第25話 嫌がらせこそ生きがい


 ホームルームが終わってすぐのことだった。


 急いだ様子で部室棟を駆ける少女がいた。スカートは標準よりも長めで、髪をおさげにしているので真面目そうに見える。少女は新聞部を通り過ぎて写真部とプレートのある部屋に駆け込むと、後ろ手にカギを閉めた。


 息を整える間もなく椅子に腰を落ち着けて、パソコンを起動させた。慣れた様子で部のパスワードを入力しすぐネットを立ち上げる。


 いくつかのサイトを経由して黒地の画面を表示させると、少女はにたりと笑みをこぼし──背後で鍵の回る音が鳴った。


「こんにちわあー! 強襲部室訪問でえすっ!」


 蹴り飛ばすような勢いで扉が開け放たれる。下卑げびた笑みを浮かべて入ってきたのは、葛和兄弟のクズのほう。葛和くずわ十瑪岐とめきその人。


「はぁい峯湖みねこ裕子ゆうこちゃん。今日は写真部休みじゃないのお? 施錠までしちゃって、一人でナニしてたのかなあ?」


「どっ、どうして……」


「ああ、今日はちゃんと鍵で開けたぜ? いやあ、生徒会動かせると楽でいいなあ!」


 十瑪岐とめきの後ろから二人の少女が顔を出す。生徒会役員とスポーツ特待生。先日、新聞部の取材に来ていたメンバーだ。


 最後に入ってきた新聞部員の少年が扉を閉める。裕子ゆうこは彼らが明確な目的を持ってここへ来たことを察しながら、背で黒いディスプレイを隠した。


「み、みなさん、どうなさったんで? あ、壁新聞の記事にご不満でも? よくあるんすけど記事のクレームなら新聞部のほうに──」


「しらばっくれんなよ下着泥棒さん。もう全部バレてるぜえ?」


「──っ。それ、新聞部の部長も言ってた、最近頻発してる窃盗事件のことですかね。それが私となんの関係が?」


「関係しかねえよおご本人」


「なんで私が。目撃者はいないって聞いてますけど」


「それはオレらの聞き方が悪かったからだ。“怪しい奴はいなかったか”じゃ、怪しくない犯人は捕まらない」


 十瑪岐とめきおごそかに、テーブルに置かれた黄色い腕章を指差す。それは新聞部から貸し出されている『取材中』の印。


「いつでも居るものは、ないのと同じだ」


「え? あるものはあるでしょう?」


 思わず首をひねるつぼみに、鳴乍なりさが小声で注釈をつける。


「彼はなにげない情報は記憶に残りづらいと言っているのよ。特に一度不必要だと感じた情報はすぐ意識の外に追いやってしまうもの。つぼみちゃんは自分がひねったドアノブの形って毎回覚えてる?」


 覚えているわけがない。きっと意匠は様々だろうに、ドアノブというだけで意識の外だ。あの腕章の人間も同じ。新聞部員は勤勉だ。学園で生活していればあの腕章を日に数度見かけるのが当たり前。


「なるほど」


 そう、居て当たり前。

 だから誰もわざわざ“怪しい人物”にカウントしない。


 それどころか腕章を見ただけで『またあいつらか』と意識から締め出す生徒もいる。つぼみが教員を容疑者から外したときと逆の理論だ。


 十瑪岐とめきは勝手に椅子を滑らせて、背もたれにあごをのせ座った。


「生徒会長に頼んでえ、今度は『この写真の子を見たか』って改めて被害者たちに確認を取らせてもらった。ほとんどの奴が同じ答えを返したぜえ? なんて言ってたか知りたい?」


 にこやかさの裏で他人を嘲笑う準備万端なのが目元に透けて見える。裕子ゆうこは取り合わず用意していた反論を口にした。


「確かに新聞部員と共同取材が多いんでこの腕章も日常的にはめてますね。ええ、学校のあちこちに出没してます。私を見かけるってそれこそ、当たり前のことかと」


「そこを突かれると痛えなあ。そんで話は変わるけど峯湖みねこちゃん、オレの下着が盗まれた時間さあ、どうして授業を抜け出したんだあ? 保健室に行くって言ってたらしいけどお、保険医はその日お前を見てねえってよ。あ、言い訳は聞かねえぜ?」


 挟もうとした口を制止され、裕子ゆうこは唇を噛んだ。あの一件は他と違って彼らへの忠告のつもりだったが、それがいけなかったらしい。


「普段と違うパターンはそれだけ異彩だ。付け込みやすい。……オレが顔見せた時点で詰んでんだよお、お前は」


 追い詰めたぞと目を細める。だが十瑪岐とめきの言っていることはただの理詰めに過ぎない。裕子ゆうこはまだ自分が優位にいることを理解していた。


「ただの戯言ですよねそれ。証拠はどこに?」


 ため息をついてそう催促をしてみる。だが十瑪岐とめきはニヤニヤ笑いを浮かべるだけだ。相手のカードが見えない。表面では冷静を装いながら、裕子ゆうこは内心で焦りを覚えていた。このまま誤魔化しきれるか。できたとして、時間が……。


