第26話 抑えた気持ちはいつか弾け飛ぶ


 血走った目でTabキーを押す。入力欄はあと一つ。それさえ入力すれば出品情報の変更ができる。


 最後のアルファベットに指を伸ばした瞬間、画面が切り替わった。表示される注意喚起。


『出品は締め切りました』


 何度キーを叩いても表示が明滅するだけで入力はできない。


「っくそおおおっ!」


 ワイヤレスマウスを放り投げて振り返る。これ以上ない怨嗟えんさを込めてクズ男を睨みつける。


 だが思ったような反応はなかった。

 なぜかスマホは鳴乍なりさの手の中にある。


 押したのか、押していないのか、面々の表情からは読み取れない。


「えっ……と、どうなって?」


 一縷いちるの希望にすがって生徒会役員の少女へ視線を送る。鳴乍なりさは画面に目を落としたまま応えた。


「一つ教えてくれないかしら、峯湖みねこ裕子ゆうこちゃん。動機はなに? 被害者には共通点がないように見えて、一つ一貫した法則があった。それが家庭の経済事情。特に学業にあって金銭的負債を抱えていないこと。裕子ゆうこちゃん貴女あなたは学園の特技技能補助金とは別に不自然なほどの奨学金を借りているようね」


「それはっ……」


 あれは親が勝手に、という言葉は飲み込んだが、鳴乍なりさは見透かしたように目を細める。


「あれはご両親が申請したそうね。今回の件はお金のため? それとも平和ボケした他人が羨ましかったのかしら?」


 静かな問いかけ。裕子ゆうこ落胆らくたんのおあずけを喰らったような落ち着かない気分のまま答える。


「後腐れないから貧乏人を避けてたの事実だけど。別にどっちでもないですよ」


「それは、足がつきやすくなるリスクを背負ってでも写真を付けたことと関係あるのかしら」


「ありです。ていうかそれがいいんじゃないすか。だって、下着盗まれたってだけであんだけ怯える奴らが、自分の写真までいいように使われてるって知ったらどんな顔見せてくれるのかってさ。むしろそれバレないかってずっと思ってたくらいで……あ」


 現状が分からず浮足立っているせいかつい本音を話してしまった。


(~〜っ、もういいや。どうせ生徒会からの処分はまぬがれない。だったら最後に一等面白おかしく人の絶望した顔を少しでも──!)


 スマホを手にして周囲に意識を走らせる。そして一人の少女に目を留めた。スポ特待生の一年生。あの子は間違いなく新聞部のインタビューを受け、裕子ゆうこが下着を売り払った少女だ。いかにも普通の感性を持っていそうなあの少女ならいい表情を見せてくれるに違いない。


 今回はそれで留飲を下げることにしよう。


「そうそう、あんたの下着さあ。けっこうヤバイ奴に売れたみたいで、使用感とか言って写真が送られてきたんだけど」


「うわあ……キモっ」


「でっしょー? ほらもっとよく見て──痛っ」


 肩を叩いて少女に画面を見せる。そのスマホを横から叩き落とされた。十瑪岐とめきが口をへの字にして二人の間に割って入る。


「ちょっとお、うちの子になんてもの見せてくれてんのよお!!」


「なんで女口調!? どこの立場からモノ申してんだコイツ」


 さらにつぼみを抱きしめ頭を撫でながら、


「この子の心に消えない傷がついたらどうしてくれるのよおっ! 訴えるわよおお!」


「とにかく口調がキメぇ!」


 裕子ゆうこは思わず素で叫んでしまった。


 鳴乍なりさ十瑪岐とめきつぼみから引きはがす。


「はいはい、十瑪岐とめきくん冗談もほどほどに。あと急に女子に抱き着くのはいかがなものかと思うのよ」


「何かノリでえ」


「わたしは別にどうでもいいです。ていうかとめき先輩なにか香水付けてます?」


「なんも付けてねえよお?」


「嘘ぉ?」


 三人の空気はなぜか和気藹々わきあいあいとしている。裕子ゆうこは予想外の反応に、脳の血管がキレるような音を聴いた。


「…………なんなんだよ。そこのスポ特待生さ、怖くないの? 自分の物がに使われてんだよ? 写真見たよね? 葛和くずわもさ、今にもくそったれなド変態に落札されるかもなのに、なんでそんなお巫山戯ふざけしてられんの」


