第28話 答えは目の前にある


 窃盗事件を解決させ数日が過ぎた昼休み。珍しく鳴乍なりさの教室を訪ねてきた十瑪岐とめきは、普段は使わない部屋のベランダまで彼女を連れだして、急に泣き始めた。


つぼみがオレを無視するう!」


「…………」


 床につっぷす男のだみ声を、鳴乍なりさは呼び出されたときと打って変わった冷えた目つきで見下ろすことしかできない。


「…………いちおう聞くけれど、なにがあったの?」


「全然話す暇がねえんだよお! あんにゃろ朝も昼も放課後も部活三昧! 休み時間もオレのこと避けてるみたいで逃げられて捕まらん。ラインは全部既読無視だし電話も出ねえ。部活終わりを狙って校門で待ち伏せてたのに真横をランナー走りで駆け抜けてったときは普通に泣いたぞ!」


 この男、ガチ泣きである。


 こうも情けない姿を無防備に晒されると体がむずむずして口元がほころびそうになっていけない。鳴乍なりさは深呼吸して頭部を踏みつけたい気持ちを抑えつけた。縮こまった背をさすってやろうと手を伸ばすと、十瑪岐とめきは居心地悪そうに立ち上がり咳払いをする。


「……つうわけで、どうにかしてえ」


「彼女はスポーツ特待生なのだから、部活に打ち込むのは良いことよ? それに十瑪岐とめきくんに気づかなかっただけかもしれないし」


「こんな目障りな存在そうそう無視できねえだろおがよお!?」


「自負が悲しいのよ」


 交際終了以降、初めての十瑪岐とめきからのコンタクトに弾む気持ちもだんだん落ち着いてくる。そうすると浮かぶ疑問があった。


「どうしてつぼみちゃんにはそう執着しているの。何をするのか分からないけど、貴方あなたなら代わりをいくらでも用立てられるでしょう? いままでの貴方どちらかと言えば去る者追わずだったじゃない」


 十瑪岐とめき幸滉ゆきひろ椎衣しいの幼馴染組以外の人間とこれほど長期間、行動を共にしているのは珍しい。十瑪岐とめきに弱みを握られて協力させられる者はよくいるが、用事が終わればすぐ逃げていくのが常だ。十瑪岐とめきもそれをあえて引き留めはしない。それは十瑪岐とめきの悪評が広まる前も後も同じ。


 鳴乍なりさの知る限り、つぼみほど十瑪岐とめきとよく付き合えている者は始めてなのだ。むしろ十瑪岐とめきのほうからつぼみを頼りにしているように見える。


 十瑪岐とめきは悪い笑みを浮かべた。


「あんな嫌な顔一つせずジュース買いに走るような便利な暴力装置他には──いや違うんですそんな目で見るなやりなおさせてえ! んんっ、ああー……。なんつうか楽なんだよあいつ。利害関係が明白だし、反発がいちいち素直で直球で分かりやすいだろお。なにより、雑な扱いされて愛想笑い返すんじゃなく、同じように雑な扱いで返してくる奴、わりと少ねえんだよ。だから気に入ってんの」


十瑪岐とめきくんってマゾなの?」


「それはねえよお」


 ないのか、と少しだけ残念に思いながら、鳴乍なりさはずっと聞きたかったことを切り出した。


「莟ちゃんの恩人の話、どう思ってる? 初恋かもって言ってたよね」


 話に聞く恩人の価値観は、幸滉ゆきひろより十瑪岐とめきに近いように思えるのだが。十瑪岐とめきはそれを理解していて彼女を傍に置いているのだろうか。


 手すりに寄りかかって十瑪岐とめきは難しい顔をする。


「あいつの態度、初恋かもしれねえ相手にとるもんじゃねえ」


「…………」


 否定できなかった。


「オレが考えるに、あいつ恋を知りたいだけで、恋をしたいわけじゃないんじゃねえかなあ」


「……どういう?」


 意味を掴みかねて問い返す。十瑪岐とめきも心中に抱いた印象に形を与えるようにして慎重に口を開いた。


「あいつ初恋もまだなんだってよお。どころか恋愛関連への感受性が死んでるっぽい。知らないものを知りたい……なんて単純な好奇心だけじゃあなさそうだ。おおかた周囲と温度差感じてんだろお。その差を埋めるために恋の感情を理解したいが、現状恋なんてできそうにない。だから、自分の中で一番、恋に近かった瞬間──恩人と会ったときの気持ちを丁寧に紐解いて、目の前に広げようとしてんだ。そのために恩人を探してる。そういうことだろお? 本人が自分の行動そこまで言語化できてるかは疑問だけどな」


十瑪岐とめきくんは、意外と人をよく見ているよね」


「意外とってなんだあ。有能な指揮官ってのは手駒の状態は正しく把握しとくもんだろお?」


 心外そうに文句をつけて、ふいに遠い目をする。


「どうせ知るなら、恋は綺麗なほうがいいよなあ」


「…………。十瑪岐とめきくんの初恋は?」


 頷く代わりに問いかけると、十瑪岐とめき鳴乍なりさにじとっとした視線を送ってくる。


本気マジで言ってんのかお前」


「?」


「…………」

 

 ねたように口をへの字にしてそっぽを向いてしまった。


「別にい。太陽にでも焼かれたんじゃねえの」



       ◇   ◆   ◇



「というわけでつぼみちゃん、十瑪岐とめきくんが寂しくて駄々こねてるから仲直りしてあげて」


 部活中にやって来た鳴乍なりさはそう笑みを浮かべて願い出た。本当は話をするつもりはなかったのだが、部費の増減に対する決定権を握る会計役員の登場に恐れおののいた部員たちにつぼみにえとして差し出されてしまったのだった。