 そのとき、突如着信音が鳴り響いた。初期設定のメロディーにみんなが音の出所を探る。スマホを取り出したのはやはり、葛和くずわ十瑪岐とめき


「きたきたあ。はいこちら十瑪岐とめき。おう、ありがとね狛左こまざちゃん。愛してるう」


 適当な軽口に、電話越しでも辺りへ響く罵声が轟き通話が切れた。後ろの女性陣もすごい顔をしているのだが、あれは放置していいのだろうか。対峙する裕子ゆうこですら心配になった。


 そんな背後の圧に気づかない様子で、十瑪岐とめきがスマホの画面を見せてくる。流れているのは定点カメラの映像だ。場所はおそらく、運動部棟のシャワー室前。


「これはどっかのストーカーが設置した盗撮映像を徴収したもんだ。窃盗被害にあった時間帯に、そこへ出入りしてる部外者はお前一人だ。意味が分かるよなあ?」


「たまたまじゃないですそれ。普通に運動部員は出入りしてるし。それとも他の場所の映像もあって、全部に私が映ってるとでも?」


 知らず語調は強くなった。ありえないと断言できる。この学園は集まっている生徒が生徒であるために、学内には監視カメラの類が置かれていない。厳重なのは学園出入口の警備だけだ。


 これは生徒の、延いてはその両親、会社、事業の機密性を保持するためだ。学園側が訴えられるのを避けるためでもある。例外はない。ストーカーが設置したカメラなど初耳だったが、都合よく同じような映像があるとは思えない。


 だからこそ学園ではくだらないゴシップが幅を利かせ、根拠の薄い噂話が安心して楽しめるのだから。


 裕子ゆうこは冷や汗混じりに口角を上げる。十瑪岐とめきは悲しげにため息をつき、スマホをまた操作した。


「ここまで強情だとは思わなかったよお峯湖みねこちゃん。この手は使いたくなかったんだけどなあ、ほんとだけどなあ、仕方ねえよなあ」


 口ぶりとは反比例した他人を貶めて楽しむ笑みで、また画面を見せてくる。裕子ゆうこはあの黒地の画面をよく知っていた。というよりさっき自分が開いたサイトで間違いない。

 まさか売買手段まで足がついていたとは。そこまでは百歩、いや万歩譲って構わない。出品者が必ずしも裕子ゆうことは特定できないから。


 問題なのは、表示されているのが会員限定の出品画面であること。そしてそこに写っているのは……


「は?」


 思わず腰が浮く。十瑪岐とめきはそれを手で制し、画面の上で親指をさまよわせる。


「おおっと、そこを動くなよお。オレの筋肉と体幹はそこのスポ特待生みたいに強靭じゃねえからあ、ちょっとの衝撃でプルプル震えちゃうぞお。意図せず卒アル写真付きパンツを出品しちゃうかも☆」


 添付写真をスライドさせる。それは間違いなく、寮のタンスに仕舞っていたはずの自分の下着と、中学の卒業アルバムに載っている個人写真だった。


 それらが意味することはたくさんあるが、まず口をついたのはシンプルな罵声。


「このクズ男──っ!!」


「はははははっ、いくら事実を言われたところで痛くもかゆくもねえなあおい! けどお前はどうだあ? この恥辱に耐えきれるのかなあ?」


「っ…………」


「まあだ分かんねえ? 交換条件だよお嬢さん。出品締め切りまであと三分ジャスト。出品の取り下げもその間まで、なんだろお? 今まで売っ払った分を返せとは言わねえ。だが、これから出す分に関してはすべて持ち主に返却してもらうぜえ。そんでオレのパンツ返せこのヤロウ!」


 椅子に座ったまま手足をじたばたさせる。裕子ゆうこは壁掛け時計の秒針を食い入るように見つめた。


 ここで振り返ってパソコンに向かえば、その時点で自白したと同義だ。取り下げは出品者にしかできないのだから犯人は自分だと認めることになる。だが要求に従わなければ自分の卒アル写真付き下着が出品されてどこぞの変態に落札されてしまう。


 裕子ゆうこは唇を噛んだ。よりによって中学の卒業アルバムの写真とは。あんな量産写真に写った未熟で不出来な自分の姿が人目にさらされ出回るなど。しかもあれは裕子ゆうこが撮ったものと違って顔がはっきり写っている。そこから個人が特定される可能性もあった。


 自分は犯人ではないとどうにか誤魔化せるだろうか。いや、誤魔化せたとしてもこのクズは出品ボタンを押すだろう。今までの所業を聞いていれば分かる。この男はやる。確実にやる。


 たとえ本当に裕子ゆうこが無関係の他人でも、葛和くずわ十瑪岐とめきはあのニヤニヤ笑いをやめない。


 裕子ゆうこは全身に脂汗をにじませながら交渉を試みた。


「仕様的に無理。そのサイト、何重にもパスワードでロックされてて変更かけるのに最短で三分はかかる」


「あらあ三十秒オーバーだなあ」


「商品も事前に専用ロッカーへ預ける仕組みだから落札されたら出品主でも手の出しようがっ」


「知ってるう。ま、本気でやれば間に合うってえ。ほおら頑張ってえ」


「~~~~~~っ!」


 節くれだった指が出品ボタンの上で止まる。もうなりふり構っていられない。裕子ゆうこは口から言葉にならない罵詈雑言を喚きながらキーボードへ向かった。


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