 苛立いらだちが抑えられない。スカート越しに太ももの肉を掻きむしる。かさぶたが剥がれたのか鋭い痛みが走る。


 思い通りにならない憤りをぶつけると、スポ特少女はあどけないほどの表情で不思議そうに瞳を丸くした。


「だって、それはわたし自身じゃありませんし」


「はぁ?」


つぼみって物を自分と切り離して考えられる派なのなあ」


「とめき先輩は違うんですか?」


「オレはちょっと気持ちわりいかなあ。物ってずっと使ってっとなんか思念みたいなの宿ってそうじゃん? オレの持ち物を嫌いな奴が持ってるとかちょい嫌。鳴乍なりさは?」


「よほど思い入れのある品なら嫌だけれど、私もあまり気にしないほうかな」


「ええ~? オレだけ女々めめしいみてえじゃねえかよお」


 また和やかな雰囲気に戻ってしまう。

 裕子ゆうこは怒りに歯を食いしばって床を蹴りつけた。


「なんなんだよお前らは! んなの何も面白くないっ。もっとさあ、絶望して。苦しんで。恥ずかしがれよ。そんなさらっと流されたら何も面白くないじゃん!」


「他人をおとしめることでしか自分の機嫌が取れないのね貴女あなた


 鳴乍なりさの小さな呟き。それが妙に裕子ゆうこの意識に引っかかった。分かったような語調が鼻につく。意味もなく今日のどの出来事よりも頭にきて、裕子ゆうこはこめかみに青筋を立てた。


「は? なに。生徒会役員だからって偉そうに。そうだよね、あんたらみたいな勝ち組に、私の抱えてるものなんてわかんないよね!」


「そうね。分かるはずがないし、分かるべきでもない。改めて思うよ、私はに行きたくない。……でもね、話を聞くことはできるのよ。貴女あなたの家庭、いろいろ問題があるようね。生徒会長が今後の沙汰を決めてくださる。慰めはそのときに。それと──」


 鳴乍なりさに背中を押される。いつの間にか、部室の外に生徒会執行部員が数名立っていた。


 もう逃げられない。手を握りこんで爪が食い込む。敗北感に打ちひしがれる裕子ゆうこに、鳴乍なりさが背中から手だけ伸ばしてスマホ画面を見せた。


「おめでとう、あなたにもこれくらいの価値はあったようよ」


 映し出された下着の写真と落札の文字、少ない金額。


 あっと思った時には肩に感じた細腕の感覚はなく、背後でもう扉は閉められていた。



       ◇   ◆   ◇



鳴乍なりさ先輩、とめき先輩のスマホ弄ってると思ったらマジで出品したんですか」


 つぼみの問いに、鳴乍なりさはスマホを十瑪岐とめきへ返して頷いた。


「落札者の名前を見てみて」


「『Yanonekko』? あ、これって」


「そう、生徒会長よ。出品を阻止できなかった場合は会長がすべてり落とす手筈だったの」


 だから何も心配はいらなかったのだ。作戦を知らない峯湖みねこ裕子ゆうこはそう思わなかっただろうが。彼女はいま失意の底にいることだろう。


「……過剰な私刑は禁止とか言ってませんでした?」


 声に非難の色はなかった。単純に理由を訊かれているのだと解釈して、鳴乍なりさ十瑪岐とめきの座っていた椅子に腰かける。足を組んで息をついた。


峯湖みねこ裕子ゆうこの言う通り、傷ついている被害者がいるのは事実よ。目には目を、歯には歯をって言うでしょう。ハンムラビ法典は過剰な制裁の、しかも身分の高いものから低いものへのそれを制限する内容だけれど、字面だけ見て思った解釈も間違いじゃないと思うのよね。だからまぁ、これくらいは因果応報じゃないかしら。同じ痛みを与えればその痛みを理解するとは言わないけれど、少なくとも、想像力の足しにはなるでしょうから」


 事務的に言って目を閉じる。本心は胸底に沈めるべきだ。

 深呼吸する鳴乍なりさの後ろに立った十瑪岐とめきが付け加えた。


「それ以上に、ちったあ痛い目遭わせたほうがスッキリすんだろお?」


「あ…………」


 降り注いだ本心に、鳴乍なりさは思わず目を開けた。一欠片も外へ出さなかった感情がにわかに湧き立ち、脳のシナプスに電流が走るような感覚がする。


 ゆるみそうになる頬を理性で引き結ぶことしかできない。


 平静を保つことに成功した鳴乍なりさをよそに、ずっと静かにしていた楠間田くすまだが青い顔で一番近かった莟の袖を引く。二人で覗いているのはスマホの画面だ。途端、つぼみが勢いよく顔をそむけた。肩が大げさなほど震えている。いったい何が起きているのか。


 楠間田くすまだの視線が十瑪岐とめきとスマホとを行き来する。何か言っていいものかどうか迷っているようだ。


 代わりに、つぼみが震える声を必死に抑えて説明してくれる。


「……とめき先輩。先輩のパンツ、類似品歴代一位の高額で落札されてますっ──ぶふっ」


 それで限界だったらしい。思い切り噴き出し、次いでせ始めた。音声情報だけでは十分に内容を理解できずにいると、楠間田くすまだが困った顔でスマホを見せてくれる。そこに写ったパンツには確かに『十瑪岐』と刺繍ししゅうがあった。


