第8話 愚痴と相談は嘔吐の連鎖


「差出人不明のテロ予告ね……。わかった。僕も青団の人間の動きは気にしておくよ」


 やっと見つけた幸滉ゆきひろを体育祭会議から連れ出し、十瑪岐は現状を説明した。


 場所はちょうどタイミングよく人のいなかった資料室である。管理している教員がだらしないのか、あちこちに中身のはみ出した段ボールが置かれて物置同然になっていた。


 こんな雑然とした空間に王子様然とした容貌の幸滉ゆきひろがいると、どうにもアンバランスだ。景色に馴染まないな、と思う。幸滉は場の混然さに合わせるように、机の角へ行儀悪く体重をかけた。


 学園の生徒や椎衣しいの前では決してしない気の抜けた年相応のしぐさに、十瑪岐は苦笑する。


「お前、格好つける相手いねえとわりとすぐだらけるよなあ」


「十瑪岐相手に肩ひじ張っても何の得にもならないからね。こっそり写真撮ろうとするなよ。一枚でも流出したら十瑪岐の周りの電子機器は全部スクラップだから」


「んなことしねえって。お前の商品価値は下げねえよ。まあそっちは頼んだわ。本当にあの日、団長は妙な動きしてなかったんだな」


「覚えてる限りはね。少なくとも執務室の前には近づいてない。カードを置く隙はなかったはずだ」


 記憶を辿るように遠くへ目を向けた幸滉が答えて、十瑪岐は頷く。ひとまず青団の関係者はテロ予告の容疑者から外してよさそうだ。


「それとだなあ、お前、莟のこと調べるよう狛左こまざちゃんに言ったの、あの日が初めてかあ?」


 ついでを装って問いを投げる。

 幸滉は訝しげに形の良い眉をひそめた。


「あの日って、十瑪岐がズル休みした翌日?」


「そうオレがフラれたショックでふて寝してた日の次だあ。って言わせんなよ悲しくなって泣いちゃうだろうが。んでどうなんだよお」


 眼のふちに雫を溜めて答えを促す。幸滉ゆきひろは机から降りて足元に落ちていたネジを拾った。


「その通りだよ。木にぶら下がった彼女に自己紹介されるまで全く知らなかったから。それがどうかし──…………顔が怖くなってる。いつものニヤニヤ顔はどうしたんだよ」


「…………別にい。オレだって年がら年中ご機嫌なわけじゃねえんだぜえ」


「あっそう。まあ十瑪岐の機嫌になんて興味ないから深追いはしないよ。それでなくても体育祭の副団長なんてさせられて面倒なんだ」


 盛大なため息をついてネジを弾き行方不明にする。実験器具の山を見つめる兄を、十瑪岐は鼻で笑った。


「んな面倒くせえなら断ればよかっただろお? 役員選挙んときの生徒会長推薦と違ってえ、拒否ろうと思えばできたはずだ」


「……十瑪岐って本当に自分勝手だよな」


 声の調子が重くなる。幸滉はねめつけるように十瑪岐の目を睨みつけた。


「中学のときだって僕の名札を奪って『オレが葛和を継いでやる』なんて宣言してさ。名札は失くすし、そのあと本当に葛和になるし。どこまで計算なの。葛和になって、なにを企んでるのさ」


 幸滉の視線には疑惑の色が籠っている。だが十瑪岐は全く別のところに意識が向いていた。


「ん……? 待て。それいつの話だ」


「覚えてないの? よくイジメた側はそのことを忘れるって言うけど本当なんだな。あれは一年生の……梅雨時期だったと思う。十瑪岐は公立に通ってて、雨でくせ毛がってぼやいていたから。少なくとも僕がクセ毛を抑えるシャンプーを見つけてきてやる前のことだ」


「一年……梅雨時期……」


 十瑪岐の脳内で、複数の点が線で繋がる。それが一つの情景を描き出していく。


「あっ」


「なに?」


 一瞬の追憶が、連なる記憶を引き出した。


 今から約四年前、十瑪岐は確かに、沈んだ表情の幸滉から名札を奪い取った。

 どうしてだろう、すっかり忘れていた。


 十瑪岐とめきは一年生の梅雨時期に、雨上がりの公園によっている。そしてそこで泣いていた誰かと確かに言葉を交わしたのだ。


(待て。じゃあ莟の恩人って、まさかオレかあ?)


 思いもしなかった可能性に、十瑪岐は自分の思考と感情が混線してぐちゃぐちゃになるのを感じた。



       ◆   ◇   ◆



 当時中学一年生の榎本えのもと十瑪岐とめきは今とは逆で、親戚の葛和くずわ幸滉ゆきひろよりも背が高かった。

 だからうつむかれると表情がよく見えない。


 その日、訪ねてきた幸滉はいつも以上に口数が少なかった。昨日家で何かあったらしい。幸滉が家に帰らず榎本えのもとの家に来るときはだいたいそうだ。


 いつもより妙に沈みきった雰囲気で空返事するのが気に食わず、十瑪岐は軽い口論の末に幸滉の名札を引きちぎって言った。


「逃げてえなら、逃げちまえよ。家の名前がなんだってんだあ。なんならオレが葛和を継いでやる」


 なんとなく口をついて出ただけで特に意味などない発言のはずだった。だが自分を見上げた幸滉が、怒っているのか泣きそうなのかすがっているのかよく分からない顔で唇を噛んでいるから、十瑪岐は撤回もできず言葉を失った。


