第6話 ありふれた感覚への反感


「それじゃ預かっていきますね」


「お願いね。またネタ提供しにおいでー」


「あはは……機会があればですね」


 莟は頭を軽く下げて漫研Bを後にした。手の中には文化部から集めた部活対抗リレーの出場選手一覧がある。文化部に知り合いは少ないが、クラスメイトの友人の先輩などの薄いつながりを頼りに回収作業を潤滑に進めていた。生徒会から任せられた仕事はひとまず順調だ。


 昼休みにもかかわらず部員が活動しているのは、さすが文化部といったところか。冷遇され部費の少ない運動部とは活動意欲にも雲泥の差があるようだった。


 つぼみはさっきまでいた部室をちょっと振り返って、心の中でため息をつく。


(漫研Nと漫研Gと漫研Bってなんで三つに別れるのかと思ったら、まさかジャンルのことだったなんて……)


 なんの頭文字かと思ったら趣味嗜好によって完全に別部活として成立しているらしかった。ずいぶん昔は一つだったらしいが、内部分裂が起こって今に至るらしい。


(そしてまさかナマモノも扱ってるなんて……)


 やけに十瑪岐とめき幸滉ゆきひろについて聞かれると思ったら、落ちていた同人誌に彼ららしき人物が描かれていた。学内で頒布するためのものらしい。


 どうやら十瑪岐にもある意味でファンがいるようだ。


 莟はよく十瑪岐と一緒にいるためかずいぶん根掘り葉掘り聞かれた。だがどっちが右か攻めかなどという話はよく分からない。


 好きなキャラクター同士は仲良くしてくれてさえいればリバだろうとなんだろうと気にならない莟である。オタクの友人も絵を描く友人もいるが、あまり深い話にはついていけないのが常だった。

 勧められれば同人誌も読むが、やはり作品内で仲の良いキャラどうしの話が好きだ。どうして作品内で会話もしていないキャラ同士の恋愛を描くのかと質問して『この公式カプ厨めが』と言われたことがある。いま思うとあれは罵倒ではなかったか。


「次は映画研究部……ここだ。ごめんくださーい。生徒会の使いの者です」


 気持ちを切り替えて次の部室をノックした。

 返事がして勢いよくドアが開く。驚いて数センチ飛び退ると、部室から半身はみ出た少年が莟を認識して満面の笑みを浮かべた。


 クラス章の色から三年生の男子だと分かる。よくいる前髪の長い軽い感じの少年だ。どこにでもいる容姿なので、莟はこの人の顔は覚えられそうにないなと秒で諦めた。


「あーっ! 君たしか一年生の、スポ特生のコっしょ? 名前なんだっけ?」


蕗谷ふきのやです。生徒会の代理で来ました。部活リレーの選手名簿を提出してもらいたくて──」


「そうそう蕗谷ふきのやちゃん! フキタニちゃんじゃないのね。下の名前は?」


「莟ですよ」


「ツボミちゃんかー! かわいいね」


 視線が顔と胸と下半身を順に這っていって、莟は鳥肌を立てた。こういうギラギラした好意を向けてくる男子は苦手だ。莟は愛想笑いで部室を覗く。


「あはは、ありがとうございます。部長さんっていますか?」


「部長は今日いないよ。放課後ならいるかもだけど、昼だし。三年は俺だけ。なになに、なんの用? 俺が聞くよ、聞いちゃうよ?」


「えーっとですね」


 こういうタイプの人間は話が進まないからほかの人を呼びたかったのだが、失敗した。部室に数人いる部員はみな二人のやり取りを聴こえていないかのように知らないふりをしている。どうやらこの三年生がこういう態度なのはいつものことらしい。


 窓口対応を代わってもらうわけにはいかないようだ。仕方なく三年生に質問する。


「部活動対抗リレーの出場選手って決まってますか?」


「どうだったかな。それよりさ」


 用事を尋ねておいてそれよりとはいったい。


「思い出したんだけど、君ってたしかよく葛和くずわ兄弟のクズのほうとよく一緒にいるよね。たまーに見かけんだよ」


「とめき先輩ですか」


「そうそいつ。あいつにずっと連れまわされてるみたいじゃん。もしかして何か脅されてんの? 俺の親父おやじっつか会社さ、葛和とも取引してっからさ。もし困ってんなら助け舟とか出したげちゃおっかなぁ」


「えー、結構ですよ。困ってませんし脅されてませんから」


「は? じゃあなんであんなのと一緒にいんの?」


「…………」


 露骨に機嫌を損ねた様子の男に、莟は対応に困ってしまう。


 利害関係がどうのというのは気軽に口外することではないし、言っても意味はなさそうだ。この少年が求めている答えは別にあると、経験から知っているから。


 こういう、恋愛がらみの好きか嫌いかでしかモノを語れないタイプと、恋愛に疎い莟の価値観は相性が悪い。説得はもとより話が通じないことだってある。だからいつも適当に話を合わせてやり過ごすのだが、すると今度は妙に気にいられて付きまとわれることがあった。


 そういうときは必ずと言っていいほど、周りは助けてくれない。生ぬるい視線ではやし立てるばかりだ。結果、自分で解決するのに行きつく先が暴力だったのだが、莟はもう中学生ではない。義務教育を終えたレディ見習いである。拳は封印したのだ。


 莟はこれ以上場の空気を悪くしないように曖昧な笑みを浮かべた。


「え~、先輩、なにか誤解してますよ。わたしは友達と仲良くしてるだけです。普通に接してればあの人それほど実害ないですから。それより体育祭の──」


 できるだけ興味なさげでてきとうな口調を意識する。本題がなにより重要なのだと話をスライドさせた。


 何を思ったかやたらと連絡先を聞いてくる男子を受け流して本題を進めようと悪戦苦闘しているうちに、副部長の少女がたまたま部室にやって来た。


 これ幸いにと彼女に頼んで用事を済ませる。しつこい男をあしらって、莟はようやく映画研究部を去ることができた。


「はぁ。心配してくれる気持ちはありがたいけど、実際はありがた迷惑でしかないな……」


 文化部棟を出てため息をつく。副部長の女生徒が強引に間へ入ってくれなかったらもっと長引いていただろう。男子生徒に嫌味を言う後ろ姿が輝いて見えたほどだ。去り際に睨みつけられた気がしたが、彼女は助けてくれたのだ、気のせいに違いない。


 それにしてもあの男子生徒の言い分はなんだったのか。

 そういえば、と思い出す。


 運動部の先輩たちも、最初のころは莟が十瑪岐に近づくのを過剰に心配していた。あれは葛和兄弟のクズのほうとなど会話するだけで金運が落ちるとでも言いたげな視線だった。


 莟が普通に彼と接し続けている姿を見て最近はそう心配されなくなったが、あれはもしかしたら運動部の回りだけではなく学園全体の感覚なのかもしれない。


 みな葛和くずわ十瑪岐とめきを誤解している。いや十瑪岐の性格が悪いことは間違っていないから誤解というほどではないか。


 十瑪岐を擁護する言葉はなかなか浮かばない。だからと言って安易に批判したいとは思わない。


 不思議と、同じ『コイツほんと駄目だな』という感想一つとっても、莟と他の生徒とではどこか認識に隔たりがあるようだった。


 それは、いったいどこから来る差なのか。

 頭をひねるがよく分からない。


 ただ一つだけ明確な形を持って理解できることは、自分と十瑪岐の関係性が周囲からとしか見えていないというのは、どうしてかたまらなく悔しいということだった。

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