第14話 紫煙ただようレディ


 三回ノックを響かせて、十瑪岐とめきは木の扉を押し開ける。


 重たい扉の向こうは思ったよりも狭い空間だった。教室を半分に割った程度の部屋の中、まず目に入るのは接客用の机とソファ、壁に掛けられているのは各国の観光名所の写真だろうか。それにしては見知らぬ景色が多い。


 奥には大窓を背に木製の両袖デスクがあり、そこへ足をのせてチェアをきしらせる人物が──。


「よ、幼女が葉巻吸ってる!?」


 生徒会長室に居たのはどう見積もっても小学校五・六年生にしか見えない女の子だった。八頭身には程遠いミニマムな身体に寸胴体型。頭の高い位置で揺れるツインテール。それが気怠いアンニュイな表情で優雅に煙をくゆらせている。脳に入ってくる情報の齟齬そごに頭痛がしてくるほど。


 幼女は十瑪岐とめきたちの入室に気づいて足をおろした。息長く煙を吐き幼い顔に似合わない大人びた笑みで歓迎の意を示す。


「これはこれは早かったのな十瑪岐とめき君。これから迎えをやろうとしていたというのに。ご足労をかける」


 言って葉巻を灰皿に置き、換気のためか背後の窓を開ける。

 声は意外と低かった。少し鼻にこもるような、されど女性らしさのあるイケメンボイス。発音もしっかりしていて声だけだと子どもとは思えない。


 そんな印象がちぐはぐの幼女相手に、十瑪岐とめきこびた笑みを顔に貼り付ける。


「その必要はありませんよお。もちろんこちらから伺いますともお」


「相変わらず普段のおべっかが可愛いのな十瑪岐とめき君は」


「それほどでもです生徒会長」


 十瑪岐とめきの発言にぎょっとしてつぼみは思わず声を上げた。


「生徒会長!? この人がですか? 迷い込んだ小学生でなく……やだうちの制服着てる……なんか腕章もつけてる……。で、でもだったらなおさら葉巻は駄目では」


「あれっ、まだあたしのことを知らない生徒がいたのな。へえスポ特待生か。どうして連れてきたのだい十瑪岐とめき君?」


「なんの呼び出しか分かんなかったんで、とりま暴力担当として」


「わたしの認識! ──は置いといて、あの、初対面でこう言うのもなんですが、本当に未成年の喫煙は……」


「ははは、タバコと葉巻は別物だが、最近じゃ見ない新鮮な反応なのだね。心配性なのだな蕗谷ふきのや君は。十瑪岐とめき君、説明してあげなよ」


 生徒会長がうながすと、十瑪岐とめきが笑いを堪え肩を震わせながらつぼみの勘違いを訂正する。


つぼみ、この人は成人してんぞ。正真正銘の二十歳だ」


 真顔でおかしなことを言っている。まさかと思って会長を見ると、指でブイを作っていた。こうなればつぼみもさすがに理解せざるを得ない。


「…………つまり留年?」


「違う!! 休学してたのだよ!」


 ずっこける涼葉すずはに、すかさず十瑪岐とめきが追加説明に入る。


「この人なあ、一年のときに行方不明になって、丸二年して帰ってきたんだよお。学園側がその間は休学扱いにしてたわけえ」


「なるほど。それで成人してるわけですね。二年間もどこへ行ってたんですか?」


 今度こそ納得したつぼみの問いに、涼葉すずはは腕を組んでうなる。


「それが覚えてないのよな。楽しかったって印象はあるのだけれど。具体的に思い出そうとすると記憶にモヤがかかったみたいになって。自分でもよく分からぬ。ただそれ以来すっかり葉巻と酒にハマってしまったのだけは確かなのだよ。アルコールだけがあたしの手の震えを止めてくれるのだ」


「依存症になってる……。本当ですかとめき先輩」


「おう。当時は結構大事になってたなあ。やれ誘拐だやれ国際問題だの。矢ノ根やのねの息のかかった警察が全力で探しても痕跡一つ見つからなかった。おかげで、帰ってきて記憶もないもんだからいろいろ仮説が出たなあ」


 会長が深くうなずく。


「そういえば異世界に召喚されて世界を三つばかし救ってきただろとか言われたのな」


「宇宙人にさらわれて永遠のロリに改造された説も有力だったなあ」


「この見た目は元からなのだがな。矢ノ根やのねの血筋は成長期が人より遅いのだよ。あと数年すれば久米くめ君よりナイスバディーのボンキュッボンになる予定!」


 成人しててそれならもう諦めるべきでは。その言葉を飲み込む優しさを、この場の二人は奇跡的に持ち合わせていた。


(なんか掴みどころのない人だな……)


 つぼみは内心で苦笑する。よく分からないが、珍生物ということはよく分かった。これにはさすがのつぼみも一発で顔と名前を覚えられそうだ。


 背後でノックが鳴り扉が開く。入ってきたのは長身の少女だった。


「遅くなりました。あれ、もう来てたのね十瑪岐とめきくん。つぼみちゃんも。多めに用意しててよかった」


「おお久米くめ君。噂をすればなのだね。彼女には資料をコピーしてきてもらっていたのだよ」


 鳴乍なりさ十瑪岐とめきつぼみに何やら紙束を手渡した。生徒会長にも渡し、自身はその横にひかえる。鳴乍なりさはジャージから制服に着替えていた。せっかくの夏服セーラーだが、中にはやはり黒い長袖のインナーを着ている。下は黒のタイツを履いたままだ。寒がりなのだろうか。


 涼葉すずは大仰おおぎょうり、机の上で腕を組む。


「さて、いよいよ本題だ。君に、いやどうせなら君たちにお願いしたいのは、下着泥棒の取り締まりなのだよ」


 資料によれば、ここひと月ほどで生徒の下着がなくなる事件が頻発しているらしい。生徒会は同一犯による窃盗せっとうと断定、調査を進めていたのだという。


 どうやらその特定と後始末を十瑪岐とめきに依頼したいらしい。


 十瑪岐とめきが探る目で資料を叩く。


「執行部を使わずどうしてオレに? また悪役をご所望ですかあ?」


「今回は単純に生徒会うちの手が足りてないだけなのな。執行部は別件で手一杯だし」


 笑みで否定し、生徒会長は火の消えた葉巻で十瑪岐とめきを指した。


十瑪岐とめき君。確かに悪役はをみんな一律に被害者にして、事態を丸く収めてくれる。けどな、君は悪役である前に我々生徒会が守るべき生徒の一人でもあるのだぜ? はあのとき限りと言ったはずなのだがね」


 諭すような声音で目を細める。


「我ら生徒会は“生徒”のための会なのだ。学園の生徒であれば誰であれ、世間やマスコミ、ときには親や教師からも生徒を守る。それが生徒会の仕事なのだよ。学園のためではなく、生徒のためにが我らの理念。つまり、言いたいことは分かるだろうな」


「内密に終わらせろっつうことでしょう? 警察やら警備やらの手は借りたくないわけね」


 会長の可愛らしい無言の笑みは肯定を意味するようだ。


「りょうかぁい。ちょうど暇してたんだ。引き受けますよこの仕事」


 十瑪岐とめきの返答に涼葉すずはは上機嫌にうなずいた。


「今までの調査資料は手元にあるとおりだ。あとは頼んだのだよ十瑪岐とめき君。生徒会うちとの連絡役として久米くめ君をこのまま貸し出そう。手段は任せる。馬鹿なことやってる生徒におきゅうを据えてやるのだよ」


「もちろん報酬は出るんですよねえ!」


「相応のものを用意しよう。それと十瑪岐とめき君」


「はい?」


「先日新聞部に取材を受けたが、次のインタビューは君にと呟いていたのだよ。せいぜい気を付けなよ」



      ◇    ◆    ◇



「あの、矢ノ根やのね会長。先程の『あのとき限り』というのは……? 昨年の飯開はんがい先生の件と関係があるのでしょうか」


 十瑪岐とめきつぼみが先に出て行った生徒会長室で、残った鳴乍なりさが呟く。だが涼葉すずはの答えはにべもない。


「それは、君の力で十瑪岐とめき君から聞き出すべきことなのだよ。あたしからは何も言えないな」


 会長は肩をすくめてはぐらかし、葉巻をカットする。話を終わらせる彼女の合図だ。承知している鳴乍なりさはそれ以上の質問を控えた。


「ありがとうございます、矢ノ根やのね会長」


 代わりに突然と頭を下げる。涼葉すずは鳴乍なりさへ向き直った。


「どうしたのだねやぶから棒に」


「私が十瑪岐とめきくんに声をかけあぐねていたのに気づいて、こうやって接点を取り持ってくれたのでしょう?」


 そう問いかけると、涼葉すずはは否定も肯定もせず微笑んだ。


「ま、若人わこうどの仲を取り持つのも大人の仕事なのだよな。君が彼と別れた理由も詳しくは詮索しない。応援してた身としては気になるけどもな。ほんとに何かされたとか?」


「そんなっ、彼は何も悪くありません。……私が駄目なんです。駄目になるんです。中途半端なことをしているのは自覚しています。……ごめんなさい」


「言わなくてもよいのだよ。鳴乍なりさ君にも考えがあるのだろう。言いたくなるまで待とうというのだ。書物ではなく誠実の城塞を築いて立て籠もっているような君も、不安にうごかされもっと前へ進みたくなったのだろうな。ではせっかくのチャンス、上手く活かしなさい」


「はい……」


 応援の言葉にはにかんで、鳴乍なりさは深く一礼し生徒会長室を出て行った。十瑪岐とめきたちに追いつくためか速足だ。


「うーん、青春なのだねぇ。あたしが二年ほど浪費した甘酸っぱさ、見てるだけで若返りそうなのだよ。あたしはもう動かなくていいが、若い君たちはそうはいかない。動けるだけ動いてぶつかりまくりなのな」


 部屋に一人残されたのは、見た目の幼さと裏腹におっさん臭いことを言う生徒会長だった。


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