第32話 それぞれの役を果たせ


 十瑪岐とめきは雑居ビルの最上階、入居者のいない部屋から眼下の街を見下ろした。横の机には街の地図が広げられ、その上にはカラフルな磁石が駒のように点在している。


 ここは飯開はんがい元教諭捕獲作戦の司令塔であった。


「日曜午後一時、天候は晴天、風はなし。いやあ、絶好の大捕り物日和だねえ」


『本当に飯開はんがい先生は現れるの?』


 繋げたままの通話の向こうから幸滉ゆきひろが疑問を呈する。十瑪岐とめきは自信をもって頷いた。


「いけると思うぜえ。ああいうプライド激盛り野郎は日常がルーティン化しがちなんだよお。見張ってりゃあどっかに現れる。幸滉ゆきひろお兄様は女共から届く情報を逐一オレに転送してくれりゃあいい」


 そう伝えると通話が切れる。幸滉ゆきひろも準備にとりかかったらしい。


 調査の結果、複数の店から毎週同じ時間帯に飯開はんがいが現れるという情報を得た。

 幸滉ゆきひろの役に立ちたくてたまらない女生徒たちにも同じ情報を流している。結果この日この時間、街中を複数の女生徒グループが巡回することとなった。


「これで嗅覚は十分。目はどうだあ」


 振り返る。そこには六個のモニターに囲まれた鳴乍なりさが画面に目を光らせていた。助手として楠間田くすまだもいる。モニターにはそれぞれ違う場所の映像が映されていた。どうやら店の駐車場や入口に設置された監視カメラの映像らしい。


「街中でクメセキュリティと契約している店舗のうち、二十三か所から許可をもらったよ。監視カメラの映像はここに繋げてるから、ぜんぶチェックしてる。飯開先生が現れたら報告するね。というか、十瑪岐とめきくんも手が空いたら手伝ってね。楠間田くすまだくんにばかり負担をかけちゃ駄目よ」


「ぼ、ぼくはだい、大丈夫」


「おう頼りになるう。ま、暇になったらな手伝うよお。ようし。んじゃ最後はつぼみ。お前には、目撃情報の確認と包囲網の穴を埋めてもらう。生徒と接触が禁じられてる飯開はんがいは、女子生徒見かけたらたぶん逃げる。一番大事な仕事になるが、いけるなあ」


『準備オッケーです。いつでも走れます。でもプレッシャーかけるのやめてください。お腹痛くなっちゃう』


「お前そんなんで大会のほう大丈夫う?」


『やめて言わないで。今日は息抜き気分なんです、思い出させないでください!』


「もうちょい真剣に取り組んでえ?」


 苦笑して、十瑪岐とめきは再度窓から街を眺めた。

 ニヤリと口角を上げて目を細め、柏手かしわでを打つ。


「さあて、いよいよクズとクズの決着だあ。所詮しょせんは阿呆みてえな非人間同士のいさかいだからなあ、ゴミみてえな結末になってもどおぞひらにご容赦をお!」



        ◇   ◆   ◇



 楠間田くすまだは目の前で起こることの半分ほどにしか頭が追い付かなかった。


『グループC:原ジャンクション前から喫茶Lansur方面へ』

『グルA:同洋服店からしばらく動きなし』

『グループD:川沿いを通り公園へ移動中』


 幸滉ゆきひろから次々とラインが届く。十瑪岐とめきはそれを横目に地図上の駒を動かした。


「……とするとこっちに穴ができるな。つぼみ、そっから南下三百メートルで待機い」


『南ってどっちですか!? 右!?』


「落ち着け古本屋さんのほうねえ! 次から方位磁石常備しとけ、さもねえとスマホに位置情報筒抜けアプリ仕込むぞ!」


『それはやめてください!』


十瑪岐とめきくん、カメラ十八にグループGが映ったよ。これから東に行くみたい」


「十八は牛丼屋だったな。了解。そろそろ九にグループCが映るはずだ」


 絶え間なく情報が飛び交う。十瑪岐とめきはこうして全人員の行動を把握し、飯開はんがいの登場に備えているのだ。三台のスマホを並列処理する少年に楠間田くすまだは目を見張った。


「す、すごい……」


 思わず称賛をもらすと、十瑪岐とめきが鼻で笑う。


「一番すごいのは七つのグループと同時にラインしながら行き先を聞き出してえ、ついでにこっちの要望通りにそいつら動かしてる幸滉ゆきひろだよ。まあ、半分は狛左こまざちゃんにやらせてるだろうけどなあ」


