9.いざ伊勢詣で
決まる時は驚くほど、とんとん拍子だ。寶井さんと話した翌週の土曜日の夜、コンビニからの帰り道、桃が待っていた。どうやら彼の方でも「一緒に伊勢に行けないか」という相談をしようと思っていたらしい。
「しかしいいのか? 人間の姿で九鬼家の人たちに会うことになるぞ」
「いいさ。優先順位がある。流奈を放っておく方が心配だ。むしろ流奈と一緒に行動できるならそうしたい」
こいつが人間だったら、その家族は幸せだろうな。俺もこんなお兄ちゃんが欲しい。
「なあ桃。呪いのことだけどな。正直まだ全然実感ない。けど、俺のせいで親に不幸が降りかかるのは怖いよ。こう見えて、ずいぶん苦労かけたと思うし、感謝してるんだ」
「水木」
「ん、なんだ?」
心配するな、お前の呪いは必ず解ける。うん、だといいな。こうして九月の連休の
寶井さんと相談して伊勢詣でのアバウトなプランをたてた。だいたいこんな概要である。
・俺と桃は一緒に東京から出発し、京都在住の寶井さんとは現地集合
・現地で観光する時に九鬼家とも合流し、寶井さんがガイドをすることになった
伊勢で光さんに会えると思うと、ちょっとワクワクする。九鬼家が留守の間、犬の預け先は俺の知り合いということになった。もちろん、架空の知人である。寶井さんから光さんの連絡先を聞いて、出発日の前日、金曜日の夜に彼女と会った。
「わざわざ取り次いでいただき、すみません」
申し訳なさそうに言われると、こっちが嘘をついていることに罪悪感を覚える。
「いえ、お気になさらず」
俺たちは今、渋谷のペット連れ込みOKのカフェにいる。ペットを買ったことがない俺は、こんなカフェの存在は知らなかった。
「結構増えていますよ」
ペットの地位も随分向上してるんだなあと思った。
光さんは白のカットソーに薄手の水色のニット、紺のロングスカートという出で立ちだ。シンプルにまとめられていて清潔感がある。化粧はこの間会った時よりは濃い気がする。もしかしたら、弓道の練習前だったから薄めのメイクだったのかも知れない。そして、四国犬の桃がそこにいる。この姿は五月以来である。今は犬の姿の桃と一緒にいるのが、なんだか不思議だ。犬の桃は、とても凛々しく見える。こいつは今どんな気持ちで俺のことを見ているのだろう。残念ながら俺には寶井さんのような特殊能力はないので、四国犬の表情からは何も洞察することはできない。
俺は桃が心配している九鬼流奈という子について知りたかったが、さすがに自分から聞くことは憚られた。
「ありがとうございます。私、本当に楽しみです」
「行きたいって言ってたもんな、この前会った時」
改めてお互い自己紹介し、話しながら堅苦しさがほぐれてくると、俺はようやく敬語を使うのをやめることができた。
九鬼光は都内の私立大学の文学部生だった。来年は大手精機器メーカーに就職が内定しているそうだ。俺も自分の出身大学と勤め先を言った。
「わ、コンサル。すごい」
これは本心なのか社交辞令なのかは分からなかった。ひとしきり雑談した後、光さんはためらいがちに切り出した。
「あの、今回妹もご一緒させていただく予定なのですが」
うん。
「その妹が少々問題児でして、そのことを事前にお伝えしておこうと思いました。それでもしご不快な思いをされそうだと感じられたら、私たちは一緒に行動するのは控えようかなと思っています。水木さんたちのせっかくの旅行を邪魔したくないので……」
「あの、話せる範囲でいいから、良かったら話してくれないかな。九鬼さんこそ楽しみにしているのに、俺に気を使って遠慮してたらもったいない」
「えーと、なんて言ったらいいか。無気力になっていて何もやる気が出ないようなのです。そのことに対して、本人もすごくあせりを感じていて、そのいらいらを人にぶつけてしまうんです」
なるほど。
「それに、家族や先生たちに全然心を開こうとしません。両親は話をしようとしても、ろくに答えようとしません。最近じゃ、両親の方も匙を投げているみたいで、特に父親が」
分かる。俺もそういう気分になったことはある。将来への不安と大人に対する不信感。いや不信感は大人に対してだけじゃなく、子供同士の間でもあったかも知れない。
「そっか。ただ妹さんの気持ちは多かれ少なかれ、多くの人が持つことじゃないかな。俺も高校の頃そんな感じだった」
「確かにその通りなんですけど、もう高三の秋ですよ。このままだと先が心配です。なんだかんだ言って、大学に行くなりで環境が変われば道が開けてくると思うんです。なんて本当は私が言えることじゃないんですけど」
どういうことだ。
「私もそうだったんです。高校二年生の頃なんて、もしかしたら今の妹よりひどかったかも。学校にも家にも相談できる大人なんていなくて、勉強もついていけなくなっていたんですけど、たまたま出会った家庭教師の先生がとてもいい距離感で接してくれて、話も面白かったんです。気がついたら大学行くために勉強頑張ろうという気持ちになってきて、なんとか受験に間に合いました。そして結果的に大学では色々な刺激を受けて、なんとか今に至っています」
文学部に決めたのも、その家庭教師の影響なんですよ、と回想している光さんの横顔はやっぱり綺麗だ。俺がじっと見ているのに気がついたみたいで、恥ずかしそうな表情になった。
「今また悩んでますけど、卒業後のことで」
「いい会社から内定をもらっているのに?」
「ええ、親もすごく喜んでいます。本当に運が良かっただけなんですけど。第一志望ってわけじゃなかったのに、よく内定もらえたなと思っています」
「俺だってそうだよ」
「ただ、大学院に進学しようか迷っていて。親には反対されそうでまだ言えてないんですけど」
大学院とは日本文学の研究ということだろうか。そうだとすると、たしかに悩むだろう。日本文学の研究を続けた先に、研究者以外にどんな就職先があるのか思いつかない。
「贅沢な悩みですよね。安定した就職口を確保している上で、他の進路を考えているなんて」
俺は曖昧に笑う。光さんはまじめな表情に戻った。
「実は妹は、今回の伊勢旅行も嫌がっていました」
そうだろうな、と思う。逆によく一緒に行く段取りになったものだ。
「でも、少しでも気が晴れればと思って、私が無理にでも連れていくことにしたんです。以前は家族旅行大好きだったんですよ。知らないところに行くといつもワクワクしていて。もしかしたら少しでもそういう気持ちを取り戻してくれるんじゃないかなって」
いいお姉さんだ。羨ましい。
「それにほら、伊勢神宮ってパワースポットでしょ。行けば、心を癒して整えてくれるんじゃないかな、なんて」
それから苦笑いして、
「ダメですね、神頼みになってる」
俺は今自分ができる精一杯の励ましをした。
「それならなおさら、寶井さんに伊勢神宮案内してもらった方がいい。あの人は話も上手だから歴史に興味も湧くかも知れない。俺も高校の頃、こんな先生がいたら歴史とか国語とかの授業好きになっただろうなあと思ったよ。あと、俺そんなに人を見る目ある方じゃないけど、あの人結構いい人だと思う。少なくとも俺はそう思っている。最初はつかみどころ無い人だなって思ってたけど」
イケメンだしね、とは言わなかった。
「やっぱり水木さんもそう思います? 私も同じです」
光さんは嬉しそうに目を輝かせた。
幻想紀行クエスト 水無月薫 @kaoruyamamoto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。幻想紀行クエストの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます