第3話
藍白からのメッセージが届くまでには、少しの時間が空いた。その間も、千秋はベッドから起き上がる気になれず、だまって天井の壁紙の模様を見上げていた。いつもサイレントモードにしているスマートフォンは、それを解除して、何がしかの通知が届いた時には音が鳴るようにしてある。
やがて、眠気に絡め取られそうになった頃に、軽快な通知音が鳴った。
スマートフォンを手に取ると、今度ははっきりと、藍白からのメッセージであることが通知に表示されていた。
少しだけ恐怖感をおぼえながら、千秋はメッセージを開く。
<聴いていただけるということで、ありがとうございます。一ファンとして、こんなにも嬉しいことはありません。
あくまでここからの内容は、私の主観です。もしもお気を悪くされたら、申し訳ありません。
さて早速ですが、chiakiさんの作品は、情景や心理描写がとても綺麗な言葉でまとめられているのが特徴だと思っています。
だからこそ、作品全体にただよう、どこか(とはいえ、こんなこと本当に起きるわけないだろ)という雰囲気を壊してほしいです。虚構は頭から爪先まで虚構であるからこそ美しいと思うのです。
極端に言えば、作品の中の主人公のポテンシャルが何から何まで最強であっても、私は構わないと思います。大切なのは、その主人公と読み手の気持ちがリンクして、心のわずかな変化すらも感じ取れるような書き方であることです。人は中途半端に優しい事実よりも、身の毛もよだつ残酷な虚構の方を面白がって読むものだと思いますから>
メッセージは一度、そこで切られていた。
サイト上やTwitter上での藍白が、ここまで直接的な物言いをしているところは見たことがなかった。だからこそメッセージの内容に千秋は衝撃を覚えたし、自分が小説を執筆している時になんとなく感じていて、かつ、その正体を見破れなかったモノの存在を見事に言い当てられたことにも、驚きを隠せなかった。
ウインドウの中で、藍白がいまメッセージをしたためていることを知らせる表示を眺めつつ、千秋はいくら作品を書き続けても自分の中でどこか突き抜けられないと思っていた被膜に、やっと指先を当てることができたような感覚を味わっていた。
やがて、新しいメッセージが飛び込んできた。
千秋はその文面をむさぼるように読み進める。
<その鍵になるのは、文章の濃淡にあると私は思っています。
本のページやサイトのビューアに表示されているのが白と黒だとしても、感情や情景、登場人物の台詞ひとつひとつが全て同じ色をしているわけではありません。場面によって感じる、微妙な色の変化とでもいうものでしょうか。
たとえば白系の色をみても、この国にはいくつもの伝統色があります。白、
千秋は、かつて自分が興味本位でGoogleの検索窓に「藍白」と入れてサーチした時の記憶を思い出していた。
藍染めをするとき最初に得られる、限りなく白に近い、ほんのりと藍色の混ざった色。
白い布を純粋な白でなくすることから「白殺し」とも呼ばれる色のことだった。
<私は、色と同じく、小説の描写にもこうした色々な濃淡のつけ方があるものだと思います。主人公が意中の相手に告白する場面だって、あたたかみや幸福感にあふれた書き方もできれば、ひんやりした、どこか寂しさをおぼえる書き方もできるわけですし。
でも、それは誰にでも書けるものではありません。HowTo本を読んだからすぐに書けるようになるものでもないし、有名な先生に教わったからって、誰でも芥川賞が獲れるわけでもない。そういった書き方は、何度も血のにじむような思いで物語を紡いできた人にしかできない、れっきとした技術です>
その気になれば小説なんて誰にでも書けるんじゃないか、と思うときもあった。誰にでも書けるからこそ自分でも書けるわけで、だとすれば自分が特別なわけでもないし、巧いというわけでもないのではないか……と。
藍白はそれをりっぱな「技術」なのだという。
そうなのだろうか。
ただ生きていただけ……というわけではなく、自分は確実に何かを身につけていたということなのだろうか。だとすれば、いま心臓を動かしている自分の命にも、少しは意味を持たせることができるかもしれなかった。
