第16話 防護服メンタルを水着に剥ぐ


 並ぶ色とりどりの水着を見ていると自然と胸が弾んでくる。

 つぼみはにやける口元を隠しきれずに隣の少女へ話しかけた。


「これだけあると悩みますね。鳴乍なりさ先輩はもう買ったんですか?」


「ううん、私は泳がないし……」


「あれ、ズル休みですか?」


「そうじゃないよ。ただ、水泳の期間は発熱と月経が週替わりで来る予定だから……」


「月のものが隔週で来てるじゃないですか。暦の概念を破壊しないでください。未来予知じゃあるまいしどう考えてもズル休みです。あ、もしかして泳げないとか……」


「そんなわけないじゃないつぼみちゃん。三十メートルくらいまでなら余裕で泳げるもの」


 鳴乍なりさが淑やかに笑う。普段からキロ単位で泳ぐつぼみには実感がないが、水辺に生息していない一般人ならそれくらい泳げれば十分かもしれない。

 が、最近クズと評される男とよく一緒にいるせいか、つぼみの思考がちょっとだけ意地悪なほうへ寄った。


「そういえば鳴乍なりさ先輩ってあんまり地肌見えない格好してますよね。あ、刺青いれずみを隠してるとかだったり」


 もう暑い時期なのに鳴乍なりさは長袖のインナーと黒タイツを履いている。それを上から下まで眺めて、冗談を口にした。初対面で浴びせられた極道ジョークのお返しだったのだが、予想に反して返答がない。


 奇妙に思って待ってみると、鳴乍なりさは蚊どころかヤモリの鳴くような声で声帯を震わせた。


「ま………………まさかぁ」


 挙動不審に目が泳ぎまくっている。嘘をついているのはこれ以上ないほどに明らかだった。


「え、マジですか? 背中一面に仏神宿ってたらさすがに引くんですが」


「ふふっ、さすがにそんな馬鹿なことしないよ」


「じゃあ上腕で自然の息吹いぶきを体現してるとか?」


「…………」


 唐突に黙る。かと思えば口をもごもごさせ、わっと顔を両手で隠した。


「若気の至りだったのよ!」


「未だ若気の途上ですよわたし達」


 おいおいとウソ泣きをする先輩をあやすつぼみであった。


「布面積が多いのを着ればいいんじゃないでしょうか。ほら、ラッシュガードとかも売ってますよ」


 さすがの品揃えである。Tシャツと短パンを組み合わせたような商品を差し出す。これなら普段着とそれほど変わるまい。だが鳴乍なりさは頑として受け取ろうとしない。


「それが……刺青いれずみを隠すことばっかり考えてたら、いつの間にか肌を出すことそのものに抵抗を覚えるようになっちゃってね。ふふ、もうウェットスーツでいいかな……さすがにないか……そっか……」


 鳴乍なりさの表情に影が差す。そこへ十瑪岐とめきが珍しく純粋に楽しそうな様子で帰ってきた。


「おおい、いいの見つけたぞ。これとか二人に似合いそうじゃねえ? サイズ分かんねえから適当に持ってきた」


 ご機嫌な様子で水着を両方つぼみに手渡す。サイズ的にカラフルなフリルがたくさん付いたワンピースタイプがつぼみ、パレオ付きの青いビキニが鳴乍なりさのだろう。

 受け取ったつぼみは鳥肌を立てた。


「うわっ、かわいい。両方デザイン綺麗。とめき先輩のくせにセンスいいとか気持ち悪っ」


「シンプルにひでえ。鳴乍なりさも着てみてくれよ。タッパあるからそういうのが似合うと思うんだよなあ」


「それは──うっ……」


 拒否しようとした鳴乍なりさだったが、十瑪岐とめきが無邪気にはしゃいでいるのを見て思わず口をつぐむ。人前で脱ぎたくない気持ちと目の前の純情な瞳を裏切れない感情とが入り乱れ、鳴乍なりさは呻き混じりに薄笑いを浮かべた。


