第4話 心の臓がお強い



 日が明けて約束の昼休みになった。

 

 廊下はいつにも増して生徒のお喋りでにぎやかだ。体育祭の所属団が発表されたことで迫る祭りの存在に実感が出たのだろう。どこも体育祭の話で盛り上がっている。


 つぼみ十瑪岐とめきは賑わう廊下を硬い表情で進む。

 二人は昼食も早々に片付け生徒会棟へと向かっていた。


「みなさん、何も知らないから楽しそうですね。体育祭が中止になったら悲しむのかな……」


 自分たちしか知らないテロ予告を思い出して呟くと、十瑪岐が人を小ばかにして笑う。


「体育祭とかクソだりいとしか思ってない奴もいるぞ。全生徒がお前と同じ走ったり飛んだりを楽しめる脳筋だと思うなよお。だからこそ、あんなもん送ってよこす奴がいるんだろうが」


「それはそうですけど……。ってわたし脳筋じゃありませんからね。筋肉ですべて解決できるなんて思ってません。脳機能と体脂肪率は反比例しない……。筋肉あってもテストの問題は解けないと身にしみているんです」


「そういう意味で言ったわけじゃねえからな? え、期末テスト大丈夫? 対策ノートいるう? 対価にちょいとその身体能力オレのために使ってもらうことになるけどお」


「筋肉でテストが乗り切れる時代がついに!」


 つまらない言い合いをしながら学食周辺の人込みを抜ける。すると見覚えのある人影が向こうからやって来るのが見えた。


 毛先に行くほど色素の薄い、くすんだアッシュグリーンがまず目についた。ウルフカットに整えられた頭髪が、莟の目線から定規一つ分高い位置で揺れている。女性らしい体型にその長身が相まってモデルのようだ。恵まれた体躯にいつ見てもうっとりする。


 生徒会役員で体育祭実行委員会委員長代理の、久米くめ鳴乍なりさに間違いない。普段と違い重たい足取りでふらふらと体がゆれているが、あの特徴的な少女を莟が見間違えるはずなかった。


 なにより夏服の下に黒い長袖のインナーとタイツを着るような露出嫌いの女生徒を、莟は一人しか知らない。


 莟は今にも倒れそうなほどぼんやり歩いてくる鳴乍に駆け寄った。


鳴乍なりさ先輩、体調悪そうですよ。大丈夫ですか?」


 身長差もあって下から覗き込むように問いかけると、生気のない瞳に輝きが戻る。莟と、その後ろから来る十瑪岐を見つけて、鳴乍は夢から覚めたようにいつもの優しい笑みを浮かべた。


「あら二人とも。なんだか久しぶりね。お昼ずっと顔を出せなくてごめんね? それにしても、いいところに来てくれたなぁ。十瑪岐くん、ちょっとに付き合って」


 言ってスマホ画面を十瑪岐へ見せる。頭上で行われるやりとりに莟は背伸びをしたが、惜しいところで覗けない。


 十瑪岐が思い切り顔をしかめた。


「げえっ、嫌だ。恥ずいだけでなんの得にもなんねえもん!」


 鳴乍の申し出を拒絶する。後ずさる十瑪岐の腕を、鳴乍が抱きしめて引き止めた。


「……お願い。貴方しか頼れないの」


 弱弱しくか細い声で言って、うつむいてしまう。

 あまりの近さのせいか、それとも鳴乍の珍しくしおらしい態度にほだされたか、十瑪岐は顔を赤くして歯を食いしばった。


「んぐっ──。し、仕方ねえなあ。貸し一つだかんなあ」


「ふふっ、ありがとう十瑪岐くん。もちろん私の全霊はいつだって貴方に捧げられるよ。それじゃあやりましょうか」


 承諾を得た瞬間ぱっと腕を開放して嬉しそうに笑う。さっきの態度は演技だったのでは? と疑いたくなるほどの変わり身だ。


 だが十瑪岐はそれどころではないようで、


「くっそっ。……れたが負けってこういうことかよお」


 口の中で何ごとか呟いている。十瑪岐がこれほど狼狽えるお願いとはなんだったのか。莟は好奇心で十瑪岐の脇腹をつついた。


「これから何が始まるんです?」


「……見てりゃあ分かる」


 十瑪岐の言葉の直後、鳴乍が腕章をはめた左手を天高く掲げた。


「生徒会会計役員、久米くめ鳴乍なりさ。生徒会規約に基づき、罰則一芸劇場、行きます」


 遠くまでよく通る大声でそう宣言する。そして少年少女は背中合わせに立った。


 長身の二人なので並ぶと圧がある。鳴乍は言うまでもなく人の目をかんばせであり、十瑪岐も真面目な顔をしてさえいればイケメンと呼ばれ得る顔立ちだ。呼びかけも相まって、生徒たちは二人が何を始めるのかと好奇心から足を止めている。