やがてもう一通、藍白からのメッセージが届く。
<私は、chiakiさんがその技術を既に手にしているものと信じています。今のchiakiさんはまだ、その技術を自分が習得していることに気づいていらっしゃらないだけなのだと。
そしてそのことに気づいたとき、chiakiさんはもっと上に駆け上がっていけるだけのモノをお持ちだと思ったので、今回このような差し出がましいメッセージを送らせていただいた次第です。
重ねてになりますが、私はこれからもchiakiさんの新しい作品を読ませていただきたいと思っています。
たとえchiakiさんがこのメッセージを、そうじゃない……とお思いになったとしてもかまいません。
ただ、私は一ファンとして、どうしてもこの気持ちをお伝えしたかった。そのことだけ知っておいていただければ十分に幸せです。
急がなくても大丈夫です。また、chiakiさんの作品を読ませていただける日を楽しみにしています。
どうかお体には十分気を付けて。 藍白>
無意識にベッドから上半身を起き上がらせていた千秋は、しばらく藍白から届いた四通のメッセージを何度も読み返した。
誰に届いているともわからずに紡いでいた物語が、誰かの時間を食べて、その心を揺り動かしていた。そして、それは決して誰にでも簡単にできることではなかった。
自分でそう思うのはただの驕りだとしても、自分以外の存在にそう言われた途端、その思いは急に実感をもって、熱を帯びる。
今はまだ、誰の特別にもなれない自分だとしても、いずれは誰かの特別になれるのかもしれない。
けれども、それは十分すぎる自己研鑽があってこその話だし、今の自分の両手はまだ傷もなく、綺麗なままだ。
この手が甘っちょろいから栄光が手に入らないということなら、ぼろぼろになるまで鍛え上げなければなるまい。目指すところは、いくら神に祈りを捧げても手に入る種類の場所ではないのだから。
覚悟を決めた千秋は、藍白への返信画面を開いて、指をすべらせた。
「藍白さん、ありがとうございます。
手段が目的になる……という言葉はよくありますけど、わたしはいつの間にか、まさにその状態になっていた気がしました。
そういう意味で、わたしはずっと頭の中が真っ白になったまま、漫然と、ただの文字の羅列を作品と偽りながら垂れ流していたのかもしれません。
でも、藍白さんのメッセージのおかげで、これからは、もっと鮮やかに言葉を紡げるようになれる気がします。
本当の意味で読み手を満足させられる作品が書けるようになるまでは、まだ遠いかもしれませんが、わたしは藍白さんのおかげで、ひとつの”気づき”を得られたような気がするから。
藍白さんをはじめとした読者の方をがっかりさせないような作品が書けるように、これからも頑張ろうと思いました。
最後まで見ていてくださいね。 chiaki」
千秋はそのメッセージを送信してから、相当に気恥ずかしくなった。プロ作家になったわけでもないのに、よくもぬけぬけとこのようなことを宣えたものだ……と。
それでも、これこそが「これからも楽しみにしているぞ」という読者からのメッセージに対する礼儀だと思ったし、藍白に返信したメッセージの内容に、嘘はどこにも、欠片ひとつもなかった。
千秋は自分の両手を、目の前に掲げてみる。
この手指と、頭の中に浮かぶ発想をもって、読み手の心を動かす濃淡をもたらすこと。
このことを忘れずに胸に留めていれば、望んだものはいつの間にか手の中に転がり込んでくる。そんな気がしていた。
今はまだ、人は「くだらない」と笑うだろう。それでもいい。その代わり、最後の最後に、顔をくしゃくしゃにするほど笑える明日を手に入れてみせる。
結果が全てだと笑える、この美しく残酷な世界で。
ベッドから降りて机に向かった千秋は、パソコンを起動しながら、久々の執筆で書きたいことを頭の中のメモ書きから探った。
そして、手を組んでぽきぽきと音を鳴らすと、キーボードの上で指を躍らせはじめる。
絵画ではない作品に、どんな色をのせるかを考えながら。
<!---end--->
ルミナス 西野 夏葉 @natsuha
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