「試着はその……やめない?」


「なんでだよお。これでおびき寄せれれば丸っと解決すんだぜえ? あ、やっぱサイズ違ったか?」


「いや、合ってるけどね。……どうして合ってるのよこれ。ねえ莟ちゃん……」


 助けを求めてつぼみへ視線を送るが、

「…………」

 笑みで封殺されてしまった。


 美人な先輩の水着姿を見てみたい好奇心に捕まってしまったつぼみである。


 ここには敵しかいない。そう察した鳴乍なりさは拳を握りしめた。


「じゃあ水着を着ない代わりに、脱いだ下着を掲げて校内一周してくるから」


「とめき先輩と同じ発想!? 露出じゃなければなんでもいいのかこの人!?」


「なんならひもパンで縛った焼豚とか調理するよ」


「どんなメンタル城塞ほこってりゃあそんな恐ろしい代替案だいたいあん通そうと思えるんだこの女!?」


「大丈夫、紐パンは母上のよ。私はあんなの履かないもの」


「真顔で身内を売りやがった。羞恥心のポイントがズレてねえお前?」


 このままではらちが明かない。つぼみが水着を鳴乍なりさに無理やり持たせて背中を押す。


「絶対に水着着といたほうが後々のダメージが小さく済みますから」


「そうよ莟ちゃんが代わりに──」


「私の今日の下着は夢の国のドラゴンなのでたぶん誰も釣れませんごめんなさい!」


 勢いよく試着室に押し込んでカーテンを閉めた。


 さすがに観念したのか出て来る気配はない。十瑪岐とめきは頭を掻いて疑問を呈する。


「あー……なんであんな嫌がってんだ鳴乍なりさは」


「女の子にはいろいろあるんです」


「よく分からんが、それを理解したうえで着替えさせるお前のが鬼畜な気がするわ」


「好奇心には勝てませんよね」


 などと無駄話をしつつ待つこと数分。カーテンが遠慮がちに開く。


「着た……けど」


 だが中途半端に開けたカーテンから姿を出さず、それを握りしめる手しか見えない。


「ここは思い切っていきましょう鳴乍なりさ先輩!」


「ひゃあっ!?」


 つぼみが力任せにカーテンを開ける。


 そこには水着に身を包んだ鳴乍なりさが──


「どおしたよそのそで?」


 ジャージからそこだけ引きちぎったらしい右袖をはめていた。


「こ、これはね……乙女の柔肌を守るために致し方なくね……」


「乙女の肌って片腕だけえ?」


「いや、他も見られたくないけど右腕だけはどうしても」


「謎のこだわり派あ!」


 耳まで真っ赤にした鳴乍なりさの言動に混乱する十瑪岐とめきである。一方のつぼみは、あそこに刺青いれずみがあるのかと無言で納得していた。生地をぐいぐい引っ張って右側の肩甲骨が鏡に映らないよう隠しているが、まさかそっちにも刺青いれずみがあるのか。


 騒いでいるせいか衆目が集まってくる。それに伴い鳴乍なりさが焦ったように体をかき抱いた。


「もっ、もういいよね!? 制服に着替えても」


「いやあ、そこから出て来るくらいの隙を見せねえと釣れねえと思うが」


「なっ──!」


 どんどん鳴乍の顔の赤みが増していく。しまいには涙目になって、震える声で縮こまってしまった。


「っうぅぅ~~。ほんと恥ずかしい……からっ。もぅ……ごめんっ!」


 本当に限界だったのだろう。カーテンが閉められた。


 不思議な沈黙が流れるなか、つぼみは思わず呟く。


「こ……これがギャップ萌えっ」


 羞恥で顔を真っ赤にした少女は、さっき紐パン焼豚とか言っていた女と同一人物には思えない。


「可愛すぎて同性なのに心臓止まるかと思った。とめき先輩は大丈夫──先輩っ!? 前傾姿勢で下腹部を押さえてどうしたんです!?」


「すっ、すまん。今ちょっと血流が一部分に集中しそうでな」


「先輩……」


 意味を察したつぼみは冷たい視線を向けるが、思い直したように首を横に振る。そして慈悲のある眼で十瑪岐とめきに触れた。


「今回だけはほんの少しミクロンちょっとだけ気持ちが分からなくもないので、いいですよ。落ち着くまで直立しなくていいようフォローします」


「感謝する……心の友よ……!」


「ヤダっ、先輩の友達ハードルってしも?」


 こうしてつぼみは不本意な経緯で十瑪岐とめきから友人認定を得たのだった。



       ◇    ◆   ◇



 制服への着替えが済み、鳴乍なりさがカーテンを開く。


「お待たせしちゃって──って何事!?」


 そこには四つん這いになった十瑪岐とめきと、その背に足を組んで座るつぼみがいた。


 突然視界に入ってきた光景に鳴乍なりさの脳みその回転が止まる。何一つ意味を嚙み砕けないまま、とりあえず後輩に声をかけた。


「えーっと……つぼみちゃん? どうして十瑪岐とめきくんの上に座ってるの?」


「先輩が急に椅子いすになりたいと」


「椅子に座りたいではなく!?」


 椅子から声がする。


「分かってねえなあ鳴乍なりさ。男には誰しも椅子になりてえ瞬間ってもんがあんだよ」


「たぶん理解しちゃいけないやつよその男心」


 否定しつつも鳴乍なりさは椅子になった十瑪岐とめきをじっと見て視線を逸らさない。落ち着かない様子で右手の親指を逆の親指で撫でる少女を見て、十瑪岐とめきはもしやと思い至った。


「…………もしかして座りたいのかあ?」


 尋ねた瞬間、鳴乍なりさが目を見開く。顔を赤くして焦ったように否定した。


「そんなっ、思ってないよ踏みつけたいなんて!」


「予想よかハードじゃねえか! だが今のオレはお前からの責め苦ならば甘んじて受ける覚悟がある。やりてえならやりやがれい!」


 ぎゅっと目をつぶって覚悟を決める。だがいつまでたってもローファーの衝撃は来ない。

 恐る恐る目を開けると、鳴乍なりさは苦笑していた。


「やらないよそんなこと。ほらつぼみちゃんも降りて。十瑪岐とめき椅子くんにもいちおう人権って備わってるからね」


 常識人の笑みでつぼみを引っ張る。人目を避けるように水着売り場から出ていった。


 その背を眺めながら、十瑪岐とめきは立ち上がって埃を払った。


「あいつのこういうとこ、面白くねえなあ」


 ぼそっと呟く。


「オレ相手になに遠慮してんだか……」


 これだけ騒いで注意を引いたにもかかわらず、その日水着売り場に怪しい男の姿はなく、窃盗被害の報告が生徒会に届くこともなかった。



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