 莟は嫌な予感がして距離を取ろうとするが十瑪岐に首根っこを掴まれ逃げられない。


 十分に注目を集め廊下がしんと静まり返ったのを見計らい、鳴乍がカッと目を見開いた。


「なんだかんだと聞かれたら」


 突然、聞き覚えのある文言が飛び出す。それを十瑪岐が継いだ。


「こっ、答えてやるのが世の情けえ」


「世界の破滅を防ぐため」


「世界の平和を守るため」


 片や楽しそうに、片やだるそうに紡がれるその言葉は、生徒たちの脳裏へ安易に架空の人物を想起させる。


 途切れぬ口上に、なぜか二人ともに肩を掴まれ逃げれない莟は震える声でつぶやく。


「これはまさか……」


 案の定見覚えのあるポーズを決まった。


「ナリサ!」

「トメキ! ……でいいのかあ?」


「銀河を駆ける兎二得とにえ生の二人には」


「ホワイトホール白い明日が待ってるぜえ」


 そう自身たちの口上を述べ終わる。だが態勢を変えない。それどころか二人はじっと莟を見ている。生徒たちの視線も二人の真ん中にいる莟へ集中した。莟はその意味に思い至って口をわななかせる。


「えっ、なに、な、にゃーんて──いや、やりませんよ!?」


 高速で首を横に振る。周りから落胆の声がするが断固拒否を明確にした。

 二人がようやく手を放してくれる。それで生徒たちも突然の催しが終わったことを理解したようだった。


「なんだよお莟。ノリがわりいなあ」


「こういう変に目立つやつ本っ当に無理なんです! 悪目立ち絶対完全完璧オーライで回避を希望です。とめき先輩だって耳が赤くなってるの隠せてませんよ」


「うっ、うるっせえなあ! オレはちゃんとやり切っただろうがあ!」


「くふふっ、二人とも巻き込んでごめんね?」


「一人だけ涼しい顔して言われても。なんなんですか、これ」


 まだ暑くなっている顔に風を送りつつ莟が問うと、鳴乍は思い出したように手を叩いた。


「これは生徒会の……そうだった。忘れるところだったよ。えーっとみなさん。学園公式ホームページの生徒会タブに罰則劇場のアイコンが出てますので、証人になってくださる方はぜひOKボタンをお願いします。証人には抽選で良いものが当たります」


 鳴乍の呼びかけで、生徒たちはスマホ片手に散っていった。何事か分かっていないのは莟と同じく一年生のクラス章を付けている者の一部だけだ。学園に長く在籍している生徒は今の行動を全く疑問に思っていないらいし。


「いや本当になんなんですかこれ!?」


 さらに困惑する莟に、もう平常心に戻っている十瑪岐が答えてくれた。


「これは生徒会伝統のお遊びだよお」


 鳴乍がそうなの、と引き継ぐ。


「生徒会の仕事で失敗すると、お題に沿って何かやって来るよう言われるのよ。できるだけ人の多いところで実行して、証人に観劇報告をしてもらうの。不思議な慣習だけど、なんでも失敗した反省を促し生徒会役員として衆目を集める度胸を鍛えるために始められたそうよ」


「アニポケのセリフを言わなきゃいけないお題ってどういう……」


「今回はこれね」


 鳴乍がスマホの画面を見せてくれる。確かに生徒会情報のトップページに『突発!』と新しいタブがあった。押してみると内容が表示される。


『罰則一芸劇場。お題:開始五秒で悪の組織を想起させよ』


「わりと模範解答だった!?」


「思いついたはいいけれど、一人じゃあまりに滑ってしまうから困っていたの。二人がいてくれてよかった」


「巻き込まれたほうは全くよくねえよ。なんで欠片も恥じらってねえんだお前は」


「この程度で恥ずかしくなったりしないよ。だって服は着てるもの」


「着衣ならホント鋼メンタルですねこの先輩は。これ以上鍛える度胸の残機、残されてないのでは」


 心臓に毛が生えているというより、伝説の合金でできた鎧を着込んでいるような少女だ。彼女の心を揺り動かすにはやはり脱がせるしかないのか。


「つうかお前が失敗するの珍しいなあ。どうした?」


 十瑪岐のにやにや笑いに、鳴乍の放つ空気がかすかによどむ。表情に影が差した。


「ちょっと発注ミスを。桁が……二つ違ったのよね」


「多くても少なくても差し障りありまくりの間違いじゃねえかあ。あと二、三本罰則劇場やってったほうがいいんじゃねえ?」


「くふふっ、そうよね。でも、もう仕事に戻らないと。二人が手伝ってくれるって聞いたのだけど、本当?」


「残念ながら本当だあ。莟がもうちょい性根腐ってたら雇用条件の交渉にまで持っていけたんだがなあ」


「そんな莟ちゃんは心底嫌よ。じゃあ行きましょうか」


「はい鳴乍なりさ先輩、わたし頑張ります」


 元気よく頷いて、鳴乍の表情に疲れが滲んでいることに気づく。普通に振る舞っていたから体調は万全なのだと勘違いしてしまうところだった。

 生徒会のメンバー同様に彼女も、普段はしないようなミスを犯すほどには疲労しているのだ。


 これはより一層気張らねばと莟が気合を入れる一方、十瑪岐は鳴乍の表情を静かに見つめ、怠そうにあくびをもらした。


「十瑪岐くんも、よろしくね」


「……へいへい、仰せの通りに代理委員長様ぁ」



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