3周目 クズとクズ男を愛する少年

第27話 こんな容易くゆれるのは


「連続下着窃盗事件についての報告は以上です、矢ノ根やのね生徒会長」


 鳴乍なりさうやうやしく頭を下げる。放課後の生徒会室にはもう夕焼けが差していた。焼けるようなオレンジを背負って、生徒会長矢ノ根やのね涼葉すずははほほ笑む。


「うむ、ご苦労だったのだな。峯湖みねこ裕子ゆうこの処遇はこちらに任せて欲しいのだよ。しかるべき処罰と、更生のために尽力しよう。今回以前の盗品の回収がほぼ不可能だったことが悔やまれるけどもな」


「やっぱあのサイト、手えだせねえすか」


 横で十瑪岐とめきがうなる。涼葉は頷いた。


「ざっと調べさせたが、顧客の業が深すぎるのな。早急な対応は難しいだろう。今回は存在が知れただけ御の字なのだよ。峯湖みねこ君がどうやってあのサイトにたどり着いたか調べなくてはな」


「んで生徒会長、報酬のほうはどおなってますかねえ」


 揉み手で顔をにやけさせる十瑪岐とめきの問いに、涼葉すずはは葉巻に口つけた。吸った煙の香りを口内で楽しんで、窓のほうへ深く長く吐き出す。十瑪岐とめきが思わず冷や汗を流し始めるほどたっぷり時間をとって、涼葉すずはは幼い顔立ちを引き締めて穏やかに切り出した。


「あたしから差し出すのは、生徒会長として当面の無条件協力なのだよ。今回のように証拠を固めてくれる必要もない。最初から、君の望む形で助力を与えよう」


 それは破格の申し出だった。生徒会長の権力で動かせる諸々を、十瑪岐とめきの口先だけで自由に使えるということである。

 だからこそ、それほど大きな見返りを与えられるが意識に引っかかる。


 十瑪岐とめき鳴乍なりさと同じ思考を巡らせたのだろう。冷や汗を脂汗に変えていた。


「……そりゃあどデカいリターンですけどお、それってつまり何か起きるってことですよねえ。去年に匹敵するような面倒がまた────まて」


 夢から覚めた老人のように眉間にしわを作る。無意識なのか横髪をかき上げイヤーカフスを指で弄り始めた。


「考えてみりゃ最初からおかしい。生徒会の手足たる執行部員の手が足りねえってのはどういうことだ。体育祭はまだ先、しばらくでけえイベントはない。例年通りなら落ち着いてなきゃいけねえ時期だ。しかもんな忙しいときに、あんな些事に生徒会役員の一人をわざわざオレごときに付けるう? ありえねえ」


 思考の先を手繰り寄せるように言葉をこぼし続けた。

 かと思えば唐突に盲目の眼が色を得たように表情を硬くする。どうやら解を得たようだ。


「見張られてたのはオレ。いや違うオレはかあ?」


 視線が生徒会長へ向かう。涼葉すずはは今度はもったいぶらずに肯定の笑みを浮かべた。


「何を釣ろうとしてたか、分かるのかね?」


「こんだけ動きがでかいのに何も噂が出回ってねえ。情報統制がえげつねえってこと。あんたがそこまで警戒するってこたあ、……飯開はんがいか」


「正解なのだよ十瑪岐とめき君。君はやはり面白いのな。学園の敷地を回る警備員が遠目に彼らしき人物を視認したらしくてね」


 奥歯を噛みしめ表情を硬くする十瑪岐とめきに、満足気な涼葉すずは

 鳴乍なりさは自分が蚊帳の外にいることを自覚して強張こわばる喉から声をしぼり出した。


「どういうことですか。飯開はんがい先生が何か?」


「あたしの口からは何も言えないのだよ。そういう契約だものな」


 言って十瑪岐とめきを見やる。主導権は彼にと暗にほのめかす視線だった。

 鳴乍なりさは答えを求めて同様に十瑪岐とめきを見つめる。少年は珍しく困ったように口をすぼめ、助けがないのを悟って根負けだというようにため息をついた。


飯開はんがいは女生徒に手え出して貢がせてやがったんだよ。だからオレと会長で追い詰めて、学園と教育界隈から追放したっつうわけ」


 至極簡潔な説明だった。

 だが彼の語る事情はあまりに飯開はんがい教諭の印象からかけ離れている。


 飯開はんがいは高等部の社会科教諭で、生徒に人気のあった人物だ。授業が丁寧で面白い。休み時間や放課後も生徒のために進んで教鞭をとっていた。ほとんど接したことのない鳴乍なりさですら彼への印象は好意的なものばかりだ。誰にでも優しく平等で、底抜けの善人。


