第5話 お仕事前には準備体操で致命傷


 生徒会長は言った通り、たった一日でつぼみ十瑪岐とめきに仕事を用意していた。

 割り振られた仕事を抱えて執務室を出る。執務室への出入りは昨日よりも確実に増えていた。二人は廊下の隅にかがみこんでこそこそ話を始める。


「駄目だあの生徒会。思ったより追い込まれてやがる」


「そうですか? 荒れ具合は昨日と同じくらいだったような」


「昨日までやってたのは事前準備だろお。こっからは会場設営に加えてえ、各団から持ち込まれる種目決めの結果だのが入って来る。それをまとめるだけでひと手間だ」


「これ以上忙しくなるってことですか!? そんなの毎年やってて改善されてないってもうブラック……あっ、本当は体育祭の実行委員長するはずだった人が急に休んだから、もしかして引継ぎもまともにできてない、とか?」


「あの煩雑はんざつぶりじゃあ可能性はたけえなあ。隅に溜まってた書類、見たか? ぜんぶ生徒の要望書だった。つまりは普段やってる経常業務。それがまったく手え付けれてねえんだぜえ?」


「生徒の要望……それも生徒会の仕事なんですか」


「叶えるにせよ叶えないにせよ、一つ一つに返答して掲示板に掲載されるぜえ。お前、見てねえのかよ。とにかく今はその業務も止まってる。ちらっと見たら一般生徒からの学食関連の要望が多かったなあ。がっつり系が欲しいとか、安いメニューを充実させてくれとか」


「分かります。なんか高くて少ないのしかないですもんね、ここの学食。わたしも入学以来一度も利用したことありません。ていうか、メニュー頼まずに席使ってる人のが多いですよね」


「ラインナップはお上品な金持ち学校の弊害へいがいだなあ。学食の改善は金と時間がかかるうえに、仮にも学園運営に関わることだから経営陣にお伺いを立てなきゃなんねえ。そうやって後回しにされてるうちに忙しくなって……ってとこだろうなあ。このままじゃあ生徒の不満は蓄積してく一方だ」


 生徒にとってのガス抜きの場を失っている。この時期は毎年、体育祭の駆け引きも相まって荒れ気味になるのが通例だった。いや、体育祭に集中できている間はまだいい。最も問題が起こりやすいのは、体育祭が終わった直後、期末試験までの数日間だった。


「っとまあ、今は関係ねえか。仕事早く終わらせりゃあ余裕も生まれんだろ。早急に動くぞお、つぼみ


「はいとめき先輩。少しでも鳴乍なりさ先輩たちが楽になれるよう頑張りましょう。わたしは何をすればいいですか!」


 莟は拳を握りしめ、むんっと気合を込める。十瑪岐も真剣な表情でうなずいた。


「オレはこれから各団の代表に会ってさぐりを入れて来る。だからお前にはオレの分の仕事をしてほしい」


「了解しました!」


「うん…………素直すぎてさすがのオレでも罪悪感出てくんなあこれ」


「?」


 仕事を押し付けたのに笑顔を向けられて、十瑪岐は思わず視線を逸らす。気づかれないと一方的に気まずい。せめて相手の話をすることにする。


「んでえ、莟は何を任せられたんだっけえ?」


「えっと、文化部で部活動対抗リレーのメンバーを提出してないところに催促です。文化部には知り合い少ないんですよねぇ。不安だけど頑張らないと」


「よおし、催促の達人であるオレがコツを教えてやろお」


「いえ結構です。あくどい方法は最初から知らないほうが幸福に生きられますから」


「オレの枯れ果てた優しさから絞り出したせめてもの親切心をてめえ」


「それ自分で言います? というか枯れたってことは源泉はあったんですね。潤ってた時代に会ってみたいですよ」


「生前……かなあ」


「前世にまで遡るとはこの人ほんとっ」


 ため息混じりの呆れた声に、十瑪岐は立ち上がって背骨を鳴らす。


「はあ、とりま幸滉ゆきひろのいる青団から話を聞きに行くかねえ。そういやあ莟、このあいだ幸滉ゆきひろと引き合わせたとき、あの話はできたのかあ?」


「あの?」


「いや通じねえかなあ。お前の恩人の話。公園にいたのが幸滉ゆきひろかって。訊かなかったのかよお。そういやあオレも詳しく聞いたことはなかったかあ」


 中学一年生のその人と、小学六年生の莟が公園でどんな言葉を交わしたのか。二人が何について、何を話したのか。初めて話したとき、それについて莟は何も語らなかった。本当に相手を特定しようと思うならばそこまで説明するはずではないのか。


