第31話 張り巡らせねば罠たりえず


 スマホに届いた連絡を見て、飯開はんがいはため息をついた。


「ゆさぶりは失敗か。おれと同じ目に合わせてやりたかったんだがな。葛和くずわ十瑪岐とめき


 本来なら、十瑪岐とめきに好意を持つ者たちを疑心暗鬼にしてコミュニティの崩壊を引き起こし、愕然とする彼を嘲笑う予定だったのだが。


「予想以上に友達少なくて壊すも何もなかった。元から持たない人間はこれだから卑怯だな。まあ、おれが出張れない以上、楠間田くすまだを使ってしかちょっかい出せないのが痛いか」


 呟きながら洗面台へ向かう。鏡台に映ったのは、二十代後半の若々しい美男子だった。目元のしわが優しい相貌にかすかな陰を落とし、それがまた男の秀麗さを際立てている。


 どこからどう見ても国宝にすべき二枚目だ、と自負しながら飯開はんがいは顔にクリームを塗った。


「やっぱ役に立たないなあいつ」


 交流のあった女生徒は生徒会によって厳重に見張られてる。飯開に接触可能な連絡先が分かる学園関係者は、男子生徒の彼だけだった。


わらだろうとゴミだろうとないよりマシか。なんせこっちは人生におぼれてる最中だ」


 丁寧に剃刀かみそりを入れ、眉まで形を整える。納得の仕上がりになった。水気をふき取ってリビングへ戻る。


「いまさら悪評を流されたくらいじゃ葛和くずわは傷つきもしない。さて、どうするかな」


 伏せていた写真立てに触れる。指に掬い上げられたふちから家族写真が覗いた。飯開はんがいと歳上の妻、そして当時二歳だった娘が映っている。


 男はふと引っ越し時のまま積み上がった段ボールを見渡して、写真立てをまた伏せた。


「おれから奪った分、同じところまで落ちてこい、葛和くずわ十瑪岐とめき


 思案しつつ隣のヘアワックスに手を伸ばす。

 前髪を掻き上げ自信に満ちた笑みで空を睨みつけた。


「もうそろそろおれの動きに気づいた頃合いか? いいぞ、来るといい。お前を破滅させる一手はすでに掴んでいる。好いた奴らの前で貴様の面の皮をズタズタに壊してみっともない素顔を晒してやろう」



       ◇   ◆   ◇



「待ってるばかりは性に合わねえ。こっちから探す」


 いつの間にか恒例になりつつある昼食タイムで、十瑪岐とめきはそう膝を叩いた。

 溶け残ったプロテインをシェイクするつぼみの手をじっと見ていた鳴乍なりさが、その発言に反応する。


「探すって、どうやって? 先生の現住所すら分かってないのよ? 生徒会長を頼るのかしら」


「いいや、会長は生徒会として力を貸してくれるとは言ったがあ、自身が協力するとは言ってねえ。つまりは生徒会長として、効力は学内だけだ。飯開はんがいはそもそも学内に入れねえ。矢ノ根やのね会長がやってくれんのはせいぜい学内協力者の特定と後始末なんだよお。決着はこっちでつけろってわけえ」


 肩をすくめて眼差しを真剣なものに改めた。


「考えがある。まずは目が必要だあ。鳴乍なりさ、力を貸してくれねえか。正確には、お前の会社の力だ」


 鳴乍なりさはそれだけで意を汲んだらしく、難しい表情になった。


「目、ね……。それはクメセキュリティの信用に関わることよ。うちの仕事は信頼と信用を失ったら立っていられない。けど、そうね。私にできる範囲で貴方に尽くすと言っちゃったものね。責任者と交渉してみるよ」


「んじゃあ」


「期待はしないで。できるだけ多くをもぎ取ってくるけれど、たいした数にはならないと思う」


「おう十分だ。頼んだ。んで次は実働、足。つぼみい、再来週あたり一日部活を休めるか。その日に決める」


「はい、予選が近いけど、一日くらいなら平気だと思います」


「うっし予約な。あとは嗅覚。いつもなら狛左こまざちゃんに頼むが、今月はもう頼れねえ。つうわけで足りないんなら数で補う。を招集する」


「あいつ?」


 シェイクの手を止め首を傾げるつぼみに、十瑪岐とめきはにやあっと笑った。


「つうわけでつぼみ、この指示書を持って校舎裏で待機な。来た奴に渡せ」


「誰ですかそれ」


「すぐ分かるぜえ。オレは他に用事あっからお願いねえ」



       ◇   ◆   ◇



 十瑪岐とめきに言われた場所で人を待つ。相手が誰なのか結局教えてはくれなかった。


 そもそもスマホで連絡すればいいのになぜ資料を手渡しにする必要があるのか。時代に逆行している気がしてならない。いったい自分は何の配達をさせられているのかとクリアファイルに入れられた紙束をめくる。


「うわっ、汚い字」


 そこにはよほど急いで書いたであろう、走り書きの崩し字が用紙一面にびっしり書き込まれていた。しかも字がほそくこまかい。これでは機械で読み取るときに字が潰れてしまう。


 アナログな運搬方法にも納得である。というか、これは他人に解読可能なのだろうか。


 などと思案していると、後ろから声をかけられた。


「あれっ君たしか蕗谷ふきのやさんだったよね」


「あっあなたは!」


 振り返って、思わずのけぞる。

 現れたのは均整のとれた長身に、柔らかな金髪をした少年だった。圧倒的な顔面偏差値の中性的なご尊顔は間違いない。


「あなたは納豆嫌いで大型犬が怖くて可愛いもの好きで中二の頃にポエム作りにはまってて前髪が目にかかるのを神経質なくらい嫌う巨乳好きの葛和くずわ幸滉ゆきひろ先輩!!」