 そこへ幸滉を迎えに来た椎衣しいが現れ、彼女に追い立てられるようにして十瑪岐は糸雨しうの中を傘もさせずに逃げ出したのだった。


 あの公園に立ち寄ったのは偶然だ。


 鬼の形相で追ってくる椎衣しいから必死に逃げ、ずいぶん走り回ったすえに雨はやんでいた。普段は徒歩で絶対に来ない距離にその公園はある。


 休憩のつもりで公園へ入った。よくあるブランコに砂場、シーソーと謎のタイヤ。あとは中が空洞になっている大型の遊具があった。青色のペンキはあちこち剥げかけている。外側で上まで列をなす取っ手は多くの子どもが上り下りに使ったのだろう、完全にすべらかな茶色の地肌を見せていた。


 どうせベンチは雨で濡れている。あの取っ手に尻を預けて休もうと、十瑪岐はそっちへ足を向け──


「……ん? 足……」


 遊具の中に何かあると気づいた。最初それは発泡スチロールか何かのように見えたが、近づけば生きた人間の足だと分かる。


 それが子どもの足だということに、けっこう近づいてから気づいてしまった。これで体を反転させたら負けな気がして十瑪岐はあえてさらに近づく。すると遊具の中で反響したすすり泣きのような声が聞こえてきた。


「泣いてんのかあ?」


 さっき見た幸滉の表情が思い出され、つい声をかけてしまう。

 遊具の中の誰かがビクリと身体を揺らした。曇りガラスみたいな丸い窓から見えていた足が怯えるように縮む。


 十瑪岐はしまったと思ったが、どうにも放っておく気にならず続けて訊いた。


「こんなとこで泣いてたって気分が沈むだけだろお。なあにがあったんだ? 誰か知らんが愚痴くらい聞いてやるぜえ」


 遊具に背を向けでっぱりに軽く腰掛ける。

 泣いている誰かは、おずおずといった調子で口を開いた。


「お前は、変だって、言われて」


 予想以上に可愛らしい声だった。どうやら少女のようだ。泣いていたせいか鼻声だが口調はしっかりしている。少なくとも小学校上級生以上だろうと十瑪岐は当たりを付けた。


「誰に言われた」


「友達。クラスの子たち」


「何が変だってえ?」


「……恋愛が分からないって言ったら、変だって。この前、人気者の男の子に好きって告白されて。わたし友達だったから、断ったの。次の日にその子に普通に挨拶したら、クラスの女の子たちが急に……」


「嫌がらせしてくるように?」


「…………最初は、冷たいだけだった。だから気にしなかったけど、どんどん『デリカシーない』とか『最低』とか言われて。…………なんでこうなったか、わからない。意味が分からないし、みんなの考えてることも分かんない。そうみんなに言ったら、『変だ』って」


 また泣き出しそうなほど声が震えてくる。

 十瑪岐は濡れた髪を掻き上げて嘆息をついた。


「別に変じゃねえだろ。他人が何考えてるのかなんて分かんねえよ。他人は他人なんだからなあ。相手の気持ちが分かるなんて、んなの自分の感覚を元にした憶測と推測、勝手な共感だあ。ズレがあるほうが当然。自分の価値観こそが普通で相手は間違ってるだなんて、断言できる奴のが怖えよ」


「……? 普通は普通じゃない?」


「違うね。まあ恋愛はオレもよく分かんねえけど。気持ちも感覚も好みも、他人とピッタリ同じものなんてねえだろうが。風呂の温度ですら丁度いいが人それぞれなんだぜえ? 人間の感情運動を数値化できない以上、他人と共同の基準は作りようがねえんだ。それに他人ひとの心なんて読めねえからこそ、言葉を推し量って都合よく解釈してすれ違いだの食い違いだのが起こるんだろお」


 今日のオレみたいにな、という言葉は飲み込んだ。


「だから、他人の顔色なんてうかがうだけ無駄だ。だったら自分の解釈で世の中を都合よく見てるほうが気が楽だろお? 愛情が貰えるならそれが嘘でもお世辞でも、貰えるもんは貰っとけよ。他人の言葉なんぞ自分の都合のいいように解釈して楽に行こうぜえ」


「そんなの、駄目。みんなの迷惑になっちゃう」


「それがどうした。世界が自分に都合のいいようにゃできてねえんだから、自分を都合するしかねえだろ。遠慮ばっかしてたら馬鹿見るぜ。んでもってもっと自分の都合をぶっこんでけよ。そしたら案外、周りが合わせてくれるからよお」


「自分勝手なことばっかり言ってる」


「そりゃあ、世界の中心はどうやったって自分だ。自分勝手、自分本位にエゴイスティック大いに結構お。他人への気遣いってのはその次、自分の都合の上に成り立つんだ。その基礎が抜けたらただの自己犠牲だろ。反吐へどが出るっ」


 特定の誰かを脳裏に思い浮かべてしまって、十瑪岐は苦い顔になった。

 遊具の中からは不満げな響きが反響してくる。


「何言ってるのかよく分から……分かりません」


「みんなで仲良くやりましょうってことお。お前が何か譲歩してやるなら、相手にも同じくらい譲歩させろ」


「……何も解決しない気がします」


「そりゃそうだろお。オレは話を聞いただけえ。聴いて思ったことを言っただけ。それでお前の何になるかはそれこそ赤の他人のオレには分からない。思考停止せず、自分の頭で考えなあ」


 腰かけていたでっぱりから立ち上がる、十瑪岐は濡れて縮れた前髪を掻き上げた。もう雨は完全に通り過ぎたらしい。雲の切れ間から太陽の光が降りてきている。


「せいぜい自由気ままに好きにするといいさあ」


 それだけ言って、振り返りもせず公園を離れた。結局このとき話した相手が誰だったのか確かめもせず。


 その相手と四年後にそれと知らず頭突きで再会することになろうとは、露も思わずに。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る