 皮肉げに眉を吊り上げる。その目じりの端にはどこか劣等感が漂っているように見えたが、それは楠間田くすまだ自身がそうだから感じた錯覚だったかもしれない。


 十瑪岐とめきがスマホに目を落とす。また幸滉ゆきひろからの通知だ。


「! 鳴乍なりさ、カメラ三から七を確認。カレー屋前に目撃情報!」


「っ了解よ。でも遠いかな。裏手門通りは一切目がないのよ」


「分かってる。つぼみ、行けるか」


『待ってました。ウォーミングアップは万全ですよ。ここからなら三分で行けます』


「指示しといてなんだがこの距離でどうやってえ? いや、文句はねえけど。怪我しないでねえ」


『モチですとも!』


「ロンでも信じる。幸滉ゆきひろ君情報お、やっぱ飯開は女子から逃げてんな。追い込むぞお。ちゃあんと女共の誘導してくれよお兄様あ」



       ◇   ◆   ◇



 発見から二十分が経過していた。


 あちこち走りまわって切れた息を整え、つぼみは周囲を見渡す。


「────いた」


 公園の真ん中に男は立ち尽くしていた。


 広々とした芝の公園だった。遠くの日陰には遊具があり休日の母子が何組か遊んでいるくらいで、芝には他に人がいない。


 そこは十瑪岐とめきが事前にここと指定していたポイントだ。走り回った自分で思うのもなんだが、これほど上手く誘導できるとは思っていなかった。


 つぼみは腰のバッグからスポーツドリンクを取り出しながら、遠目に飯開はんがいを確認する。


 十瑪岐とめきよりは身長が低い。だいたい鳴乍なりさと同じくらいか。男性の平均よりはありそうだ。前髪は丁寧に撫でつけられ、品の良いシャツを着ている。男の大きな目が空を見上げていた。


 確かに整った容姿をしているが、天に与えられた超絶ルックスを持つ幸滉ゆきひろを見た後では、清潔感のある成人男性ぐらいにしか思えない。あんな男に女子生徒十数人がもてあそばれたとは信じ難かった。


 もしかすると飯開はんがいの魅力は見た目だけではなく、人心掌握術にあるのかもしれない。


(とめき先輩たち、まだかな。また逃げそうになったら足止めって言われたけどどうすればいい?)


「君、見ない顔だな」


 聞きなれない声に顔を上げると、いつの間にか飯開はんがいが三歩の距離にまで来ていた。


(いつの間に!?)


 驚いて体が硬直する。思わず反転しそうになる。だが急に逃げ出すのはそれこそ不自然だ。というか何をどうすればいいか分からず思考が停止している。


 飯開はんがいあごに手を当て、ふむと思案顔になる。


「在校生の顔はみんな覚えている。地元の子じゃないとすれば、一年生かな」


「──っ」


 言い当てられ表情に出てしまった。飯開はんがいは途端に上機嫌になる。


「今日は懐かしい顔をよく見る日だ。葛和くずわの弟のほうがおれを捕まえようと躍起やっきになってるらしい。君も、彼の指示で動いてるの?」


(や、やっぱりバレてる!?)


「君もよくあんな奴の言うことが聞けるね。脅されでもしてるのかな」


 表情が暗くなった。つぼみを案じてでもいるように視線を向けてくる。その視線が肌を撫でるようで気持ち悪く、つぼみは警戒を強めた。


「とめき先輩は悪い人ですけどわたしを脅したりは──」


「だって、葛和くずわ十瑪岐とめきは人殺しじゃないか」


「……はい?」


 思ってもいなかった単語につい聞き返してしまう。飯開はんがいしずやかな態度で、ゆっくり言葉を口にした。


「四年前の榎本えのもと夫妻の交通事故。本当に事故だと思ってる? それとも噂のように妻による無理心中だと? 違うよ。全部あいつがやったんだ。今回の手際と同じようにあいつが仕組んだんだ。葛和くずわになって復讐するために、十瑪岐とめきがやったんだよ」


 意識へ浸透させるように繰り返し、男はまるで正義の代弁者のように訴えかけた。


「あいつは、自分のために親を殺したんだ。そんな奴をどうして君は信じてられるんだい?」


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