 違和感は、最初からあったのだ。


 莟は屈みこんだまま目を泳がせて、手にした書類の端を指でこすった。


「それが……何を聞けばいいのか分からなくなって」


「はあ? どういう意味だあ?」


 莟が立ち上がる。立ち上がったが、うつむいたままだ。


「実を言うと、よく覚えてないんです。その人がどんな口調で、どんな言葉を話したか。語った内容そのものは覚えてるんですけど」


「細かい部分は曖昧ってことかあ」


「だって、人の記憶って更新されていくじゃないですか。どんなに大切な記憶も、何度も思い返して反芻はんすうするうちに、都合のいいように塗り替えて、直前にあった出来事の記憶も混ざっちゃったりで。ほら、いつも通ってる道にあったお店とかがいつの間にか潰れちゃうと、あれ? ここに何があったっけってなりません? 次のお店が建ったらなおさら」


「分からなくもねえな」


 記憶は次々と塗り替わる。更新されていく。そこへ抱く想いも、また。同じ映画を見ても最初のあの感動は得られないのと同じように、変わっていく。


「そうして、そのままそれが昔からの事実みたいに記憶に定着しちゃう。もう、原形が思い出せなくなってくくらい」


 想い出は美化され、加工され、いつしか別物になる。当人すら気づかないうちに。


「…………そうだな。人の記憶はうつろいやすい。オレもすっかり忘れちまってること多いしなあ」


 肩をすくめて同意する。莟はおどけるように苦笑した。


「それにあの時のわたしお恥ずかしながら泣いてましたし。話を聞いてるときは『なに言ってんだこいつ』くらいに聞き流してましたから」


「うわあ酷え。それでなんで恩人になんだよお」


「あとから後から、みてきたんですよ、もらった言葉が。それで、ちょっと救われました」


「…………」


 何があったのかとか、詳しく聞いてやるべきなのだろう。


 十瑪岐は彼女の昔をなんとなくしか知らない。小学六年生のときに泣いてしまうような出来事があって、中学時代にちょっと荒れてでも更生して、そしていまは陸上部員として誰より一生懸命に部活に励んでいる。


 知っていることはそれくらいで、詳しい事情に踏み込んだことはない。だが、時折彼女の言動からその価値観が垣間見えることがあった。


 ストーカーと対峙した莟の言葉を思い出す。


 ──どうせ他人は他人でしかなくて、相手の心なんて読めるわけないから、だから都合よく解釈して、食い違いが起こるのに


 そう語る声にはどこか他人に対する諦めが見えた。それは基本的に明るく分け隔てなく、すぐに人との距離感を掴む、友人の多い彼女らしくない。


(んん? でもプレッシャーに弱くて落ち込むとめちゃくちゃ沈むとこを考えたら、まあ悲観的なのは違和感ねえか)


 どちらがより蕗谷ふきのやつぼみの本質に近いかまでは分からないが。


 それとも外から仕入れた考えかただったりするだろうか。あれがもし、恩人の言葉による価値観なのだとすれば。それは幸滉ゆきひろの言葉に思える。

 素のポテンシャルの高さに甘えて努力をしないあの義兄も、諦めきって『他人なんて』とか簡単に言い出しそうだ。十瑪岐もだいたい同じ考えではあるが、十瑪岐ならば『それでも』と言葉を続けるはずだから。


 何より、中学一年生の梅雨時期ならば、十瑪岐はまだ『葛和』ではない。葛和の名札を持っているわけがなかった。


「つぼ──」


幸滉ゆきひろ先輩が恩人さんだったら、本当に王子様みたいですよね。今度はどうにかこうにか……頑張って確かめます!」


 莟が拳を握ってやる気を捻出している。


「……おう、頑張れえ。仕事も忘れずになあ」


 安易に答えを与えるのが不思議と駄目な気がして、十瑪岐は口をつぐむことにした。


 リアル王子みたいな容姿と立ち居振る舞いをする幸滉ゆきひろが恩人なのなら、莟はきっと喜ぶだろうなと頭に浮かんで、無意味にいじわるしたくなったのかもしれない。


 それは兄への反発心だったか。

 それとも別の要因によるものか。


 判然としない感情をため息で埋め立て、十瑪岐は自分の役割を果たすためにかかとを鳴らした。

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