「んん?」


 表示された金額は、皆がなんとなく想像していたものより桁が二つばかり多い。それだけではない。落札者の名前が──。


 その時ちょうど鳴乍なりさのスマホが震えた。表示された通話先に、鳴乍なりさはすぐ電話に出る。


「どうされました? ……はい、了解しました」


 指示された通り音声をスピーカーへ切り替える。響いたのは、低くも女性らしい落ち着いた声音。


十瑪岐とめき君』


「ああ? その声は矢ノ根やのね会長お。これはいったい……?」


戸惑いを隠せない十瑪岐とめきの声に、涼葉すずはは一拍置いて答えた。


『君の下着だけ競り負けたのだよ。ごめんね』


「はいい?」


 十瑪岐とめきの口から素っ頓狂な吃音きつおんが漏れる。つまり彼の下着を落札したのは生徒会長ではなく、顔も知らない誰か。しかも、男子高校生の写真付き名前刺繍入りパンツに高額を出す変態だ。


 十瑪岐とめきは腰砕けとでも形容すべき有様で尻餅をつくと、目を潤ませた。


「な……なんでだあああああああああ!?」


 空を割らんばかりに汚い悲鳴が上がる。頭を抱えてうねうね暴れる少年の困惑顔に、鳴乍なりさの頭の中で何かが弾けた。


「くふっ、ふふっははっ。これじゃっ、現役女子高生の華も何もないねっ、くふふ。男のほうがっ高く売れるなん──あはははははっ! なんって無様ぶざまな結末なのかしら!! そういうところ本っ当、好きよ十瑪岐とめきくん、くふふはは!」


 腹筋が痛い。

 腹を抱え、鳴乍なりさは久しぶりに涙が出るまで笑い転げた。



       ◇   ◆   ◇



 あれだけ騒がしかった写真部の部室はしんと静まり返っていた。


 十瑪岐とめきは先に、壊れたおもちゃみたいに笑いが止まらない鳴乍なりさを抱えて生徒会長へ報告に行った。だから部屋を出るのは、つぼみ楠間田くすまだだけだ。


「いやー最後すごく面白かったですね」


 つぼみは気分よく楠間田くすまだに話しかけた。少年は苦笑いを浮かべる。


「そ、そう? おな、同じ男として、こ、怖かった、よ」


「たかが使用済みの下着がどうしてあんな高額になるんでしょうかね」


 心底疑問である。使い道に心当たりはあるものの、やはりそれに大枚をはたく気が知れない。

 落札した人間の顔が見てみたいものだとつぼみは宙を見据える。


 生徒会長への報告は長くなるから先に帰っていいと、十瑪岐とめきは言っていた。明日には陸上部に復帰できるだろう。今日は大人しく下校しよう。


「新聞部ってどんな感じなんですか」


「えっとぼ、僕らが手足で、ぶ、部長がとりまとめ、てるボスって感じ」


「あ~すごく分かります。芹尾せりお先輩クセが強い。とめき先輩と同類ですよね。無茶振りがすごそうですけど、大丈夫ですか?」


「先輩ああ見えて、や、優しいし。ひ、人に命令、されて動く、のき、嫌いじゃない、から」


「その気持ちも分かります。なんか気楽ですよね」


 今までは警戒していたが、こうして話してみると気分がなごむ。つっかえがちなしゃべり方が人を苛立たせることもあるだろうが、つぼみは気にならなかった。ペラペラお喋りできたって話が通じない人間もいる。そのほうが苦手だ。


 下駄箱で別れようとすると、楠間田くすまだが愛想笑いのようなものを浮かべて前に立ちふさがった。


「とこ、ところで蕗谷ふきのやさん、は、十瑪岐君、のこと、好きなんだよ、ね。恋人な、なの?」


「はい?」


 意味が分からず思わず聞き返す。


「えっと……何を仰ってるので? わたしと十瑪岐とめき先輩をどう解釈したらその認識になるんですか」


 思わず問い詰めるような態勢になってしまった。楠間田くすまだは怯えた顔で不安そうにしながらつぶやく。


「前、彼にだき、抱き着いてた、から」


「そんなことありましたっけ?」


 さっき十瑪岐とめきに抱きしめれたが、口ぶりからしてそのことではないらしい。つぼみから十瑪岐とめきへ、ということだろう。覚えていない。少なくとも楠間田と会ってからはないように思えるのだが。

 つぼみ十瑪岐とめきもわりと他人との距離感が近いために断言はできなかった。ただの友人同士のじゃれあいでも他人からすればそう見えないことだってあるからだ。


 煮え切らないつぼみの態度に楠間田くすまだは何を思ったか、眉を下げて口角を痙攣けいれんさせながら笑う。


「でも好きじゃない、なら、よかった。だって十瑪岐君きみ、のこと、気安い奴ってうざ、うざそうに言って、た、から」


 たどたどしい言葉に、つぼみの胸の虚空がさっと冷えていくのを感じた。



     【二周目 フィニッシュ

              三周目へ】

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