「ちょ……っと待って。それどこ情報なの」


 幸滉ゆきひろが頭痛を堪えるように目元をしかめる。莟はイケメンの登場に若干上ずりながら素直に答えた。


十瑪岐とめき先輩です!」


「だろうねっ。あいつ……なにを言いふらして」


「ちっ、違うんです。十瑪岐とめき先輩は、幸滉ゆきひろ先輩が王子様すぎて緊張してしまうわたしのために、あえて幸滉ゆきひろ先輩のみっともない情報を教えてくれていたんです」


「そう必死に言われるとちょっと責めづらいような……。あと僕は別に巨に──大きい胸が好きってわけじゃないからねっ」


 真顔に近い笑みでそう念押しされた。少年の泰然とした雰囲気に、つぼみもつられて気持ちが落ち着いてくる。そうしてようやく頭が回りだした。


「あの、十瑪岐とめき先輩が言ってたここに資料取りに来る人って、先輩ですか?」


「たぶんそうだと思うよ。僕も一人で来いって急に呼び出されたんだ。ごめんね、こんな面倒な役回りさせてしまって」


「いえ、これくらい。十瑪岐とめき先輩にはお世話になっていますので」


 預かっていた資料を渡す。幸滉ゆきひろはさっそく束をめくり始めた。


「それで、今回はいったい何を。ああ……なるほど。また僕に働けっていうのか十瑪岐とめきは」


「読めるんですか、その汚い字」


「まあ、長い付き合いだからね。走り書きのクセさえ掴めば意外と読めるものだよ。あとは慣れかな」


「へえ……」


 流そうとして、鳴乍なりさの声が頭に響く。


 ──もう少し気にしたほうがいいんじゃないかしら


 もっと相手のことを知ろうとするべきだと鳴乍なりさが言っていたことを思い出した。

 つぼみは意を決して話題を深堀りしてみる。


「お二人って、そんなに長い付き合いなんですか? 十瑪岐とめき先輩は中学生の時に幸滉ゆきひろ先輩のご家族になったんですよね」


 一年生の時のことと言っていたから、まだ最長でも四年ほどしか経っていないはずだ。その程度の年月であの走り書きが読めるようになるとは思えない。毎年十瑪岐とめき文字解読夏季集中講座でも受けない限りは。


 問いを投げられた幸滉ゆきひろが、柔らかに微笑む。


「まあ、十瑪岐とめき葛和くずわになる前から両家は交流があったからね。十瑪岐とめきのお母さん、僕にとっては叔母おばに当たる人が、十瑪岐とめきを連れてよく父さんを訪ねてきていたんだ。大人が話している間、子供たちは集まって遊んでいたってわけだよ。椎衣しい……いつも僕といる女の子も含めてよく遊んでいたな。だからまあ、家族というより、幼馴染みたいな感覚なのかな」


「へえ。十瑪岐とめき先輩も人の子だったんですね」


十瑪岐とめきのことをなんだと思ってたの」


 学園の王子様は、呆れたように苦笑した。



       ◇   ◆   ◇



 放課後である。幸滉ゆきひろは二年生の廊下で立ち話をしていた二人組の女生徒に声をかけた。


「そこの君たち、ちょっといいかな」


「ひゃっ、ゆっ、幸滉ゆきひろ様!?」

「王子!? どどどどど、どうしたんです?」


「そんなに緊張しないで。訊きたいことがあるだけなんだ」


「「なんでも訊いてください!」」


「ありがとう。君たちは優しいね」


「「はうっ」」


 嬉しそうに微笑んで見せると、二人が同時に胸を抑えて震えだす。こういった反応に慣れている幸滉ゆきひろは、少女たちの意識がはっきりするのを待って本題に入った。


「去年退職なさった飯開はんがい先生がいまどこにいるか知らないかな」


「や、知りませんけど」

「どうして先生を?」


 予想通りの反応が返ってくる。幸滉ゆきひろは沈んだ表情を作った。


「最近、町で見かけたと噂を聞いてね。ほら、飯開先生は十瑪岐とめきといろいろあったそうでしょう? けど、十瑪岐とめきがそんな酷いことをしたなんて今でも思いたくなくて。一人で調べているんだ」


「あれは十瑪岐とめき……さんが悪いっていうか」

「うん、だって先生なにも悪くないし」


 二人が言いづらそうに呟く。幸滉ゆきひろは悲痛に目元を潤ませ、震える声を出してみせた。


「でもやっぱり信じたい。先生の口から直接真実を聴きたいんだ。十瑪岐とめきは僕の弟、大事な家族だから」


「おっ、お優しいっ!」

「私、協力します!」


「ごめんね。頼りにしても……いいかな?」


「「もちろんです!!」」


 儚い表情で一歩歩み寄ると、女生徒たちは赤く染めた頬に喜色を浮かべて昇天しかけてしまう。連絡先を交換すると、耐えられないというように走り去っていった。


 その背を見えなくなるまで見送って、少年は薄くため息をつく。


「大事な家族、ね。はぁ、我ながら寒い台詞だ。今回は後始末が大変そうだな。さて、次は……」


「あちらにちょうど御しやすいグループが」


 いつの間にか背後に椎衣しいが控えていた。

 幸滉ゆきひろは頷き、少女の指し示すほうへ足を向ける。


「ありがとう椎衣しい。じゃあ行こうか」


「はい、幸滉ゆきひろ様。また十瑪岐とめきの頼みですか」


 微かに低い問いかけに視線だけを返し、また息をつく。


「本当、毎回僕を巻き込むのやめて欲しいんだけどな」


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