 顔も整っていたことから、特に女生徒からは狂信的な支持を得ていたほどだった。とはいえ生徒との距離感をわきまえている男だったからか、女絡みの悪い噂は皆無だったはずだ。


 困惑して生徒会長を仰ぎ見ても同じ笑みを返されるのみ。


 十瑪岐とめきの言は冗談やごまかしではないらしい。もとより鳴乍なりさ十瑪岐とめきを疑う気はない。彼がそう言うのであればそうなのだろう。


 鳴乍なりさ含め生徒会役員ですら気づかなかったことを十瑪岐とめきがどういう経緯で知ったのかは疑問が残るが。


 鳴乍なりさはそういった思考をすべて飲み下して相槌を打つ。


「では、飯開はんがい先生が現れたのは」


「十中八九オレへの復讐だろうなあ」


 十瑪岐とめきが苛立たしげに舌打ちする。


「学園と被害者連中には接近禁止命令出させたろ。警察役に立たねえ。マジに本人だったんすかあ? そっくりさんでなく」


「さてね。だが目撃証言がある以上、無視はできないのだよ。防衛にはいつだって脅威に見合わないほど膨大な金と手間がかかるものだ。被害にあった……特に肉体関係にあった女生徒には厳重な監視体制を敷いている。気づかれぬようするのも大変なのだ」


「どうして女生徒たちへ警戒するよう伝えないのですか?」


 当然の疑問を投げかける。答えたのは十瑪岐とめきだ。


「そりゃあ、本人たちは騙されたことなんざ知らねえからだよ。飯開はんがいは誠実な奴、葛和くずわ十瑪岐とめきはそんな先生を嵌めた極悪人。その認識は学園の奴らと変わらねえ」


 口ぶりからして意図的にそう認識を操作していると分かる。なぜ被害者へ加害者の真実を語らないのか。いや、そもそも……


「どうして自分が悪く言われるようなことを」


「これがオレと会長との取引だからだ。そこは今どおでもいいだろお? 大事なのは現状だあ。つまり、女子共が飯開はんがいと接触すると、オレへの復讐に利用されかねねえってとこ」



       ◇   ◆   ◇



 ──気安い奴ってうざそうに言ってたから


 耳に入った音を頭で理解するのに数秒を要した。結果が出力される前に鼓動が早まり、反比例するかのように体温が抜けていく。


 つぼみは足から力が抜けそうになって、傾いた体を前に進ませた。


「ちょ…………ちょっととめき先輩を問い詰めてきます」


「な、なに、言ってる、の!?」


「大丈夫です。あの男なら最悪殴れば自白します」


「なに言ってるの!?」


 腕を掴まれ足を止める。弱弱しい制止だったが、つぼみにはそれを振り払うことができなかった。


「だって、そりゃ最初はわたしから近づきましたけど、最近はむしろとめき先輩のほうから来てくれるし、わたし頑張ってすごく役に立ってるはずなのに。仲良くなれたと思ってたのに。そんな言いぐさってないでしょうっ」


「だか、だからって、直談判は、ちょっと」


「だって、こういうのなんです」


 思わず座り込みそうになる。壁に身体を預けると、自分が思っているよりも震えていることに気づいた。


「誰がどう言ってたとか又聞きばかりでもやもやして、関係がこじれて取り返しのつかないことになりそうで。訊くの怖いけどっ、でも訊かないままじゃ疑心暗鬼ばっかでぐるぐるぐるぐる前に進めない。どんどん自分を嫌いになっちゃう」


 小学校での失敗が頭をよぎる。

 思い返せばあのときも、本人に確かめるのが怖くて曖昧な態度ばかり取っていた。それが余計に事態を悪化させていたように思う。


 どうせ確かめる勇気なんてないのなら、嫌われているなら仕方ないと、さっさと諦めてしまえばよかったのだ。


 一つ嫌な思い出が浮上すると芋づる式に他の記憶も思い出される。止めたくても止められない反芻はんすうにまたメンタルが沈んで来た。


 このままだとネガティブモードがオンになる。


「すみません楠間田くすまだ先輩、わたし先に帰りますね……」


「う、うん……。僕のき、聞き間違え、かもだから。あ、あんまり気に、しないで」


「はい」


 迷惑をかける前に一人になろうと、つぼみは無理やり笑みを作って少年と別れた。その背を見送り一人になった楠間田くすまだが、カバンからおもむろにスマホを取り出す。


 メッセージが一件届いているのを見て、楠間田くすまだは震える吐息をついた


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