第3話
総合博物館のところで西に折れると、もはや今となっては大学施設なのか観光地なのかわからない、ポプラ並木があった。街の光と雪雲でほぼ
車の進入を阻むチェーンの高さほどまで雪が積もっていたが、そこには既に多くの足跡が刻まれていた。最近増えている外国人観光客のものだろうか……と考えていると、友香はなんの
「おい、まさか、まだ先に行く気か」
「面白そうでしょ。わたし、四年間この大学に通ってたけど、ここ来るの初めてだよ」
仕方なく、祐希は友香の後に続いた。アーチのように道の両側にそびえるポプラの間を、二人で歩く。木々の間から、キャンパスの西側にある通りを走る車のヘッドライトが煌めいていた。
やがて、並木道の途中にある、頑丈そうな木のゲートが阻むところまで辿り着いた。長く雨風に晒されてベロベロになったラミネートには「台風被害による倒木の恐れ 立入禁止」と仰々しいフォントで書かれている。
今年はこの北の大地で、台風だけでなく、地震まで起きた。それもあってか、さすがにこのゲートを乗り越えていく馬鹿はいないらしく、降り積もったまっさらな新雪が、遠くの街灯の光をきらきらと反射していた。
「さすがにこの先には」
行けないな、という言葉を封じたのは、急に祐希の身体に飛びついてきた友香だった。普段なら耐えられただろうが、アルコールの入った足元はふらついて、祐希は腰をゲートに当てて、どうにか尻もちをつかずに済んだ。
友香はそのまま、祐希の背中に腕を回してきた。ほんの少し、それに力がこもる。
祐希はそれを振りほどくでもなく、声を上げるでもなく、ただぼんやりと足跡の続くポプラ並木を見上げた。曇りで星も月も見えないが、真っ暗な夜空と違って、人の息吹を反射するこんな空の色も、嫌いではなかった。
「……なんだよ」
しびれを切らして、祐希の方から、そっと言葉を滑り出させた。
「そこまで酔ったのか、稲葉さん」
「んー、そうだったら、どれだけいいだろう……って思ってるかな」
友香の声は、さっきまでのくだけた声色ではなく、ちらつく雪のごとく、いつ融けてなくなるとも知れないような、儚げなものだった。
「酔ったことにして、何もかも真っ白にできたらいいって思った」
「何もかも?」
「……わたし、祐希くんのこと、ずっと好きだったんだ」
ガン、と頭を殴られたような気がした。友香は一緒に酒を飲むたび、祐希に身体を寄せてきた。その先に進むことはなかったにしても、誰にでもこんなことをしているのではないとしたら、友香は自分に何か特別な感情を抱いているのではないか……という予感は、確かに祐希の中にも芽生えていた。
けれど、ずっと知らない振りを通していた。そのことを直視したとき、もう友香と遊んだり、酒を飲んだりすることはできなくなると思った。ただそれだけだった。
友香は今も、祐希に顔を見せようとしないままで呟いた。
「好きだったけど、言えなかった。言えないうちに、わたしたちは大人になって、離ればなれになっちゃった」
「……」
「でも、じつは、ごめん。……ほんとは、最近彼氏ができたの」
「……」
「それなのに、わたしは今、こんなことをしてる。ダメだって分かってるはずなのに、磁石みたいに、祐希くんに気持ちが引き寄せられてる。……ねえ、これって、やっぱりいけないこと?」
いつの間にか、友香の声は、
「心が揺れ動くこと自体はいけないことじゃないけど、稲葉さん、ひとつ間違ってる」
「え?」
「この世界っていうのはさ。ちゃんと、出会わなきゃいけないときに、出会わなきゃいけない人に巡り会うようになってんだよ。今日俺らが一緒に会うことになったのは、稲葉さんが、ちゃんと俺への気持ちにけじめをつけるためだったんだよ」
「祐希くん……」
「……いいやつか」
「……?」
「彼氏」
「……うん」
さらさらと風が吹いた。酔いと一緒に、黒いものが剥がれ落ちていくような感覚を覚えながら、祐希は続けた。
「大事にしてもらえよ。でも、もしもそうじゃなかったら言え。俺がぶっとばしてやるから」
友香は、すぐに口を開かなかった。無音が二人の身体を包み込む。雪に音が吸われて、まるで降り続く雪以外、世界が止まっているかのようだった。
「……わかった」
言葉とともに、そっと友香が自分の身体を離そうとするのを感じて、祐希は背中に回していた腕をほどいた。
「そうならないように、がんばるよ」
呟いた友香は、そっと唇を祐希の同じ場所に重ねた。よし、と独りごちて、友香は大きな声で、ポプラ並木の向こう側に向かって、叫ぶ。
「あー、平成最後に、こういう湿っぽいのもおしまい!」
友香は、そのまま仰向けに倒れ込んだ。ぎゅむ、と圧し固められた雪が鳴く。あはは、と笑う友香を見ているとなんだかたまらない気持ちになった祐希も、その横に、どさんと身体を横たえた。
ちらちらと、夜空から雪が舞い落ちてきていた。祐希には、もう一度ここで友香の華奢な体を抱きしめることができるだけの甲斐性はなかった。鼻先に落ちてきた雪は、音もなく体温で融けてゆく。
そっと、友香の右手に、左手で触れた。
その手が握り返されることはなかった。
それでいいと、祐希は、安堵の溜息をつく。
白くなった息は、音もなく空へ消えていった。
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ユリノハナ 西野 夏葉 @natsuha
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