8.先生と僕

 九月


 九月上旬は相変わらず夏の気候だ。会社では徐々に仕事を任せてもらえて来ているが、まだそれほど忙しくはない。自分にはコンサルタントの適性がないのかと、逆に不安になっている。まあそもそも入社できたのが奇跡みたいなもんだしな。

 しかし労働時間的にはきつくないのに、毎日ぐったりだ。本当は早く家に帰れたら、ビジネス書や経済関係の本などを読んで知識を増やさなくてはならないのに、そんな気力が残っていない。職場では、まだ随分気疲れする。まずコミュニケーションが難しい。「思っていることどんどん言って良いから」と言われる一方で、不適切な発言をすると「良く考えてから喋れ」と叱られる。発言できないとそれはそれで怒られるので、常に「適切な発言」というものを探さなくてはならない。これが自然にできる人は素直にすごいと思う。俺は自分で思っていたよりコミュニケーション能力が低いのではないか、と自信を失くしている。

 高杉くんには相当助けられている。スキル面のヘルプだけでなく、お寺の子だからなのか、すこぶる聞き上手なのだ。ちなみに高杉くんは九月の三連休に付き合っている彼女の実家に挨拶に行くらしい。来年には結婚する予定だとか。彼は現役で大学に合格し四年で卒業したので、俺より一つ年下だ。それなのに、あらゆる面で差をつけられてしまっている。

 平和だがスカッとしない日々を過ごしていた九月の最初の土曜日、寶井さんからLINEがきた。もう昼時と言っていい時間帯だったが、俺は寝ていた。最近は土日はいつも昼過ぎまで寝ていて、起きるのが億劫になっている。電話で話すことになったので、なんとか寝起きっぽくない声を作ろうと努めた。

「お休みの朝にすみません」

 もう十一時過ぎだが、朝と言ってくれたのは気遣いだろうか。

「お身体に変わりはありませんか?」

「ええ、ぴんぴんしてます」

 少なくとも、肉体的には。

「再来週の土日は予定ありますか?」

 再来週。三連休の土日。空けようと思えば空けられる。最近は予定のない休日も多い。もともと休みの日に何か予定を入れないと気が済まない性格ではない上、平日の気疲れで積極的に何かしようという気が起きない。

 寶井さんには、「桃は事情があって東京を離れられないみたいなので、少し待ちましょう」と伝え、快諾してもらっていた。

「水木さん、もしよろしければ伊勢に行きませんか?」

 まるで友達に「旅行行かない?」くらいのノリで言われた気がした。この人、案外唐突だ。

「再来週の土日、九鬼さんがご家族で伊勢に旅行に行くそうです」

 昨日寶井さんは、九鬼光さんから、家族で伊勢神宮に旅行に行くので、伊勢について教えてくれないかと連絡が来たらしい。

「妹さんも一緒に行くそうです。それなら桃太郎くんも、むしろ心配で来たがるのではないかと思っています。彼の心配事というのは妹の流奈さんのことではないですか?」

 すごい。なんで分かったのだろう。

「桃くんから直接聞いたわけではないのですが、妹さんのことは、軽くですが九鬼さんから伺っていまして」

 それだけで分かったのか。

「企業で働いてた時、人が望んでいることを洞察しないと仕事にならなかったもので、その習慣で。それで……桃太郎くんについて、僕の推測あってます?」

 その通りである。桃は流奈さんが心配だから、家を離れたくないと言っていた。だから、流奈さんも一緒に行くというのなら、その間は家にいる理由はない。それどころか寶井さんが言うように、心配でついて行きたくなる可能性も高いだろう。

「まあ僕らが九鬼家の家族旅行に混じる必然性はないので、どう距離感を取るかという問題はありますが」

 それもあるし、桃の気持ちが気になる。確かに流奈さんから目を話したくないだろうが、この間会った時に「ただの犬として飼われたい」と言っていたことがどうしても引っかかっていた。あまり人間の姿では会いたくないだろう。

 思っていることをそのまま寶井さんに伝えた。

「水木さんは優しいんですね」

 そういう寶井さんの声も優しい。けれども、簡単に提案を取り下げるつもりはないみたいだった。

「最終的には水木さんと桃太郎くん次第なのですが、僕はこの機会を活かすべきだと思います。桃太郎くんが来てくれるならば伊勢で何かが見つかる可能性はあると思っています。ちょっとしたアイディアがありますし。ただそれでも、あくまで可能性なので、何も発見がなく終わることもありえます。お二人次第です」

 アイディアがある、と言われると興味が湧く。ただやっぱり、桃が来てくれることが必須ってことか。あいつは九鬼流奈についていくことと、人間の姿を見られる抵抗感をどう天秤にかけるだろう。

「それに」

 寶井さんは続ける。

「ちょっと差し出がましいと思ったのですが、たとえ何も発見できなかったとしても、水木さんの気分転換にもいいと思っています」

「どういう意味ですか?」

「勘違いでしたら、すみません。少し弱っているように見えたんです。肉体的にではなく、精神的に。会社で結構気疲れしているんじゃないかと」

 全部その通りである。見透かされていたことが悔しい。

「もしそうであるならば、伊勢の社は心を癒し整えてくれる場所だと思います」

 俺は去年行った伊勢神宮の内宮やおはらい町の光景を思い出して、そんな気もしてきた。

「もしかして、俺のリフレッシュも兼ねての提案だったんですか」

「なんだか十数年前の自分を見ているみたいで。友達を旅行に誘うような感じでお声がけしてしまいました。もちろん、呪いを解くヒントがあるかも知れないっていう名目があった上で、ですが」

 この人は心をほぐすのが上手だ。伊勢に行きたくなった。俺は礼を言い、桃に相談してみると伝えた。電話を切る直前、

「水木さんはいつの間にか、桃、と略して呼ぶようになったんですね」

 と言われてハッとした。いつの間にか友達みたいになっているじゃないか。


 電話を終えた後、俺は寶井さんという人について、思いを巡らせてみた。どこかの大学を卒業した後、一般企業に就職し、何年か勤める。一体何の会社だったんだろう。会社を辞めてからのことは聞いたわけではないが、おそらくどこかの大学院に行って、日本文学や文化を研究する道に入っていったのだろう。

 性格は俺が年下というのもあるだろうけれど、一貫して穏やかで親切だ。かといって馴れ馴れしい感じでもなく、距離感もちょうどいい。それに、ただ人当たりが良いだけじゃなく、相手のことをちゃんとみて、考えて、最適に動いているように見える。爽やかで明るく、話も分かりやすく丁寧だ。行動力もある。昔からこうだとしたら、俺と違って平均以上に仕事ができるサラリーマンだっただろう。

 そして、高身長で端正なルックス。俺より十歳以上年上みたいだけど、まだ十分「青年」と呼べる若々しさがある。うーん、ダメだ。何一つ勝てる気がしない。俺は十年後、こんな魅力的な人間になれるだろうか。全く自信がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る