょん跳ねていると、れいが中身の入った紙コップを二つ持ってきた。


「莟ちゃん、時間あるならちょいと休憩……していかへん? ほら……君が十瑪岐君に頭突きかました時の初恋うんぬんって話……実は興味あるんよね」



       ◇   ◆   ◇



「なるほどねぇ。恋がどんなもんか……分からないから知りたい……ねぇ。たしかに周りの女の子は……みぃんな色恋に夢中やし、それを知らんじゃ話合わんやろし。置いてけぼりは悲しいもんな」


「まぁ、はい……。おっしゃる通りで」


 十瑪岐とのファーストコンタクトについて語っていたはずの莟は、いつの間にか自分のことまで根掘り葉掘りと聞き出されていた。どうしてこうなったのか分からない。乗せられるままに喋っていたら、気づけば自然とすべて話していた。


(これが新聞部部長の実力──!)


 大して仲良くもない先輩に喋りすぎたと遅れて気づき変な脇汗が出てしまう。喉が異様に乾いて注がれた紅茶を飲み干した。れいがすかさずおかわりをぎながら、じとりとした視線を莟へ向ける。


「自分ちょっと莟ちゃんのこと……誤解しとったわ。君は区別しない子やのうて……区別子なんやね。だからみんな同じに接して……みんなと仲良くするんや。そういうのって……自分が知らん韓国アイドルグループメンバーの顔がみんな同じに見えるのと……同じやろ? 知らないし、知ろうとしとらんから……差なんてどうでもいいねん。納得したわ」


「どうでもいいとか、そういうのでは……」


「ああ、悪いなぁ。自分は相手の痛いとこ突いて……本人でさえ自覚してない本音をほじくり返すのが生きがいやねん。怒っとる?」


「……いえ、見事に刺されただけです。なのでいささかちょびっと心持ち少々ムッとしてますけど、怒ってはいません」


「へぇ。君はあまり……怒らん子でもあるんやな。ツッコミしてるとこは見かけても……他人を罵倒してるとこは見らんし。ああでも……十瑪岐君への態度は……他と違うように見えるね。なんというか……雑ない?」


「それは……」


 そろそろお暇したかったのだが、れいが冷蔵庫からさらにショートケーキを出してくる。素早く目の前に皿を出されてしまった。帰るに帰れず彼女の疑問に答えた。


「雑に扱っても許してくれるので、つい。それにわたしはどうやら十瑪岐先輩のことが特別嫌いみたいですし」


「へぇ……嫌いなん。意外やわ~。だって君ら仲ええやん……? 嫌いったっていろいろあるやろ……その心は?」


「えっ!? えっと──」


 また同じように気づけば喋らされていた。

 れいは一通り聞き出すと、冷えた目つきで手元のミルクレープを器用に分解していく。


「好きでも苦手でもない『特別』やから、『嫌い』ねぇ。…………それ本当かいな。『嫌い』って……決めつけて、さげすんで、自分から切り離してまう言葉やで。君らの関係……本当にそうやろか。そない急いで決めんでも……その『特別』はまだしばらく名称不定で……無色のままふわふわさせといてええんと違う?」


「住所不定無職みたいな扱いっ。そんな不審者な感情はずっと抱えていられません。正体をあげないと。みんなそれができて当たり前なんだから」


「そうでもないと……思うんやけどねぇ」


「えっ?」


 ケーキをぺろりと平らげ、れいはクリームの付いたフォークで莟の胸辺りを示した。


「言葉にできん感情って……いっぱいあるで。人が気持ちに名前をつけてるんは……見分けやすくしてるだけやねん。そうやって感情をコントロールして把握しやすく……大人ぶっておまししとるだけや」


 意味ありげに微笑んで、手つかずだった莟のショートケーキからイチゴをかっさらっていく。フォークに刺さった真っ赤に熟れたイチゴをかざし、目の前でぐるぐると弄んだかと思うと、莟があっと声を上げた瞬間一息に頬張った。


 おいしそうに咀嚼して、飲み込んだ口元を舌なめずりする。


「莟ちゃんの中に沸いて出てきよる感情がなんなのかは……他人の普通を持ち出しても……分からへんね。その気持ちに名前を付けるんは……君の仕事や。自分の気持ちは自分の価値観で決めてやらな。名前をあげて……呼んでやって……そんで返事が来たなら……正解や」


「正解……?」


「そ、世間様にお伺い立てた正解やのうて……君にとっての正解。嫌いって呼んで……気持ちの返事はあるかいな。十瑪岐君はむしろ君のこと、気に入って……好いとるみたいやけど」


「そうなんでしょうか」


「そやでー。あの子は嫌いなもんには……絶対近寄らんさかい」


「十瑪岐先輩のことよく見てますね」


「そやろか。まあ彼は……莟ちゃんの言葉を借りれば……自分の初恋やから」


「……………………にょえっ!?」


 耳に入って来た異音を脳が処理するのに数秒かかった。意味を理解すると同時に疑問と困惑がミキサーされた奇声を上げると、れいは軽く笑う。


「ははっ、長い沈黙やったね」


「十瑪岐先輩に恋? あっ、アレが初恋なんですか!? どうして? いやどこに惚れるんです!?」


 もう疑問符でしか喋れない。自分を焦らせているのはまごうことなき言葉にできない感情。こんなにすぐ実感することになろうとは。


 れいはあたふたと手をまごつかせる莟に、気分よく口角を上げた。


「あ、気になる? ええで……話したる。あれはちょうど……一年くらい前やろか。十瑪岐君がクズのほう呼ばれ出すより前やね。新聞部としてネタ探しに出た際にたまたま……彼が先輩方からなんか脅し取っとるところに出くわしてなぁ。面白そうやって、こっそり隠れて……観察したんよ」


 れいはイチゴの乗っていないショートケーキを莟へ押し出して、そう語り始めた。


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