 そんなこんなで陸上部の女子更衣室に二人だけである。

 つぼみは薄味のスポーツドリンクを横に置いて言い訳のように呟いた。


「別に喧嘩したわけでは……」


「じゃあ、どうして十瑪岐とめきくんを避けてるの?」


「それは……」


 口ごもってしまう。理由は明白。楠間田くすまだに聞いたことを確かめるのが怖くて、勝手に気まずくなっているだけだ。だがそれを口にするのはどうしてか躊躇ためらわれた。「そんなこと誰に聞いたの?」とでも訊ねられれば莟は素直に言ってしまうかもしれない。そうなると楠間田くすまだのせいにしているようではばかられる。


 つぼみの沈黙をどう受け取ったのか、鳴乍なりさは潜めた声で顔を寄せる。


「彼が嫌なら嫌とはっきり言っていいのよ?」


「もちろん嫌なら嫌とはっきり言ってますよ」


 それが受理されているかと言えば否であるが、少なくとも十瑪岐とめきは苦情を弾圧しはしない。つぼみとしてはそれだけで気持ちが助かる。


 だから十瑪岐とめき自身に不満があるわけではないのだ。すべては、つぼみの問題で。


 鳴乍なりさはベンチから立ち上がり、明かり採りほどの型板ガラスの窓を開ける。外には格子がかけられ間違っても人の出入りには使えない。


「……十瑪岐とめきくんと長いこと一緒にいれる人って少ないの。みんな彼から逃げていくから。これだけ十瑪岐とめきくんと気が合う人って珍しいのよ。貴女はみんなと仲良くできる人だから実感はないかもしれないけれど」


「そうでもないですよ。陸上部でだって、全員と仲良いかって言われると違いますし」


「そうなの? 意外ね。スポーツ特待生ならちやほやされそうだけど」


「スポーツ特待生だから、ですよ。最初から特別扱いですから、人によっては目の上のたんこぶだったりもするんです」


 力なく笑むと、鳴乍なりさが表情を消し目を細めた。元の目つきが鋭いからたったそれだけでぞっとするほど冷徹れいてつだ。顔の造形に隙がないから氷の彫刻を想起させる。


 つぼみは思わず背筋を正しながら、この人は本当に、意識して普段から優しい表情を作っているのだろうなと思い至る。


 緊張していると、鳴乍なりさの雰囲気が雪解けのようにほころんだ。


「困ったことがあったら遠慮なく相談して。愚痴グチだろうとなんだろうと、いつでも聞くから」


鳴乍なりさ先輩はやっぱり優しいですね……」


 感じる暖かさにつぼみの目じりにしずくが浮かぶ。


 苦笑する鳴乍なりさはまたつぼみの隣に座った。さっきよりも距離が近い。


「前も言ったけれど、そうでもないのよ? こう見えて根っこの部分は十瑪岐とめきくんと大差ないんだから。特に、可愛い後輩が誰かにいじめられでもしたら、すごく短気になっちゃうかも」


鳴乍なりさ先輩が短気ならとめき先輩はメントスコーラですよ、存在が」


「存在が……」


「けどそうなんだったら、鳴乍なりさ先輩は優しくあろうとできる人なんですね。尊敬します!」


「………………ぐっ、直球」


 鳴乍なりさが突如胸を抑えてうずくまる。まるで心臓を撃たれたような動作だった。


「どうしたんですか!?」


「ううん、貴女を可愛がる十瑪岐とめきくんの気持ちがちょっと分かっただけ」


「わたし可愛がられてるんです?」


「どこからどう見ても」


「だったらなおさら、わたしがとめき先輩とよくやれてるのは、とめき先輩がわたしを受け入れてくれるからです。だから、とめき先輩が望まないならわたしは傍にいられない……」


うとんじてる子に無視されて号泣する男はいないよ」


「あ、ですよね」


 冷静に考えたら、そもそも十瑪岐とめきに気を遣う必要はない。つぼみと彼はあくまで利害関係の一致で共にいるのだから。たとえ十瑪岐とめきつぼみわずらわしがっていてもそれで離れなければならないことにはならない。


「いろいろわたしの勘違いでした。あとでごめんねライン入れます」


 ご心配をおかけしました、と頭を下げる。

 不思議とすっきりした気分でスポーツドリンクに手を伸ばす。鳴乍なりさがふいにその手に指先を触れさせた。


 顔を向けると、美人な先輩は目頭に複雑な色を立ち表せて、端正な顔を硬くしていた。


「思ったのだけど、つぼみちゃんのほうは十瑪岐とめきくんをどう思っているの?」


「え……?」


 なぜか、思考が真っ白になった。理由はつぼみにも分からない。


 いろんな感情があふれて、固めようとした端から崩れ、それで想いまでまっさらになってしまう、あの感覚。


 言葉が出てこない。


 これが、鳴乍なりさをどう思っているかならば、すぐ答えが出る。

 クラスメイトだって、家族だって、近所のお姉さん相手にだってつぼみは同じ答えを出せる。


 だが十瑪岐とめきに限っては、簡単に好きと言ってしまうのは違う気がする。


 つぼみはみんな平等に好きだ。苦手はあっても、嫌いはない。

 十瑪岐とめきのことは苦手ではない。だが好きというのも、何かが違う。


 今まで当たり前に他人へ当てめてきた型に、あの少年はうまく嵌らない。型が合わない。はみ出ている。


 では十瑪岐とめきに抱くこの感情はなんだろう。今まで自分の中になかった枠組みだろうか。それは曖昧模糊あいまいもことしてまだ形を持たない。


(わたし自身は、先輩かれのことをどう思ってるんだろう……?)


 結局その日、答えは出せなかった。


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